一人旅

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一人旅  死んでしまおうと思った。二十七歳の秋のことである。  山口県に住み、教師をしていた。三度の採用試験に落ち、やっと四度目に合格して正教員になったのだが、子どもをうまく指導できず、私が登校拒否になる。教師の登校拒否なんてありえないという時代だ。校長先生は、私を肝炎ということにして一年間病気休職にした。医者からつけられた病名は、不安神経症。とりたてて体のどこかが痛いわけではない。薬を飲みながら毎日ぼんやりと過ごす。昼まで寝て、起きたら食事をしてテレビを見て、漫画を読んでと自堕落な日々。時々家事を手伝った。それでも教師を辞めなかったのは、他に仕事がないことと、休職中も八割の給料がもらえたからだ。充実感はない。復帰後、ちゃんと教師の仕事ができるか自信がなかった。  その日も昼過ぎまで寝ていた。テレビを見て、母が夕食の買い物に出かけたあと、急に生きていても仕方がないと思う。死ぬなら足摺岬だ。たまらなくなり、紺のワンピースに着替え、車に飛び乗った。松山行きのフェリー乗り場の柳井港までは、車で十五分だ。  夕方の便に乗った。秋の日はつるべ落とし。夕焼け空はすぐに暗くなる。船から飛び降りることも考えたが、波も見えないくらい黒い海に飛び込む勇気はなかった。松山に着いて、ユースホステルに電話すると運よく部屋が空いていてそこに泊る。家にも連絡する。 「ちょっと一人旅をしてくる。今、松山。足摺岬に行くからね」 「そうなの。気をつけて行っておいで。電話してくれてありがとう」  母は静かにそう答えた。そのあと、足摺岬に近いユースホステルの予約をした。  次の朝は快晴だ。瀬戸内海を見ながら車を走らせる。平日だったこともあってか、渋滞もなく進む。車は宇和島に入り、海沿いの喫茶店に立ち寄る。車を降りて、宇和海を望む。秋の日射しを燦燦と浴びた宇和海は濃い藍色をしている。波はほとんどない。ところどころに真珠貝の養殖のしかけらしい四角い柵が立っている。手を伸ばして大きく息を吸い込む。磯の香りが胸いっぱいに広がる。私はこの香りの中で大きくなったのだ。  喫茶店に入り、コーヒーを注文する。窓から青い空と宇和海と島々が広がる絶好のロケーションだ。そこに鈴木聖美とラッツアンドスターの「ロンリーチャップリン」が流れる。  遠くを見る目に 風が映る  いつかそんなことが あったね  あなたは私を 恋人じゃない   友達さと言うけど 違うわ 男は相手を友達だと言い、女は恋人だと言う。その曲を、自分と重ねあわせる。好きな人がいた。彼のことを思いながら、そのメロディーは胸深くにしみていく。  喫茶店を出るころには、心の傷も癒えてきて、落ち着いた気分になっていた。イヤイヤ、私は死ぬために足摺岬を目指しているのだ。  お昼の三時ころ、足摺岬に到着。さすが観光地だけあって、二十人くらい人がいる。気分がよくなっていた私は、観光客の数人とたわいもない話をしたりする。 「おねえちゃん、どこから来たの」 「山口からです」 「ここからの景色は最高だねえ」 足摺岬に立って波しぶきを見て周囲三百度くらいは海。こんなに人がいるところで海に飛び込むことはできない。しかたなく、岬のまわりをうろうろするが木々が生い茂って、飛び込めるような場所はない。  死ぬのをやめよう……。  ユースホステルに着く。テレビもない六畳の部屋で、大の字になって寝転ぶ。天井の木目を見ながら、旅を振り返る。船から見た夕焼けと黒い海。美しい宇和海と、胸にしみいったあの曲。足摺岬で出会った人たち。一人の夜は長く感じた。  磁石に吸い寄せられるように、帰途は早かった。松山から船に乗る。何をしたわけでもないのに、達成感があり、その日の波のように心は穏やかだった。  家に帰ると母が迎えてくれた。 「いい天気だったからね。あんたは海に飛び込んでも、泳げるから大丈夫だと思ってた」  その夜の布団はお日様の匂いがした。  あれから、もう二十五年。教師復帰後は、なんとか仕事をこなしていた。でも辞めたい気持ちが強かった。東京に住む人とお見合い結婚し、教師を辞める。夫と足摺岬にも行った。子どもを二人授かり、毎日が懸命だった。子育て中は嵐のようで、子どもたちが成長した今は凪だろうか。父や母は健在だが、もうとうに八十を超えた。これからも波風あるだろう。わざわざ自分から死ななくとも、人生は死への一人旅だから。
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