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いってこい
「えっ……今なんて?」
「里帰りして来いと言った」
「なんで……俺たちだけなんだ?」
「オレはいい。所詮、余所者の獣人だ」
「え……」
「だからふたりで行ってこい。オレはここで待っている」
そう言い捨てて立ち上がろうとすると、突然トカプチが怒りだした。
「ロウは……どうして! どうして、いつもそうなんだよ!」
目を真っ赤にして……その理由が分からない。
「お前は馬鹿だ! いつまで経っても変わらない! 変わろうとしない!」
オレの胸板をドンドンと叩きながら、切実に訴えてくる。
「トカプチ……」
「お前が行かないなら……俺も行かない。母さんに来てもらえばいいじゃないか」
「小さな赤ん坊がいるのだ。それは無理だ。いいか、オレを気遣うな。オレはひとりに慣れている」
「気遣ってなんてない! 俺たち家族だろう。3人で一家族だろう! だから一緒にいよう!」
結局根負けして、その話し合いの1週間後……オレもトカプチの実家に行くことになった。
事前に伝書鳩に言伝して了解を得たので、迎え入れる方も準備万端だ。
深い森を闇に紛れて俺たちは進む。
「大丈夫だよ。お前はもう以前とは違う。人の顔をしている」
「……」
耳や尻尾をマントに隠し、同じように頭に帽子を被せ尻尾も服の中にしまい込んでいるトイを胸に抱いて。
この道は覚えている。
トカプチの胸のさらしを奪いとって、走り抜けた暗闇の森。そしてこの先は……
当時のことを思い出すと、まだ胸が塞がる思いだ。
トカプチの住んでいた街でオレは……
捕らわれ……蔑まれ……繋がれたまま激しい拷問を受けたのだ。
人としての少しの誇りは奪い取られ、ただの獣に、完全なる獣に……成り下がったのだ。
もうあのまま獣になって朽ち果てる所を、再びトカプチに救われた。
このオレが……こんなに弱くてどうする。だが植え付けられた恐怖というものがまざまざと蘇ってきてしまうのだ。獣に近い獣人だった頃には知らなかった繊細な感情がオレを苦しめる。
「到底無理だ。この森で待たせてくれ。頼む……」
この森を抜ければようやくトカプチの住む街だ。それは分かっているのに足が動かない。息も荒くなり、変な汗が胸の毛や背中の毛を濡らす。
「凍えそうだ」
トカプチもオレの異変を察知してくれたらしく、オレに抱きつき背中や胸を優しく撫でてくれた。
「冷たい。ロウ……ごめんな。俺はお前の味わった恐怖や屈辱を理解していなかった。分かった。無理すんな。この森で待っていてくれ」
「トカプチ……悪いな。オレは頼りないな」
「そんなことない! お前はいつだって格好いい俺の番だ」
年若いトカプチ。しかも俺が守るべきオメガなのに、すまない。
「人は皆、弱い部分があるんだよ。どんなに強い勇者でも。でもそれが人の証だ。俺はそんな優しい心を持ったお前が好きだ。泊まるのはやめた。半日だけここで待っていて。習いたいことを急いで聞いてくるから。すぐに戻ってくる!」
「あぁゆっくりしてこい」
もうトカプチの家は目と鼻の先だ。家に入る所までも見届けられる。
オレたちは自然と唇を合わせた。
ぴったりと合わさる窓から、愛を交感する。
親愛。信愛。を届けあう。
「さぁ行け!」
「わかった!」
トイを受け渡し、トカプチの背中をドンっと押した。
「あっロウ、この森には獣はいないはずだが、気をつけろよ。お前はもう半分人だから」
「わかった。オレのことなら心配いらない」
「……心配だな」
「馬鹿、早く行けって」
「ん、行ってきます!」
森を抜け、草原を走り出すトカプチ。
まだ幼い少年のように華奢な肢体だ。
彼の赤味のある健康的な髪が、爽やかな風にサラサラと揺れていた。
「久しぶりに両親に会ってゆっくりして来い」
俺は太い樹木の上に登って、その光景を眩しく目を細めながら見つめた。
今はここでいい。
ここが落ち着く。
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