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第25章 どうしたら彼を抑えつけてる箍が外れるんだろう。
彼が元彼女の茜さんの家に招待されたその当日。わたしはこっそり彼のマンションの出入り口近くに早くから身を隠して潜んでいた。
どうして結果としてこんな怪しい行動になっているのかって考えると正直、自分でもこれでいいのかぐらつく。まあ、もしも万が一こうしてこそこそしてるとこ彼に見咎められでもしたら。どう自己弁護しようとも言い繕いようもない振る舞いであるのは確かだけど…。
内心でこんなこと企んでるわたしを一向に疑う気配もなく、雅文くんは前日にわたしを手招いて何かを手渡そうとした。
その裏心のない生真面目な表情に気後れしつつ、手のひらに滑り込まされたものを開いて確かめる。…鍵?
「これ。…もしかして」
口ごもるわたし。よりによってこんなタイミングで。こっちは今まさに後ろめたい部分がないとは言えない状況なのに。
彼は当然、といった顔つきで衒いなくあっさりわたしに告げた。
「ここの合鍵。…もっと早く渡そうと思ってはいたんだけど。俺は普段比較的在宅してることが多いし、これまであんまり必要もなかったから。まあほんとは以前、お前が気まぐれにここにふらっと顔出してる頃こそ渡しとくべきだったのかもな、それ」
確かに。約束もしないで気分で訪問してたから。たまたま彼が外してる時に当たって不在だったこともなくはなかった。ほんの数回だったけど。
わたしは内心の戸惑いを押し隠して首を小さく横に振った。
「それは。…あの頃のわたしの方が事前に連絡もなく勝手に押しかけてたからで。別に雅文くんが気にするようなことでもなかったと思うよ、常識的に言って」
いなければいないで仕方ない、とあっさり諦めるくらいの気軽さだった。今ではもちろんそうはいかない。
関係ができてしばらくの間も、事前連絡なしのわたしの都合でやってくる日を決めていたけど。結局そんな不安定なことも続けられなくなって、次はいつ会えるか、毎回お互い予定をすり合わせてはっきりと決めるようになった。つまり普通の恋人同士みたいに。
彼だってご飯を作ってくれる都合もあるし。すれ違いになってもしょうがないや、ってわけにはもういかない。それにどちらかに特に用事があったりしなければ基本的にわたしがほぼ毎日ここに来るのがルーティンになった。
彼はちょっと照れ隠しもあるのか、ぶっきらぼうに肩をすぼめる。
「まあ明日お前の仕事終わりにもう俺が家にいればこれ、結局必要ないかもだけど。この際だから一応渡しておこうと思って。…どのみちお前には俺んちの合鍵持っててもらおうとずっと思ってはいたから。俺がいなくてもいつでも好きな時に自由に入って、部屋で待ってていいよ。これからは」
声は淡々として素っ気ないけど。そのさり気ない言い分に、わたしは思わずじんときて手の中の小さな鍵を見下ろした。
「わたしなんか。…いいのかな、こんな大切なもの任されて。雅文くんが不在の時に勝手に出入りされて、都合の悪いことない?」
何故か彼は一瞬視線を泳がせて脳内で何事かをチェックしているかのような表情を見せた。…やっぱり、疾しいものや見せたくないものあるのかな。少しは。
フォトスタンドの彼の息子さんの写真の後ろにしまわれた美しい女性の面影が脳裏に蘇り、ちくりと軽く胸を刺す。…前に好きだったひとの写真を大切にそっと隠しておいても。別に今の彼女たるわたしがどうこう口挟む権利なんかない。それはもちろんわかってる、んだけど…。
「…大丈夫。だと思う。お前にうっかり見られてまずいっていうようなものは。…特にどこにもないかな。と思うよ。多分」
どう考えても頭の中で指差し点検した、としか思えない間があったのは引っかからないこともなかったが。
彼としてはあの写真は特に疾しいものの範疇には入ってない、ってことは確からしい。あるいはずいぶん前に入れたものだから実は失念してるって可能性だってなくはない。
そう考えると少し落ち着いた。わたしに黙っていつまでも大切な面影を抱き続けていたい。不可侵な特別に神聖なもの、としてあの写真を隠し持っているって決めつけるのは早計かも。
もちろん、心の中で前の彼女のことどう思っていようが。他人に踏み込まれて文句言われる筋合いはない、なんとしてもそれだけは譲れない。と確固とした信念があるってだけなのかもしれないが…。
彼のあとを尾けて彼女の住む家を確かめて。それでどうするつもりなのか、自分でも明確に何か方針があるわけじゃなかった。
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