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第一章/第三節 通じる言葉、通じぬ言葉
ザァァ…………ザァァ…………
波の音……。
「ぁ……たす、かった……?」
これを奇跡、と呼ぶのだろうか。砂浜に打ち上げられていた。
あれほど激しかった黒い海は、いまや、青く穏やかに広がっていた。
よほどしっかり掴んでいたのだろう、右手が鞄の取っ手を握りしめていた。
「良かった……。ああ? なんだこれ……」
その右手に、金色の腕輪がはまっていた。こんなもの付けた覚えがない……。ガキのいたずらか? 人が気を失っているスキに……。くそが。
「これは何かの記号か? 楕円……?」
腕輪に何か一文字書いてあるように見える。
しかし、そんなことは、どうでもいい。こんなもの外すに限る。
「くっ……」
取れない。
「ぬぬ……」
はぁ……もういい。
ひとまず、ここはどこなんだ?
そうして目を向けた先――そこは、二つの色で溢れていた。
一つは白。立ち並ぶ白亜の建物が、陽光に照らされていた。
一つは桜。サクラの花が、白と競い合うように咲いていた。
昔、桃源郷を探して世界を旅した者がいたと聞く。これこそ、その桃源郷ではあるまいか――。そう思わせるほど、見事な風景が広がっていた。
これだけ美しい場所なら、巷で話題になっても良さそうなくらいだ。だけど、こんなところは、見たことも聞いたこともなかった……。
水を吸って重たい鞄を手に、よろよろと歩き出した。
サクラの散る、白い階段を歩いていく。極東の島国で、このような花をつける樹木があると、前に教えてもらったことがあった。
まるで、物語の世界に入り込んだような気分だった。その気分とは裏腹に、随分腹が減っていることに気づいた。もう一つの鞄の中には、いくらか食糧があったことを思い出したが、どうしようもない話だった。
「あれは……」
パン屋のようなものが見える。それに、この街の住人が見えた。ちょうどいい。パンを求めつつ、ここがどこなのか訊いてみるとしよう。
「すまん、パンをいくつかくれないか」
「ああ? なんだ、あんた見ない顔だな」
がたいの良い、中年のおっさんだった。どうやら閉鎖的な街らしい。
「遭難したんだ。気づいたらここにいた。ここはどこなんだ?」
「どこって……パン屋だ」
「いや、それは見れば分かる。ここは、どこの国の、なんという地方なんだと訊いているんだ」
「国? 地方? なんのことだ?」
なんだ? 言語は通じているのに、いまいち話が噛み合わないな……。
「もういい、とりあえずパンをくれ。これでいいか?」
鞄の中から、濡れた紙幣を一枚取り出した。
「あぁん? なんだ、この紙切れは?」
「なにって……金だ。足りないのか?」
合わせて二枚の紙幣を突き付けた。
「……?」
反応が悪いな……。
いや……もし国が違うのなら、貨幣も違うのだろう。なら、共通して価値があるものを差し出せば問題ないだろう。
「悪かった。銀貨だ。これなら文句ないだろう?」
「……?」
「金貨だ。本物の金を使っている。嘘じゃない」
「……?」
くそっ、目の前に美味そうなパンがあるっていうのに……!
「宝石だ。言っておくけど、これ一つで、この店一つ買い取ってもお釣りが来るぐらいの価値があるんだからな」
おっさんの表情が驚きに変わった。しかし、その目は宝石ではなく、なぜか俺の手首に向けられているように見えた……。
「くそっ……邪魔したな」
「お、おい、兄ちゃん! 行っちまった……」
なんだ? 人が悪かったのか?
そう思ったが、誰に対しても同じ反応をされた。
どうやら地図もないらしい。どれだけ未開の土地なんだ、ここは?
もういい。早くこの意味の分からない街から出よう。まずは高いところに出て、地形を把握する必要がある。
あの丘の上の、やけに大きいサクラの木……それを取り囲むように足場が作ってある。あそこに行けば、周囲の状況が分かりそうだった。
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