第一章/第六節 禁足の森

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第一章/第六節 禁足の森

「まあ、不得意って訳じゃない」  などと勢いで言ってしまったことに若干の後悔を覚えつつ、翌朝から仕事場に向かっていた。  一日中椅子に座って仕事をしているヤツに体力があるだろうか? いや、ない。    そんな俺の心境を知る由もなく、前を行くリサの足取りは軽かった。早朝の柔らかい陽射しの中、サクラの道を行くその姿は絵になっていた。 「リサ」 「なに?」 「そういえば、家の鍵、かけてないんじゃないか?」 「鍵? かけてないっていうか……無いけど?」 「無い? 家の扉に?」 「うん」 「それは不用心というか……大丈夫なのか?」 「大丈夫も何も……物を盗る人なんていないよ」  そう断言できるほど治安の良い街ってことか……。そういえば、昨日ガトーが減ることがあるとか言ってたな。それと関係しているのかも知れない。 「はい、到着」 「これは……想像していたよりもデカイな……」  見上げてもなお先が見えないほど背の高い巨木が群がり、カーテンのように広がっていた。そのカーテンの向こうは、陽の光を拒み、暗く、冷たく湿っていた。大樹から見下ろしたときには分からなかったが、こんな森に迷い込んでしまえば、二度と戻って来れないだろう……。他の街との交流がないのも納得だった。 「よおリサ。こんなところにどうした?」  肌が焼け、見るからに肉体労働向きの身体をしたおっさんが声をかけてきた。周りにも、似た感じの男がちらほら見える。 「おじさん、おはよう。実はね、彼がここで働いてみたいって言うの。確か、人手があると助かるって言ってたよね?」 「ああ、わざわざ連れて来てくれたのか。ありがとよ」 「こちら、アリオ。いろいろ慣れてないこともあるかもだけど、多目に見てあげて」 「……よろしく頼む」 「で、こちら、林業を取り仕切ってる頭領さん。リオ、失礼のないようにね」 「よろしくな。でも、そんな筋肉で大丈夫か?」 「問題ない。やらせてくれ。何か支障が出れば報告する」 「よし。じゃあ、まずは薪割りからだな。こっちだ」  薪割り……まぁ、やってみるか。 「リオ」 「あ?」 「はいこれ。お弁当」 「ああ……」 「ちゃんと食べないと保たないでしょ」 「すまん、恩に着る」 「じゃあね」  手を小さく振って行ってしまった。リサにはリサの仕事があるのだろう。  それにしても、随分あっさりした別れだったな。まあ、人の別れなんてものは、得てしてそんなものだろう……。閉じた街だから、ばったり会うこともあるだろうが。 「おい新入り! イチャついてないでさっさとついてこい!」 「今行く!」  イチャついてないわ! くそがっ!  ――  そんな威勢が良かったときもあったな、とぼんやり思った。  もう斧を持ち上げるのもだるい。絶対明日筋肉痛になる。  ちらと周囲の様子をうかがった。  どうして、こいつらは働いているのに、歌ったり、笑ったりしているんだ……? 俺の知っている労働者は、下を向いて、表情に乏しく、淡々と仕事をこなす者ばかりだった。  その違いは、やはりガトーなのだろうか? ガトーを得るためには、人を喜ばせ、感謝される必要がある。彼らは、彼らがもっとも人を喜ばせるための手段として、林業を営んでいるとしたら? 自分の暮らしが良くなること。人の役に立つこと。それが嬉しくない人間がいるだろうか……? 「おーし、休憩だー!」  頭領の声が聞こえた。  昼はみんなで一緒に摂るのが習慣らしい。適当な場所に腰を下ろして、弁当を広げた。 「うま……」  やはり、リサのメシは美味い。身体を動かした後だからか、なおさら美味しく感じられた。川の水も、ただの水なのに美味かった。 「どうだ、アリオ。仕事の方は」 「思ったよりきつい。……でも、やれない訳じゃない」 「そうかい」 「昔もこんな肉体労働をやっていた時期があったしな……すぐに慣れると思う」 「まあ、無理はするなよ」 「ああ」 「そうそう、メシ食い終わって一服したら、ガキ共の面倒を見てやってくれねぇか。どうも川遊びをしたいらしくってよ」 「それは構わないけど」 「悪いな。終わったら、こっちの手伝いに来てくれや」  頭領なりに、俺の体調を気遣ってくれたのかも知れない。  ――などと考えていた俺が甘かった。  もう、泣くわ怒るわ笑うわで、てんやわんや。流されていないか、溺れていないか絶えず気にして、精神は擦り減る一方……。 「ねぇ、アリオ、座ってないで遊んでよ」 「勘弁してくれ。もう疲れた」 「ねぇってば」 「もう散々遊んだだろ。そろそろ家に――うおおっ!」 「うおおっ! だって!」 「誰だ魚を背中に入れたヤツ!」 「う……うああぁぁ!」 「もう! コケたぐらいで泣いてるんじゃねぇよっ」  こんな感じだ。まあ、ガキは元気なのが一番だと思うけど。  昔もこんなことがあった。何の心配もなく、ただ楽しく遊んでいるだけのときが……。  そうだ、ガキと言えば――。 「なあ、昨日、俺が砂浜で寝てるときに、俺にこの腕輪をつけたヤツって知ってるか?」 「知らなーい」 「わたしもー」  きょとんとした顔をしている。ここには居ないのか。  なら一体誰なんだろう?
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