10-3

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10-3

次に目を覚ました時、ミュアは冷たい石造りの床に寝かされていた。どことも知れない不気味な部屋に、しばらくは何故自分がこんなところにいるのか分からず茫然としていたが段々と記憶が整理されて、意識せずとも悪夢のような光景が蘇ってくる。 火傷でただれていた皮膚は何者かからの治癒で元通りになっていたが、本人はそんなことに気付く余裕もない。帰るべき故郷と両親を失ったという受け止めきれない現実にパニックを起こしてその場でのたうち回る。見えない炎に焼かれるように身体が痛くて、呼吸ができない。誰か助けてと、そう願った時寒々しい部屋の扉が開かれた。 涙でぼやけた視界でもそれが大人の男であるということは分かる。限界を超えるほどのストレスを一気に受けた少年は混濁した意識の中、藁にも縋る思いで男に助けを求める。 しかし返ってきたのは、手加減のない暴力だった。 幼い身体は何度も何度も殴られ、蹂躙された。お願い、やめてと何度懇願したところで聞き入れてもらえることはない。大きな手に加減もなく髪を掴まれ、頬を殴られ一時は視界さえ確保できないほどにその幼い顔は腫れ上がった。その上少しでも反抗的な態度を取れば、意識を失う寸前まで痛めつけられて、次第に逆らう気力もなくなっていく。 そんな日々がしばらく続き昼夜も日付感覚も狂ってきたころ、もはや牢獄ともいえる薄暗い部屋には少年のほかに何人かの男が集まっていた。 「おいおい、折角大金はたいて治癒したってのにこれじゃあ売り物になんねーだろーが」 少年を嬲る男とは別の男が、文句を言いながらもニヤニヤとその光景を楽しむ。 「売る必要はねーよ。ガキも使いようだな。邪魔になったら殺せばいいだけ。こんな手軽な玩具なかなか見つからねーぞ?」 ふるわれる暴力にただただ身体を丸めて、声一つ上げずに痛みに耐える。こびりついた血や排泄物がロクに掃除もされないで残っているせいで衛生環境は最悪。いつ感染症に罹っても可笑しくない劣悪な環境の中で、わずかに与えられる食事が命をつなぐただ一つ唯一の生命線。陽の光さえ浴びることができない生活に健康的だった少年はやせ細って希望も気力も断たれてさながら人形のようになった。 「あらあら、こんな大人しくなって……よっぽど躾けられたんだな」 卑下た笑い笑みを浮かべて、心底面白そうに見物する男たちに何の感情も湧かなかった。一体何が自分から家族を奪い、ここまで堕としたのか。何故、こんな目に合わなければならないのか。憎しみや嫌悪は向ける先を見つけられないまま心に大きな沁みをつくった。 人権も自由も尊厳も奪われ死ぬことも生きることも諦め切った生活に転機が訪れたのはそれから半年ほどが経った頃だった。何時ものように薄暗い石壁に凭れて体を休めていた時、けたたましい爆音と複数人の怒号、わずかに漂う何かが焼ける匂いに目を開けば世界が一変していた。 突如狭い部屋に5,6人の人間がなだれ込み、何事かを言い合っている。その集団は皆覆面を被っておりそれぞれが多様な武器を手に、少年を窺うように見つめていた。自分はいよいよ殺されるのだろうか、他人事のように現状を分析して、しかし直ぐにどうでもいいことだと思考を放棄する。けだるげに床に視線を落とし襲い来るであろう痛みを待っていたが、何も起こらず怪訝に思い顔を上げれば覆面集団の中でも一際がたいの良いリーダー格の人物が距離を詰めてくる。その男は少年の顔を至近距離からまじまじと見つめておもむろに口を開く。 「君を助けてあげる。ついておいで」 予想外の言葉を掛かったと思えば素肌の上に柔らかな白い布を被されて抱き上げられる。状況は全く理解できていないが下手に逆らってこの男が逆上する、なんて展開は避けたい。散々自分を苦しめてきた男たちの死体がそこら中に転がっているのを横目に馬車へと乗せられる。素人目でもつくりが良いと分かる馬車に居心地が悪くなるが、行動には出さずじっと動かずに視線は下に向ける。分かりやすく視線を合わせようとしないにも拘らずその男はあれこれと質問してきた。が、少年は視線はもちろんのこと表情一つ変えずに終始黙ったままだった。馬車が走り出しようやく覆面を脱ぎ素顔を晒したその男は、それでもまったく気にしないかのように少年に笑いかけその身を案じた。 人に飢えていた少年はゆっくり、しかし確実にその男に心を許していった。全てを一度に失った喪失感をすこしでも埋めようと無意識のうちに男に懐き慕うようになった。男も少年を自分の本物の家族のように大切にし、甲斐甲斐しく世話を焼き慈愛の笑みさえ向けていたが、それも勿論打算あっての行動。しかしながらまだ幼い子供にそんなことが分かるはずもない。心に大きな傷を負った子供は一度絆せば使い勝手の良い奴隷となることをその男は知っていたからこそ、少年の親兄弟のように親し気に接してその信頼を得た。 男が率いているのが反王政、魔王を支持する異端者だと気づいた時にはミュアは自分でも分からないほどにその居場所に執着していた。彼らの仲間として本格的に行動を始め、求められることにはすべて答え自身の存在意義を示すことに全力を挙げた。与えられた仕事には疑問を持たず、反論もせずどんなに危険でも自分に求めれられるならと実行するのみ。これは決して考えなしの行動ではなくミュアなりに考えたうえで彼らの仲間として犯罪に手を染める。 村を焼かれ両親を殺され、それからずっと考えてきた。いったい何が悪なのか、と。ミュアは全ての憎しみを戦争へと向けた。戦争がすべてを奪ったとそう結論付けることで王家への反逆、自分が起こした犯罪を正当化する。結果的に自分が魔王を支持し、その対となる伝承の使者を崇拝する王家と対立するようなことになっても世界の為に仕方がないことだと自分に言い聞かせる。魔王がいる限り各国はその対応に追われて戦争なんてできない。魔王がいる限り自分のような思いをする子供は増えないと、そう安心し、かりそめの平和に酔いしれた。 そんな中でついに伝承の使者が現れたという知らせが耳に入る。いつか来るとは思っていたが煩わしいことこの上ない。伝承通りなら使者には魔王を討伐する力があるはず。折角叶った魔王による戦争のない世界が壊されてしまうと焦ったミュアに使者の暗殺という任務が下りてくるのにはそう時間は掛からなかった。自分を使役する男たちの本当の目的も知らないままに、自身の志す"平和な世界"実現の夢を壊すかもしれない使者を殺すために無邪気な子供を装い使者が滞在しているという場所に旅立った。
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