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「巻き込むのはいけない、って分かっていたけど……助けて欲しくて……」 俯けていた顔が上がると大きな瞳には溢れんばかりに涙が溜まっており、庇護欲とかなんかそういった感情が軒並み一気に貫かれた。わーお。うちの子かわいい。 ____もし、これが出会ったばかりなら身勝手極まりないと、怒ったかもしれない。就職を控えた人生でかなり大事なタイミングでこんな事になって、しかも事の発端である張本人が目の間にいるとしたら、冷静では居られなかったかもしれない。けれど、アートとそれなりに過ごして今更この子に怒るなどそんなこと出来る筈もない。きっと沢山悩んだのだろう。何度も考えて心を痛めて、それこそあんなに姿が変わってしまうほどに。そこまでして縋ったのが自分の手だと言うのなら、俺はそれを拒絶できない。 「そっか。……あの時、ぶつかっちゃってごめんな。痛かっただろう?怪我は?」 俺は臆病だから。怒ったり突き放したりはできない。けれど任せろと、胸を張ることもまたできない。自分にこの子の望みを叶えてやるだけの甲斐があるとは到底思えないから、曖昧に濁すような言葉を掛ける。いや、実際怪我は心配だから本心ではあるが。 「あれくらい平気。お陰で元の姿に戻れたから……それより、怒らないの……?こんな危険な目にあったのだって元はと言えば……」 「お前のせいじゃないよ。……ほら、取り敢えずこっちにおいで」 泣きそうな顔で自分を責める少年の姿が痛ましくてこれ以上其の話を続けたくなくなった。叱られるのを待つように、ちらちらとこちらを窺うアートに両手を伸ばし、わきの下を抱えるとそのまま抱き上げ膝の上に乗せる。されるがままで抵抗のない体に腕を回して後ろからぎゅっと抱きしめる。湯たんぽみたいで温かいし、丁度いい位置にある頭は顎を乗せるのにちょうどいい。 「俺はさ、正直お前になんて言ったらいいか分からないんだ。でも、少なくとも俺は怒ってないよ。お前はこの世界を何とかしようと頑張ったんだろう?俺一人巻き込んだくらいで解決するなら安いもんだろ、寧ろ一人でよく頑張った」 大きく音を立てる雨音に紛れるように小さく言葉を紡ぐ。聞こえていないならそれでいい。しかし、この子にはちゃんと聞こえていたようで再度小さくごめんなさいという声。あぁ、やっぱり誰になんて言われようと、こんなかわいい子に俺は怒れない。 「よし、じゃあもうこの話は終わりだ。もう謝らなくていいよ。それよりも今後の計画を立てよう。力を貸してくれ、精霊王」 アートの正体には心底驚かされたが、この場合は好都合であるといえるだろう。俺一人では無理でも精霊王というこの世界でも屈指といわれる強い仲間がいる状態で、もはやできないことなどないのではないか。考えなくてはならないことはたくさんあるがともかく俺の生存は確約された、と思う。 「……それは、できない。ごめんなさい」 しかし帰ってきたのは先ほどと同じような後ろ向き言葉。申し訳なさそうな表情から事情があるのだろうと察する。再び泣き出しそうになっているアートを慰めるようになでながらできる限り優しくわけを聞く。 「……どうしてか聞いてもいいか?」 「まだ力が戻っていなくて、きっと役に立てない。今もこうして姿を保っているのがやっとで……」 あぁ、なるほど。確かに、もしうわさに聞く通りのチート能力が使えるのなら今もこんな崖の下にいる理由はないだろう。話を聞くに俺をこちらの世界に引き込んだことで力をごっそり失ってしまったらしい。せっかく回復し始めていた力も落下の衝撃から俺をかばうときに使ってしまったという。 「……嫌いに、ならない?身勝手で役にも立たなくて……。もう一緒にいたくない?」 か細く震える小さな手にすがられて、悶絶しそうになるのを何とかこらえる。拒絶しないでという思いをひしひしと感じて、抱きしめていた腕に力を籠める。俺ってこんなに子供好きだったんだ…… 「嫌いになるわけないだろう?よしよし、そんなに心配しなくても大丈夫だから」 なるべく安心させられるように言葉をかけたつもりだったが、頭をなで髪を梳いても不安そうな表情は晴れない。自分の言動の一体何がこの子を不安にしているのだろうか。叶うことならその不安を少しでも拭ってやりたい。なんと言葉をかけ安心させるべきかと考えていれば控えめな声が響く。 「でも、さっきから名前で呼んでくれない……」 「__あぁ、そういうこと。でもいいのか?もともとの名前があるんじゃないの?教えてくれたら今後はそっちで呼ぶけど」 なんだ、そんなことか。深く考えず、無意識下での言動だったのだがどうやら必要以上に気を使わせてしまったようだ。口がきけないとばかり思って急ごしらえで作った名前よりも本来の名前で呼んであげたほうが良いと思うのだが不満そうな表情で振り向かれる。 「名前は無い。だから呼んで、僕の名前(・・・・)」 眉根を寄せた表情から、まるで花が綻ぶような笑顔へ移り変わるのは見ていて本当に楽しい。俺は何度も名を呼ぶ。ただそれだけでお前が喜んでくれるのなら何度でもその名前を呼ぼう。 ************** すぐ隣から規則正しい寝息が聞こえ始めてそれなりの時間がたった。ようやく眠ったアートを起こさないようにこっそりと立ち上がるとテントの外へと出る。 いつの間にか雨は上がっていて、少し肌寒いものの星が明るい夜空が広がる。なんとなく眠れない俺は散歩がてら周囲を探索することにした。 切り立つ崖の高さは20mといったところか。凹凸があり登れない事はないが所々崩れている形跡があるためそのまま登るのは危険だろう。加えて薄暗い中では視界が悪く取り敢えず明るくならないと事が進まない。上に残してしまった二人は今頃自分たちのことを探し回っているのだろうかと考えると胃が痛い。 適当に梯子でも作って今すぐに上へ出て合流した方が良いのかもしれないが、朝を待った方が賢いと考え踵を返す。テントに戻ろうと思ったがきっと眠れないだろうと今度は別方向へと足を進め散策を続ける。 ぬかるんだ地面に足を取られないよう気をつけながら崖から落ちる直前のことを思い出す。アートのカミングアウトが強烈でつい流してしまっていたが、一人になると頭を占めるのはミュアのこと。俺、なんか恨まれるようなことしたっけ。してないよな。崖から落ちたのは事故だと思いたいけれど、状況的に無理がある。この高さ、アートいなければ大怪我……いや、考えたくはないが死んでかも。明確な殺意を持っての行動。 下手すれば死んでいた、生死を賭けたバンジージャンプの後だというのに、あまりにも展開が急で現実味も無いせいか怒りとかそう言った感情は浮かばない。ピンと来ないと言ったほうが正しいのだろうか。あるのは混乱と疑問だけ。どうして突き落とされたのかなんて考えても分かりっこ無いし手っ取り早く本人に直接聞きたい。会ってくれるとはとても思えないが、突き落とされた側の人間として事情を聴くぐらいの権利があってもいいだろう。もしかしたら何か危ないことに巻き込まれているのかもしれないしな。それなら助けてやらないと。 日本ではなかなかお目にかかれない、雲一つない満天の星空をぼやり眺め思考に耽りながら歩くこと数分。気がつけば随分遠くに来てしまったようで振り返ってももうテントは見えなくなっていた。周囲にこれといった危険は無さそうであるが眠ったままのアートを一人にしておくのは不安で引き返そうともと来た道を引き返す。 その時、戻ろうとするのをまるで誰かが呼び止めるように水の音が聞こえた。
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