1-1

1/1
前へ
/38ページ
次へ

1-1

届いたばかりの採用通知を握りしめ受話器の向こうにいる母親に興奮して合格の連絡をしたのが半月前。10社近く受けて漸く手にした採用通知。就職先は奇しくも俺の地元で、大学進学の為に上京していた俺は実家に帰ることになった。 恋人に恵まれなかった俺は然して心残りもなく借りていた安アパートを引き払い、荷物をまとめた。金欠大学生に引っ越し業者を雇う余裕はなく、ローンで購入した愛車に自ら荷物を詰め込む。 期待半分不安半分。新しい環境に変わる時期特有の気持ちを抱え、エンジンをかけた。この里帰りがとんでもなく長い道のりになるとも知らずに。 と、まぁここまでが回想な訳なのだが、俺こと大久保玲斗はこの時完全に油断をしいていた。 いや、誰でもそうだろ。 何があったか、追って説明するとかなり意味がわからない。 首都高を降りて早1時間。 田舎も田舎のなーんにもない山道を走行していた俺は所謂、違和感ってやつを感じたわけ。といっても何かが明確に変わった訳ではないから、大して気にせずそのままにしたんだけど、そうしたらいきなりナビが動かなくなった。 電波障害かなって思ってナビを操作した。何故かナビゲーションシステムは動作を止め、現在地を示す矢印はうんともすんとも言わない。本当はしっかり停車して操作しないといけないんだろうけど、田舎の山道。車なんて滅多に通らないし、時刻は丑三つ時を軽く越えているから通行車両はそうそういないだろうと高を括って、ながら運転をしてしまった。 これがいけなかった。 次に前方に意識を戻したのは、ドンッと車体が揺れ車内に衝撃が走った後だった。慌ててブレーキを踏むが間に合わず3~4m進んで漸く停車。どんどん血の気が引いていくのと反比例して全身から脂汗が吹き出してくる。力の抜けそうな体を奮い立たせ、車から転がるようにでる。 やってしまった。 ちらりと見えた黒い影は猪だろうか。田舎道を横切る猪など珍しい話ではない。人を跳ねてしまった訳ではないことに酷い安堵感をおぼえつつ、轢いてしまった猪への罪悪感も募る。 車の前にはやはり黒い毛皮の塊が倒れていた。しかし、やけに大きい。パッと見で、4mはある。猪ってこんなに大きかったか?数年前実家に住んでいた頃は猪なんてしょっちゅう見ていたが、さすがに都内にはいないからな。久しぶりに見たから大きい気がするだけか。 ……いや、いくらなんでもそれは無いだろ。 4mの猪なんて聞いたことねぇぞ。 因みに俺の車はボンネットはがっつりと凹んでいるが、走行には問題はないようだ。まだ、ローン残ってんだけどな。心のなかで泣いておく。 そして再び猪に目を向ける。様子を見るに死んではいないようだが、怪我で動けないだろう。 事故を誘発する可能性がある以上、道路のど真ん中に猪を放置する訳にもいかない。かといって動かせる大きさの猪ではないし…… う~ん、う~んと唸っていると視界の隅に何かが見えた。 布? やけに汚れたシーツらしきものが車道ギリギリの場所に丸められている。妙な引っ掛かりを感じてその布に近づく俺。近くで見るとそれはどうやら何かを包んでいるようで、不自然に膨らんでいる。大きさは、そう、ちょうど人が一人包めるくらいに…… またしても俺は全身の毛穴から汗が吹き出でるのを感じた。 まてまてまてまて、こんなところで死体遺棄の第一発見になるなんて冗談じゃ無いぞ。無意識にその場から逃げようとするが、ここで逃げればもっと面倒なことになると思い踏みとどまる。この道には俺の車のタイヤ痕がバッチリ残っている。もし犯人として疑われたりしたら最悪だ。自分の名前が容疑者として上がっている想像をして肌が粟立つ。しかし、杞憂かもしれない。2歩、3歩とその物体に近付きそーっと布を捲る。 その中から現れたのは白骨化しかけた腐乱死体…… ではなく、ぷっくりとした子供だった。 よくよく見てみれば息もある。どうやら死体じゃないようだ。とんでもない現場を発見した訳では無かったことに安心するのもつかの間、直ぐにまた別の疑問が浮かぶ。何でこんな山間部に子供が?まさか、誘拐とか……一難去ってまた一難。誘拐で無いにしても、結局厄介なのには代わりないぞこれ。 立て続けに起こった衝撃の出来事に絶対今日は厄日だ、と心の中で毒づく。そしてふと自分が轢いた猪のことを思い出す。こっちがショッキング過ぎて忘れかけてたわ……。急激な心労に痛む頭をかかえながら、巨大猪の倒れる道路中央を振り向く。しかしそこに猪の姿はない。 「は……?」 煌々と光る車のヘッドライトに照らされた道路には猪は愚か、ある筈の血痕も存在していない。驚きで目を見張る。そこで、はっと気付く。まずい。まさか猪は健在で、この周辺に潜んでいるのではと。だとしたらやばすぎる。いつ襲われてもおかしくないぞ。あの大きさの猪だ、襲われれば普通に死ぬ未来しか見えない。 布の中の子供と猪のいた道路を交互に見る。くそっ、もうどうにでもなれ。俺はボロ布ごと子供を抱き上げると自分の車に押し込む。これで誘拐犯扱いされたら、一体どうしてくれようか。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

157人が本棚に入れています
本棚に追加