猩々峠の真実

1/1
前へ
/11ページ
次へ

猩々峠の真実

 半年後。  ヨリとキョウは小さな村や町を巡り、久しぶりに大きな町を訪れていた。  この辺りでは一番大きな都で、立派な屋敷も多いここには少し縁があり、贔屓の武将もいる。久しぶりに顔を見ようと思い、立ち寄った次第だ。  門を潜ると直ぐに、身なりの良い十代の少年がぱっと表情を明るくして近づいてくる。知った少年にキョウは笑みを見せ、ヨリも薄く笑みを浮かべた。 「ヨリ様、キョウ様、ようこそ(しょう)の都へ!」 「真之介!」 「お久しぶりですね」  嬉しそうなキョウが駆け寄って少年の頭を撫で、ヨリもゆっくりと近づいて笑みを見せた。  この少年の名は波田真之介(はだしんのすけ)。この町に住まう武将、田中幸正(たなかゆきまさ)の小姓をしている。明るく、そして職務には忠実な少年はキョウやヨリから見ても好感が持て、真之介も好いてくれているように思う。  真之介はヨリを見るとぺこりとお辞儀をし、にこりと微笑んでから表情をキリリと変えた。 「本日は是非ともお二人を屋敷にお招きしたい。ついては大人しくついてくるようにと、我が主より伝言を受けております。どうかこのままお越し下さい」 「やれやれ、相も変わらず強引な方ですね田中様は」 「近隣の町や村までお二人がきていると噂で知って、来たら絶対と待ち構えておりましたから。私も大変だったのですよ? お二人らしい人が来ないかと日に三度も門の所で待ちましたから」 「それは、ご苦労な事です」  苦笑するキョウの隣に真之介がつき、滞在中の修練をせがんでいる。キョウもこの少年が可愛いから「いいよ」などと楽しそうにしている。その間田中の相手をするのはヨリの役目となるため数日で暇乞いをしたいのだが……今回は何日の滞在になるか。  それでも穏やかに笑っているのは、ヨリもまたここが嫌いではないからだろう。  ここ、祥の都はここら一体を収める殿様のいる都であり、田中はこの殿に仕える武将の一人。今でこそ争いは少ないが、数年前までは戦場にも出ていた武人である。  大きな屋敷の並ぶ一帯、その中でも立派な屋敷の門を潜ると、当然のように奥の座敷に案内される。客人と対する謁見用の座敷ではないあたり、田中のヨリ達に対する親しさや信頼が見えるようだ。  訪れて少し、出された茶が冷めぬうちに田中が姿を現して上座へと座る。改まって挨拶をしようとするヨリを軽く制して笑った男は、相も変わらず女性が喜びそうな面構えだ。  年の頃は二十代後半から三十くらい。背が高く鍛えられた体つきで、いかにも武人という筋肉の付き方をしている。そのくせ顔立ちは端正で甘く、流し目一つで今夜の女人に困らないだろう男だ。  しかもこの年で独り身。とことん罪作りな男である。 「久しいな、ヨリ。この辺りに来ている事は耳に入っている。来ているのならもう少し早く顔を見せに来てもいいだろうに」 「ご無沙汰しております、田中様。ここに来てしまうとどうしても滞在が長くなってしまいますので、切りの良いところまではと思ってしまうのです」 「それは仕方が無いな。私はお前の話を楽しみにしている。そういえば殿も久しぶりに聞きたいと申していた。そのうち内々で、宴の席を設けよう」 「畏まりました」  とは言ったものの、あまり高貴な方の前は苦手だ。いつ不興を買って首を切られるかと。だが何故か、こうした高貴な方こそがヨリのような異端の語り部を好む。この都の殿様もまた、ヨリの怪談を楽しみ夜通し語らせるという無茶な御仁だ。 「そういえばお前、宇和様の所に行っただろ」  お茶のお替りと団子が出され、旅の話を聞きたがる田中と近い位置で話をする中、ふと思い出したように田中が言う。  ヨリの方も覚えがあるので頷くと、田中は真之介に何やら合図をして退席させた。 「確かに宇和様の所にお招き頂きましたが、どうしてご存じなのでしょうか?」 「二ヶ月程前か、そこの姫君の祝言の席に招かれたものでね。そこでお前の話を聞いたんだよ」 「祝言に? どのような関係なのですか?」 「宇和様の奥方であった貴代殿は、私の剣の師の娘さんなのさ。貴代殿の祝言にも、葬儀にも伺った。この度、久しぶりに宇和様と顔を合わせたのだが、立ち直ったようで安堵した」  そうか、立ち直っていたのか。  思いがけずその後の事を知る事ができ、ヨリは穏やかに微笑む。 「その結婚相手というのは、伊助という青年でしたか?」  ヨリの隣で同じく団子を食べているキョウが問うと、田中は確かに頷いた。 「なかなか良い面構えの青年であった。小夜姫も母親譲りで美しく育って」 「よかった。あの高慢な男だったら俺、今からでも斬りに行きたくなります」 「これは、穏やかではないなキョウ。お前がそれほど根に持つということは、ヨリに何かされたのかな?」 「侮辱され、酒をかけられました。今も許していません」  不機嫌を隠しもしないキョウに、田中は気の毒そうに笑い、ヨリも苦笑してしまう。案外執念深い奴だ。 「気の毒な御仁だな。それにしても酒を掛けられたのか?」 「そのような事もあったかもしれませんが、等に忘れました」 「だ、そうだよキョウ。水に流してやりなさい。何よりその男、おそらく生きてはいないから」 「え?」  田中の言葉に、キョウは虚を突かれたような顔をし、ヨリもまた静かに田中を見た。 「何か、ございましたか?」 「そのようだ。宇和様からお前達の話を聞いて知り合いだと伝えたら話してくれた。実は今日お前達を急ぎ掴まえたのも、これが理由でな」  穏やかな甘い笑みがスッと真剣なものになり、空気が締まる。ヨリもお茶を置いて居住まいを正した。 「奥方の像の中から出てきたのは、屋敷にある品物の価値を書き残した目録と、無くしたと思っていた蔵の鍵だったらしい。それで初めて品の価値を知った宇和様は金貸しの男を捕らえ尋問し、家も改めた。結果、奴は多くの者から何だかんだと理由をつけ、脅すように金品を搾り取っていた事が分かった」  予想通り過ぎてもはや何も言えないが、一つ新左衛門の目が覚めたことは好ましい。これであの男もお縄についたのだろう。  だが、そうであればここで田中がわざわざ話す事もない。もっと簡潔に、話の流れで教えてくれるだろう。ならば、何かあったか。 「これに実家の材木問屋も一枚噛んでいたから大騒動となったが、元々宇和様は聡明であったから、きっちりと責任のある者を処罰し、不当に奪われた分に関してはできる限り元の持ち主に戻す事ができた。宇和様も半分ほどは戻ってきたと言っていたな」 「それは良かったです」 「だが、良くない事もあった。金貸しの男が脱獄したまま、姿が見えなくなった」 「……ほぉ」  悪運は尽きていなかったのか、あの男。  ヨリの脳裏に近江の姿が思い出され、静かに気配は鋭さを増す。それに気づいた田中は苦笑し、首を横に振った。 「正確には、遺体が見当たらないんだ」 「ほぉ?」 「直ぐに気づいて追っ手がかかった。男は猩々峠へと逃げ込んだのだが、途中何やら大きな音がして追っ手が怯んでいる間に、黒い影が男を攫って行ったらしいんだ。複数の者が同じものを見ているので、見間違いとは思えない。怖くなった追っ手の者達は引き返し、これを宇和様に報告してその夜は終いとなった。翌日明るい時にその周辺を探すと、血の付いた男の着物だけが森の中に落ちていたらしい」  猩々峠。その名を聞いた瞬間に、ヨリの口元は三日月の笑みに変わる。  それを見る田中もまた、この男が事情を知っている事を確信した。 「知っている事があるなら申せ、ヨリ。これは、魔物の仕業だな?」 「猩々峠ならば、おそらく吠え鬼が出たのかと」  新左衛門と近江に語った魔物の話。あれの舞台こそが、その猩々峠。今いる祥の都と宇和のいる町とを結ぶ街道にある場所なのだ。  田中は柳眉を寄せる。珍しく腕など組んだ彼に、ヨリは小さく笑った。 「お前、その鬼を狩らなかったのか?」 「そのような事は言っておりませんよ」 「だがお前、その語りを私に聞かせただろ。アレは、怪異そのものから得た話ではないのか?」 「はい、その通りです」 「ヨリ」 「あの辺りで野宿をした折り、偶然に遭遇したのです。目が合いましたので魔物の心を覗く事はできましたが、こちらに敵意を向けるわけでもなく逃げ去りましたのでそのままに」 「なに! まったく……討伐の兵を出すべきか」 「その必要はございません。あれは夜にしか出ませんし、酷く偏食な魔物。田中様は望んでも会うことはできないかと」  ヨリの言葉に、田中は訝しく首を傾げる。ヨリは楽しげに笑い、種を明かした。 「魔物と言うのは時を経て、何を恨み何を呪うのかも分からなくなり、満たされぬ飢えに苦しむ者が大半ですが、ごく稀に恨みを忘れない者もいるのです。吠え鬼もその一つで、故に酷く偏食です」 「もったいぶるな」 「あの魔物が食らうのは、高慢な人間のみ。高慢で、横柄で、平気な顔で他を踏みつけてきた者だけを食らうのです。あの魔物に食われたのならそれは、そのような人間だった。因果応報というものです」  ヨリの言葉に田中は唖然とし、やがて組んでいた腕を解いた。 「しばしは夜間の往来を禁じることとする」 「それが宜しいかと」  魔物退治は犠牲がつきもの。それでも成果が出るとは限らない。最悪、全滅もありえるのだ。おそらく田中はヨリの話を聞いて、部下の犠牲と悪人の犠牲を天秤にかけ、部下を取ったのだ。  話の切りが良いところで、席を外していた真之介が戻って田中に何か耳打ちをする。それに、田中がにっこりと笑った。 「気がかりも晴れた。ヨリ、今日は宴を用意しよう」 「質素でお願いいたします」 「それは出来ぬ相談だ。殿がお前の事を知って今宵当家に足をお運びになる。旅の話や新たな語りを頼みたい」 「……これにてお暇、とはなりませんか?」 「ならぬな」  ニッと人の悪い笑みを見せる田中に、ヨリは溜息をつきキョウは苦笑する。  が、方々を巡り集めた語りは十分にあった。ここは腹を括り、一夜を使って語るのもまた悪くないかもしれない。何よりこうなると、なかなか離してはもらえないのだ。 「ではまずは、心温まる物語を一席」 「ほぉ、珍しい。なんという物語だ?」 「新説・鬼女の婿選びでございます」 【盲の語りと眠り姫・完】
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

33人が本棚に入れています
本棚に追加