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はっとして、女の幽霊はヨリから離れた。白銀の目は再び閉じ、ゆっくりと半身を起こす。そして深く頷いた。
「貴方の無念、確かに聞き届けました」
『伝わったのか?』
「えぇ、勿論。さて……キョウ」
「はい、ヨリ様」
同じく起きていたキョウが半身を上げた。
「ここに、この家の奥方様がいらっしゃいます。見えますか?」
「………………いいえ」
確かに目を開けて辺りを見回すキョウは、少ししてシュンと項垂れる。だがこれに、ヨリは満足そうな笑みを浮かべた。
「上々です。死して三年もの月日が経っておりますのに、貴方は魔に落ちる事なく霊としてあり続けたのですね」
未練が人だった魂をこの世に留める。留まった魂は徐々に歪み、本来の性質を変えて、やがては魔物と化してしまう。強い恨みや憎しみで一気に変容する者もあれば、時が垢のようにこびりついて変容する者もあるのだ。
だがこの奥方は姿も魂も歪んではいない。きっと、未練は残っても恨んではいなかったから。死を受け入れ歯がゆい思いをしながらも、心は清らかであったから。
だがこのままではそうはゆかないだろう。近江がこの家に入り愛しい娘を苛むようになれば、おそらく一気に魔物へと変わっていく。大切な者を守りたいという気持ちの強い女性だ、その為ならば人を食らう事に躊躇いは無いように思う。
「娘さんを、眠らせたのは貴方ですね」
『……そうです。あの男との祝言など、挙げさせてなるものか』
「私もそれには賛成いたします。あの男はこの家に相応しくない」
『だが、どうしたらいいと言うのです。旦那様は私が死んで、悲しみで心が一杯のまま腑抜けております。あの方がしっかりとして下されば、あんな男を入れるはずがないのです!』
奥方の霊もまた、困り果てて俯いてしまう。その魂は少しずつ、歪み始めているように感じた。
「……知恵と力を、貸さないではありませんよ」
『え?』
「あの男を追い出すのですよね? ならば貴方の仰る通り、主人の目を覚まさせてやればよいのです。娘の為に誰が相応しいのかを見れば、目も冷めましょう」
『ですが、どうすれば良いのです? 鬼子母神様がほんの少しお力をお貸しくださいましたが、これ以上は本当に落ちてしまいそうなのです。あの子を眠らせ、日々が過ぎるにつれて私の心は段々と醜くなっていくようなのです』
苦悩する奥方の額は、二つ僅かに隆起している。信仰している鬼子母神の影響だろうが、彼の女神は元は魔物。近づきすぎれば落ちてゆくのだろう。
「貴方が気を確かに持ち、落ちきらないようにすれば良いのです」
『できません! 魔物となれば娘や旦那様を傷つけてしまうかもしれない。そうなっては……』
「大丈夫ですよ」
涙ながらに訴える奥方の霊に、ヨリはにっこりと笑みを浮かべた。
「貴方の始末は私と、そこのキョウが致しましょう」
『お前達は……』
「なに、しがない語り部と、その用心棒ですよ」
奥方の霊は目を見張り、やがて確かに頷いた。
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