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ヒロミのヤケド跡
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安藤ヒロミは、2歳の冬の夜、テレビ番組を見ていました。ヒロミの傍には、沸騰したヤカンが乗った石油ストーブがありました。熱湯のいっぱい入っているヤカンが揺れ始めました。
熱湯が煮えたぎっていたため、ヤカンが落ち、熱湯がヒロミの左脚に掛かりました。2歳のヒロミは大声を上げ、ひどい痛みのために泣き叫びました。
ヒロミのお母さんは、台所から部屋に駆けつけ、何が起こったのかをすぐに知り、冷たい水の入ったバケツを取りに行きました。
お母さんは、すばやく、ヒロミの服や靴下を脱がせ、脚を冷水の入ったバケツに入れました。お母さんは、医者に電話をして、ヒロミを抱え上げ、
毛布に包み、慌てふためいて急いで、病院に連れていきました。
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このひどい経験が基で、お母さんは、石油ストーブを使うことが怖くなり、ヒロミは、火やストーブ、更には、アイロンまでもが、怖くなって
しまいました。
しかし、歳月が経つにつれ、ヒロミは、その恐ろしい経験も忘れて、脚に残るヤケド跡のことを考えないようにしました。
ヒロミが小学校に入学して、初めての夏、生徒たちは、体育の授業として、水泳を習い始めました。6,7歳であるヒロミのクラスメート達は、最初の水泳の時間を、とても待遠しく思っていました。
生徒たちが、洋服から水着に着替えるためには、洋服を全部、脱がなければなりませんでした。
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ヒロミは洋服や下着を、最期に、靴下を脱ぎました。すると、彼女の近くに立っていた3人の友達が、ヒロミの左脚に気付きました。
友達の一人が「ウワー、それは何なの。すごく醜いわね、気持ち悪い」と、言いました。
ヒロミが、その言葉を聞いたとき、全ての感覚が麻痺してしまったのです。それから、泣きたい気持ちになりました。今までに、そんなに酷い
ことをことを言った人は、いなかったからです。
ヒロミは静かに、言いました。「これは、2歳のときのヤケド跡なの。熱湯が脚に掛かって、ヤケドをしたの」ヒロミはとても優しい女の子だったので、更に言いました。
「ヤケド跡で、びっくりさせてゴメンなさい」
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ヒロミは家に帰ると、お母さんに、その出来事を話しました。そして、泣き出しました。お母さんも、泣いてしまいました。お母さんは泣きながら、言いました。
「ヒロミちゃん、許して!ヒロミちゃんがこんな目にあったのは、全部、私のせいよ。許してね。許してちょうだい」
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その年の夏は、靴下を脱ぐときはいつでも、ヒロミは泣き出してしまいました。ヒロミのお母さんは、その事故に責任を感じ、やはり、シクシク泣いてしまうのでした。
ヒロミが泣くたびに、お母さんは、目に涙を浮かべて謝りました。お母さんのせいでは無かったので、ヒロミは心の中に、痛みを感じました。
お母さんの泣き顔を見たく無かったので、すぐに、泣くのを止めました。それでも、痛みと悲しみは、心の中に残っていて、決して消えませんでした。
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10歳になった夏のある日、ヒロミは、学校の図書館で、本と写真を見ていました。広島で、原爆の被害を受けた人たちの写真を見つめていました。
このとき初めて,自分よりもヤケド跡が酷く、痛みも激しく、悲しみもずっと深い人々がいることを知りました。
ヒロミは、図書館のテーブルの椅子に座って、顔にヤケド跡のある人々の写真を見つめていました。彼女は考え始めました。
「私のヤケド跡は、脚にあり、隠すこともできる。でも、この人たちのヤケド跡は顔にあって、隠すことができない。私は、この人たちよりも幸せだわ」
ヒロミは、自分を憐れむことを止めました。また、社会の授業で、先生から聞いた中国の物語を思い浮かべました。
ある貧乏な人がいました。「私は、とても貧乏なので、靴を買うことが出来ません。私は両脚のない人を見るまでは、泣き続けていました」
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