10.動乱

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10.動乱

 セルウィウス・スルピキウス・ガルバと、ティトゥス・ウィニウス・ルフィヌスが執政官、皇帝ガルバの初めての年(西暦69年)。  新年早々、ゲルマニアに駐留する4個軍団がガルバを皇帝として認めないと宣言し、ゲルマニア・インフェリオル総督アウルス・ウィテッリウスを皇帝と宣言した。月半ばにはルシタニア総督オトが皇帝ガルバを暗殺し、皇帝就任を宣言した。二人の皇帝が立ち、両帝の衝突は避けられない情勢となった。  我が軍団は皇帝ガルバ死去の報が入ると、皇帝ネロの仇が打たれたと歓喜の声で沸き立ち、オトが皇帝ネロを裏切ったことは忘れ去られた。皇帝ネロの親友で仇を取ったオトを支持すべきとの意見が大勢を占め、軍団として正式に皇帝オト支持を表明した。  皇帝ウィテッリウスはゲルマニア駐留軍団を糾合し、それ以外の大半が皇帝オトを支持した。総兵力では皇帝オトが上だが、分散していた。一方、皇帝ウィテッリウスは殆どの兵力が手元にあり、その軍団もゲルマニアの戦いで鍛えられた精鋭ぞろい。皇帝ウィテッリウスは先手を打ち、全軍を率いてローマへ進軍を開始した。皇帝オトも近隣の軍団に集結を命じ、我が軍団も出陣を命じられた。  皇帝オトからの命令が我が軍団で発表された日の夜、私はアダに会いに行った。エノクの店に行くと、エノクもアダも不安げな顔で私を出迎えた。エノクが言い辛そうに言った。  「軍団がいなくなったら、どうなるのでしょう?」  私は不安を掻き立てたくないので、できる限り明るい声で答えた。  「大丈夫だ。蛮族が攻めてくる兆候はないし、ウィテッリウスの軍も攻めてこない。」  私はアダの方へ近づき、両肩を掴んで言った。  「近い内に出陣するけど、すぐに決着がつく。そしたらここに戻ってくるよ。」  アダは不安げな表情のまま私の顔を見つめている。私は一呼吸おいてから言葉を続けた。  「戻ってきたら、一緒になってくれないか?」  アダは驚いた様子で、エノクを見た。エノクは同意の意思を示すように大きくうなづいた。アダは再び私の方を向き、笑顔を見せ、目からは涙が流れ落ちた。  「喜んで。毎日枕元で歌ってあげますよ。」  私は思わずアダを抱きしめ、自然と口をついて言葉が出た。  「戦いが終わったらすぐ帰ってくるよ。帰ったら結婚式だ。ローマの法では退役するまで結婚できないけど関係ない。必ずだよ。」  アダは泣きだし、エノクは笑顔で何度もうなづいていた。私はアダを強く抱きしめ、安心感に満たされ、心地よさを噛締めた。  エノクの店を離れ、陣営へ戻る途中で夢に出るブランウェンの姿が頭に浮かんだ。いや、目の前に現れた。泣いてはいないが、いつにもまして悲しげな表情をしている。罪悪感と不安が噴出し、体が凍り、動けない。ブランウェンは近づき、彼女の唇が私の唇と重なりそうになった瞬間に「必ずだよ。」と言った。 それを聞いたとたんに力が抜け、その場に膝をついた。そして思い出した。さっき意識もせず、アダへ言った言葉はブランウェンに言ったのとほとんど同じだ。また、同じことの繰り返しか。また、失うのか。また、自分の手で壊してしまうのか。恐怖が湧き起こり、しばらく頭を垂れて地面を見つめていた。正気を取り戻して立ち上がると、ブランウェンの姿は消えていた。もうエノクの店に行く気が起こらず、そのまま駐屯地へ帰った。
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