11.内戦

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11.内戦

 翌日、日の出前に第3大隊は完全武装で集合を命じられた。練兵場には第3大隊と騎馬の斥候小隊が集合した。プリスクス軍団長は全員に向かって言った。  「第3大隊は先発隊として出動する。軍団本隊は明日、出動する。」  アクイラ大隊長が少し驚いた様子で異議を挟んだ。  「大隊の出動準備はまだ完了していません。食料や騾馬が不足しています。」  各小隊には小隊用のテントを輸送する騾馬が1頭配されるのだが、騾馬が不足しているからテントを分担して輸送しなければならない。騾馬を確保するのにあと数日は欲しいところだ。無理なら行軍途上で手に入れるしかない。 軍団長は憮然として答えた。  「事態は一刻を争う。不足分は追って送る。」  アクイラ大隊長は右拳を左胸に当てて敬礼して答えた。  「分かりました。大隊は直ちに出動します。」  アクイラ大隊長は旗手とラッパ手、大隊副官を従え、先頭へ行き、命令を下した。  「出動準備!」  荷物や盾をぶら下げた棒を掴んで左肩に担ぎ、右手で投槍を持ち右肩に担いだ。他の大隊員も同じことをしている。皆の準備が整ったとみた大隊長は号令をかけた。  「出動!」  大隊はアクイラ大隊長の後ろに続く形で行進を開始した。斥候小隊は大隊を追い越して、先に駐屯地を出た。  アダにもう一度会えずに出動したことに強い不安を抱いた。よりにもよって我が大隊が先陣とは、それも前触れなしの出動とは、何か悪い予感がする。ブランウェンの幻のことも心に突き刺さっていた。  出動して半月もしたころ、中隊の会議でデクリウス中隊長から皇帝オト軍の総司令官が以前のブリタニア総督スエトニウスだと伝えられた。会議に集まった十人隊長は皆、歓声を上げた。スエトニウス司令官の実力はブリタニアで戦った将兵にはよくわかっている。少数の兵で数倍の敵を討ち破った名将だ。ローマ最高の軍団をローマ最高の将軍が率いるのだから、負けるはずがない。そのような声が大隊全体を包んだ。この知らせに私が抱いていた不安も和らいだ。今度はブランウェンの時のようなことは起きない。  出動から一ヵ月、進行方向から伝令がきた。伝令を受けたアクイラ大隊長が号令を下し、中隊長から中隊長へと命令が伝達された。  「速歩!」「速歩!」「速歩!」  大隊は速度を上げ日が沈むまで速歩で行進を続けた。宿営地の建設を完了した後の会議で状況が知らされた。ベドリアクム(現在のイタリアのカルヴァトーネ)近郊で皇帝オトの軍とウィテッリウスの軍が衝突した。初戦では剣闘士を集めて作った部隊が功を焦り敗退した。明日は更に厳しい戦いを強いられそうだから、一刻も早く来い、ということだ。明日では軍団本隊は間に合わない。我が大隊だけで、それも速歩で行軍して疲れ切ったところで戦うことになる。余計な装備はここに置いていき、軍団本隊に持ってきてもらい、最低限の装備で行軍する。  翌日、宿営地をそのまま残して出動した。朝食は行軍しながらとり、昼頃に戦場を見渡せる丘に達した。戦いは二カ所で行われていた。南に布陣する軍が北に布陣する軍を押している。おそらく南に布陣しているのが皇帝オトの軍で北がウィテッリウスの軍だ。我が方が有利に戦いを進めている。 我が大隊は急いで丘を下り、近い方の戦場へ向かった。戦場に到着すると戦況はすっかり逆転していた。南に布陣していた軍は総崩れに陥っている。南の軍団は友軍の第13「双子」軍団で北は敵の第5「雲雀」軍団だ。我が大隊は第5軍団の側面を捉えた。アクイラ大隊長が号令を下した。  「駆け足!」  大隊は一斉に走り出した。アクイラ大隊長は投槍が届く距離に来ると、叫んだ。  「投擲!」  皆、走りながら個別に投槍を投げた。勝ち誇って走り出していた第5軍団は投槍が飛んでくるまで我が大隊の存在に気が付かず、投槍が飛んでくると隊列を乱した。私の投槍は敵兵の足に当たり、敵兵は転倒し、更に別の投槍が当たって、動かなくなった。そこでもう一本の投槍をより遠くの敵兵の塊の中へ投げ、投槍がどうなったか確認する間もなく、盾を構えて剣を抜き敵の中へ飛び込んだ。  隣の兵とほぼ同時に飛び込んで隊列を維持しながら、敵を押した。これだけ混乱した状況でも隊列を維持して盾を連ねていられるのも訓練の賜物、我が軍団が最強である証だ。敵は完全に隊列を乱し、盾を構えることもできない。盾で敵を突き飛ばし、鎧の隙間へ剣を刺し、或いは喉を貫き、口から剣をねじ込んだ。もう何人刺したかわからない。敵の死体が増えていく。アクイラ大隊長の号令が聞こえた。  「後退!」  後退だと。どういうことだ。疑問に思い周囲を見渡すと、混乱して走り回る敵の背後に隊列を整えた敵がいた。前方だけでなく、左右にもいる。このままでは包囲される。隊列を整えてまずは後ずさりし、追いすがってくる敵を退けつつ退却を始めた。  敵が完全に立て直して攻めてくると、背後にも敵が回り込み、整然とした退却ができず、敵味方入り乱れての斬り合いに陥った。こうなると、ローマ兵本来の剣術より剣闘士の戦い方が有効だ。私の小隊の周りの敵が態勢を立て直そうと、引き下がった。その隙に他の小隊との合流を図ろうとしたが、我が小隊は孤立していた。大隊は分断され、あちこちで乱戦を戦っている。 乱戦が起きている場所を取り囲むように敵の陣列が整えられている。まだ完全には整っていない。敵は全体として一度退いて包囲を整えようとしているようだ。前方の敵がこちらへ向かって進み始めた。兵力は半個中隊くらいか。まともに戦ったら勝ち目はない。  私は小隊を集合させた。部下は4人しかいない。1名は首を突かれて戦死し、2名は行方不明だ。周囲を見渡して突破できそうな場所を探した。盾を連ねて守りが堅そうに見えるが、布陣が薄く突破できそうな場所があった。次の敵が来る前に決断する必要がある。私は部下に叫んだ。  「密集!」  私を先頭に4人の部下で三角形を作る。敵を欺くために、我が方へ向かって進み始めた敵の方を向いた。剣を振り上げ、号令を下す。  「前進!」  ゆっくりと前進すると、向かってきた敵は隊列を整えようと速度を緩めた。その瞬間、私は右へ旋回しながら号令を下した。  「右へ!」  部隊の向きを最初に狙った敵の方へ向け、速歩で進んだ。敵は不意をつかれて、動揺している。盾が揺らめき、間隔が広がった。我が小隊が近づくにつれて、敵の盾の間隔が詰まってきた。我が隊の行動を予想していたら、ここで突撃してくるはずだが動かない。不意打ちは成功だ、先手を取れる。 問題は、このまま盾をぶつけても敵の陣列を崩せない。盾同士の激突など訓練で何度も経験している。予測もつかない方法で最初の一撃を加え、敵を攪乱する必要がある。不意にブランウェン相手の試合が頭に浮かんだ。剣をかわして宙を舞い、私の胸を蹴り飛ばした場面だ。跳ぶのか、いい考えかもしれない。私は剣を敵の方へ向け、大声で叫んで走り出した。  「突撃!」  走り込んで敵の盾へ向かって跳び、両足で盾を蹴った。両足で盾に着地する感じだ。敵は吹き飛ばされ、後ろで支えている敵も巻き添えで転倒した。大きな悲鳴が上がった。両足を引っ込めるようにして屈んだ姿勢で着地し、立ち上がりざまに左の敵を力任せに盾で突き飛ばし、次に右の敵の喉を剣で貫いた。両側の敵が倒れる気配を感じながら前方で倒れている敵の盾に飛び乗り、口の中へ剣を突き立てた。一瞬のことで敵が止まって見えた。周囲の敵は事態を飲み込めず、動揺して悲鳴を上げ、転げまわっている。私は剣を大きく上げて叫んだ。  「続け!」  敵の隊列を走り抜けて振り向くと、敵部隊は完全に隊列を乱し、左右へ別れて散っていた。味方がこの隙間めがけて殺到し、突破口が開かれた。  私の小隊は包囲を突破し、最初の丘の上にたどり着いた。小隊員は私も合わせて4名に減っていた。最後の突破の際にも一人失った。部下が私の行動を語り合っていた。部下からは、私が突然飛んで10人以上の敵を一瞬で刺し殺したように見えたようだ。しかし、実際に刺したのは二人だけだ。  他の小隊も戻って来たが、大きく減少している。日が沈みだした頃に、デクリウス中隊長が戻ってきたが、右手首より先を失っていた。敵軍は主力を追ってベドリアクムへ向かい、我が大隊への追撃はなかった。  生き残った百人隊長はデクリウス中隊長と、アクイラ大隊長だけだ。しかも、デクリウス中隊長は重傷だ。「少年隊」の十人隊長で残ったのは私だけ。中隊副隊長の百人隊副官は戦死し、8名の十人隊長は戦死するか行方不明だ。「少年隊」の兵員は22名しか残っていない、その内10名が負傷している。戦えるのは12名しかいない。唯一残った十人隊長の私が臨時中隊長に指名された。デクリウス中隊長は指揮がとれる状態にない。我が軍の完敗だ。  夜明けまでに、さらに少数の兵士が戻ってきた。しかし、百人隊長や「少年隊」の十人隊長は誰も戻ってこない。  翌日、日が傾きかけた頃、軍団本隊が到着した。我が大隊の兵は軍団から荷物を受け取ったが、持ち主のいなくなった荷物の方が遥かに多い。デクリウス中隊長他、重傷者の移動も始まった。カルヌントゥムへ戻して治療に専念してもらう。軍務を続けられない者は退役になる。  私はデクリウス中隊長にアダへの伝言を頼んだ。「必ず帰ると」。デクリウス中隊長は快く引き受けてくれ、夕刻に他の負傷者と共に馬車でカルヌントゥムへ帰って行った。軍団は丘の上に宿営地を築いて敵を待ち受けたが、敵は来なかった。  軍団が到着して1日経ち、戦いが終わったと知らされた。皇帝オトが自殺し、ウィテッリウスの皇帝即位が決まった。この後、様々な情報が軍団に届き、戦いの実情が知れた。  最高司令官はスエトニウス将軍ではなかった。スエトニウス将軍は名ばかりの司令官で、実権は実戦経験のない皇帝オトの兄ルキウス・サルウィウス・オト・ティティアヌスと、近衛軍団長リキニウス・プロクロスが握っていた。 実戦経験の乏しい第13軍団とか、編成したての第1「増援」軍団を実戦経験豊富な第5軍団や、第21「無敵」軍団にぶつける稚拙な戦いぶりの説明もこれで付く。スエトニウス将軍は戦いを引き延ばすよう勧告していた。時間がたてば、我が軍団だけでなく、パンノニアやモエシア、ダルマティアからさらに多くの軍団が到着する。5個軍団は期待できる。しかし、二人の司令官と皇帝オトは勧告を聞き入れなかった。  皇帝ウィテッリウスからブリタニアへの移動が命じられた。我が軍団はウィテッリウスの皇帝即位を認めなかったが、移動命令には従った。兵の多くは再戦を叫んでいた。先発隊が戦いに巻き込まれただけで、我が軍団は負けていない。たとえ相手が2個軍団だろうと負けはしない。それがゲルマニアの精鋭軍団だろうとだ。それを裏打ちするように我が軍団がブリタニアへ向けて移動中に、ローマへ進路を変えたとの噂が何度かたち、ローマを震え上がらせたそうである。実際には一度としてそのような企てはなかった。  皇帝ウィテッリウスは我が軍団を恐れ、第14軍団補助軍を監視につけた。昔、父の時代には我が軍団直属の支援部隊として一緒にいた部隊だ。ブリタニア遠征に伴い分離され、補助軍はゲルマニアに残留した。 補助軍は当初、近くに布陣していたが、アルプスを越えてからは遠くに布陣して監視していた。我が軍団と幾度も諍いを起こしては追い散らされたせいか、我が軍団を恐れるているようだ。我が軍団が進路を変えたとかの噂の発生源は、おそらくこの補助軍の奴らだろう。
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