12.故郷

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12.故郷

 我が軍団が出帆した後も補助軍の連中は浜辺から監視していた。私は大陸を見て島を見ないようにしていた。船尾でくつろいでいると眠気がさし、ブランウェンのことが頭に浮かび、徐々にブランウェンの姿が目の前に現れた。いつもの夢の中と違い、僅かに微笑んでる。目が覚めると、島が目に入った。寝ている間に島の方に頭を向けていたようだ。島を出た時と違い、虚ろな感じで何も湧いてこない。  ブリタニアでは昔使っていたウィロコニウムに駐留した。我が軍団の兵はブリタニアから出ることが禁じられた。例外は退役した兵だけだ。手紙も制限され、兵の不満が高まった。家族が地元にいるブリタニア出身の兵はいいが、大陸出身の兵は家族と連絡が取れないことに不満を訴え、カルヌントゥムで内縁の妻や私生児を設けた兵に至っては脱走や反乱を起こしかねない勢いだ。私も早くアダを迎えに行きたかった。  我が軍団は再編成を行った。補充兵は来ない。大隊や中隊の兵力を均衡させて将校の穴を埋めるだけだ。私は百人隊長へ昇進し、「少年隊」の中隊長になった。傷が癒えた兵や他の大隊から移籍した兵が入り、兵員数は52名になった。欠員が28名もいる。  部隊の編成も終わり落ち着いた頃、ユダヤ総督ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌスが皇帝即位を宣言した。ウェスパシアヌス総督は皇帝オトを支持し、軍をローマへ進めようとしたが、皇帝オトの死で計画を断念していた。再びローマ進軍を狙うようだ。  我が軍団は歓喜に沸いた。復讐戦ができると盛り上がったが、ブリタニアの他の軍団も艦隊も動こうとしない。戦いを傍観しているだけだ。私はこの機会に墓地を見てくることにした。軍団が内戦に参加できないのがはっきりしたので、休暇の許可は簡単に下りた。  4日かけて、墓地の見える丘に至った。丘の上にブランウェンが立っていた。長い黒髪を風にたなびかせ、私を見つめ、悲しげな表情をしている。丘を上り、手を伸ばすと彼女の姿は風に消えた。墓地の方を見ると、畑しかない。青い大麦が一面に広がり、畑で作業する人が疎らにいる。アウルスが約束を破った。怒りが湧き起こり、丘を駆け下りて一番近い人影へ走った。  くたびれたトゥニカを着た老人だ。ここにあった墓地や、アウルスについて訊ねた。老人はアウルスに買われた農業奴隷だった。半年前にアウルスは古傷が悪化し、足が腐って死んでしまった。アウルスには身内がいなかったため、残された土地と奴隷は皇帝属使の采配で近所のローマ貴族が引き受け、墓地は破壊された。  老人は私に畑の隣の森へ来るように促した。森に入ると、40本の墓石が立っていた。老人が言うにはアウルスが墓を大事にしていたから、大切な人の墓だと思い、破壊される前に移動して手入れをしているそうだ。私は老人に感謝し、持っていた貨幣を全て渡した。老人は何度も頭を下げ、畑へ戻った。墓地の少し先にブランウェンが立っていた。両手で顔を隠し、泣いている。空虚な気分だ。私の代わりにブランウェンが泣いている。一時とはいえ、アウルスを疑ったことに自責の念が湧いた。 しかし、まだ神木とブランウェンの墓が残っているはずだ。不安を抱きつつ、神域へ向かったが神域近くの丘に立つと、何もなかった。周辺の木は全て切り払われ、畑になっている。以前、ブランウェンの墓があった付近にヴェールで頭を覆った誰かが立っている。話を聞こうと、急いでその人の処に行くと、その人はこちらを振り向くと同時に消え去った。ヴェールで顔を隠していたが、あの菫色の目は間違いなくブランウェンだ。墓地も神域もなくなり、スィールの村も既にない、親友も身内もいなくなった。もう、ここに帰る所はない。  駐屯地へ戻ってからは訓練と、巡回の繰り返しの日々が戻ってきた。墓地には二度と行かなかった。  ローマの混乱に乗じ、ブリタニア北部のブリガンテス王ウェヌティウスが、元妻の女王カルティマンドゥアに戦いを仕掛け、女王はローマに支援を要請した。私は戦いを期待した。とにかく何も思い出す暇もないくらいに働いていたかった。戦いになれば、しばらくは気持ちも楽になる。しかし、我が軍団は出動しなかった。トレベッリウス総督は本気で戦う気はなく、少数の援軍を出しただけで、戦いは膠着状態に陥った。  冬に入ると、皇帝ウェスパシアヌスを支持する軍団が勝利し、皇帝ウィテッリウスは自決した。皇帝同士の戦いは終わったが、内乱の影響から各地で暴動や軍団の命令拒否が相次ぎ、動乱は収まりそうにない。特に、属州ゲルマニア北部のバタウィ族(現在のベルギーにいた部族)の反乱は深刻だった。駐留軍の大半はウィテッリウスと共にローマへ進軍して反乱を抑える戦力がない。  皇帝ウェスパシアヌスの勝利に伴い、我が軍団に課されていた制限は解除された。私は長期休暇を申請し、大陸へ渡る許可を求めたが、休暇も大陸行きも許可されなかった。アダに私の現状を知らせ、アダの現状を知らせるように促す手紙を書いた。念のためにエノクとデクリウス百人隊長にも手紙を出した。
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