13.不安

1/1
前へ
/20ページ
次へ

13.不安

ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌスと、その息子のティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌスが執政官、皇帝ウェスパシアヌス最初の年(西暦70年)。  皇帝ウェスパシアヌスは東方で帝国の掌握に務め、ローマでは皇帝から派遣されたシリア総督ガイウス・リキニウス・ムキアヌスと皇帝の息子ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌスが事態の収拾に動いていた。  ムキアヌス総督は軍団を掌握すると、バタウィ族の反乱鎮圧に動いた。反乱はゲルマニアからガリア(現在のフランス)に広がり始めていた。ガリア周辺に駐留する軍団と内戦でローマに進軍した軍団、合わせて9個軍団が反乱鎮圧に動員された。ローマ全軍29個軍団のだいたい三分の一の戦力だ。主力はイタリアの5個軍団で、内戦では敵味方に分かれて戦った軍団だ。他にゲルマニア駐留の1個軍団と、ヒスパニアからは2個軍団が派遣される。ブリタニアからは我が軍団がブリタニア艦隊の支援で大陸に上陸する。  出帆後は船尾で島を眺めていた。最初の時と違い何の感情も湧いてこない。ブランウェンも現れない。やはり、ブリタニアからついてきた精霊だったのだろう。泣いてばかりいる所からすると、「泣き女」バンシーだろう。もう、私に未練がないのかもしれない。今やあの島は私の帰る場所ではない。私の帰る場所はアダが待つカルヌントゥムだ。この戦いさえ終われば帰れる。  上陸後は大した戦闘もなく進んだ。我が軍団が現れると地元民の大半は抵抗もせずに降伏した。ある部族に至っては積極的に協力し、反乱を起こした部族を攻撃した。全軍は周辺地域を制圧し、反乱の本拠たるバタウィ族の領域へ包囲の輪を縮めるように進んだ。我が軍団が包囲の最北を担当していた。  反乱を起こしたバタウィ族の領域に到着すると、我が軍団と合わせて5個軍団が集結していた。戦いの主力はゲルマニア駐留軍で我が軍団は予備に回り、丘の上から戦いを眺めるだけだった。敵は沼を無理に押し渡り、遮二無二攻撃をかける。攻撃は激しく、我が軍団の出番が来るかもしれないと期待していたが、騎兵隊が背後に回ると敵は総崩れに陥り、我が軍団の出番もなく戦いは終わった。  戦いが終わると、我が軍団は属州ゲルマニア・スペリオルのモグンティアクム(現在のマインツ)へ移動を命じられた。命令を聞いて落胆した。戦いに参加もできず、アダの元へも帰れない。モグンティアクムからだとカルヌントゥムへは急いでも半月はかかる。  モグンティアクムに到着すると長期駐留に備えた準備が始まった。モグンティアクムは第14軍団の本来の駐屯地だ。父はここで入隊した。私は長期休暇を申請したが、却下された。ここでもアダとエノク、デクリウス百人隊長に手紙を出した。軍団宛の手紙が転送されてきたが、私宛の手紙は1通もなかった。ブリタニアを出てから何度も手紙を出してるが、音沙汰がない。もしアダに何かあったとしてもエノクやデクリウス百人隊長の返事までないのは何かおかしい。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加