16.女奴隷

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16.女奴隷

 モグンティアクムに戻ると先任百人隊長に昇進し、第3大隊長に就任した。アクイラ大隊長は主席百人隊長へ昇進し、第1大隊長に栄転した。第1大隊長退役に伴う、人事異動だ。我が大隊はベドリアクムの戦いと、邪教徒討伐で高い評価を受けていたのが決め手なようだ。  昇進を機に跡継ぎを作ることに決めた。妻を持つのではなく、奴隷を買う。給料の使い道もなくだいぶ貯まっていた。少々高い買い物をしても全く問題ない。準備として駐屯地から少し離れた丘陵の打ち捨てられた家を買った。いつの日にか息子と共にここへ砦を作る。ギリシアの詩人によると、嫁を貰うには30歳がよい、早くても過ぎてもならぬ。嫁は16歳位がよい。私も子を作るに丁度良い歳だ。  奴隷市場へ行き、奴隷を見て周った。目的はゲルマニア女を購入することだ。健康で従順な女がよい、若い方がよい。市場を一周したが、よい女が見つからない。化粧が濃い娼婦のような女や、歳のいった女、体格がよすぎる女ばかり。娼婦か、農業や家事を目的とした奴隷ばかりだ。  日も落ちかけた頃、一人の女が目に留まった。少し縮れた感じの赤毛に緑色の目で肌は褐色、薄汚れたトゥニカを着ていた。活き活きとした木々のような瞳がまず目についた。背格好はアダを思わせる。歳の頃は十代後半か、もしかしたらブランウェンが死んだ歳と同じかもしれない。丁度いい年齢だろう。 奴隷商人に声をかけると、ゲルマニア人で生娘だが問題があるという。口が利けないし、頭も弱い。試しに話しかけてみると、微笑むだけで理解しているように見えない。ラテン語、ギリシア語、ブリテンの言葉、ゲルマニアの言葉と知っている全ての言葉で試したが、理解できないようだ。口を開けて何か話そうとするが、音を出しているだけで言葉にならない。舌に問題があると思い、確認したが問題は見つからない。  奴隷商人はウェレダと呼んでいた。名前を呼ぶと反応する。名前は理解できるようだ。子供を産むだけなら、この方が都合が良い。若いゲルマニア人の生娘だが、言葉が話せず、体格も華奢で子を産むには不安があり、肉体労働にも向かず、とにかく汚い。おかげで三百セステルティウスと極めて安い価格で購入できた。 緑の瞳がブリタニアの森のようで、どうしても気になり購入を決めた。幾分赤茶げてはいるが、豊穣神ケレスと同じ黄金の髪も気に入った。私の豊穣神としてよい子を産んでくれるだろう。ただ、これだと十年か後に売る時は値段が付かないだろう。もう一つ残念なのはアダのように歌えないことだ。  汚れが酷いので途中で石鹸を購入し、家に連れ帰り、体を洗ってやった。服を脱がしても、体を洗っても笑顔で恥ずかしがる様子がない。ブリトン人と同様に裸に対する抵抗が小さいのだろう。それとも単に頭が弱いだけかもしれない。 体を洗ってやると肌と髪の色、髪質が変わった。肌の色はアダよりも濃い褐色で、髪はアダよりは金に近い赤毛と思っていたが、肌はブランウェンよりも白く、髪は金貨よりもまばゆい黄金でブランウェンと同じ真直ぐな髪質だ。かなり長い間、体を洗っていなかったのだろう。黄金の髪にスマラグドゥス(緑色の宝石全般の名前)のような目、透き通る白い肌、人の言葉を話せぬ薄い桃色の唇、神秘的な雰囲気が漂っている。名前はゲルマニアで名高い巫女ウェレダと同じ。 何か尋常ならざる理由で奴隷に落ちたのか、人の世に迷い込んだ精霊かもしれない。人の子を産めない精霊だと困る。ブリタニアの精霊がその美しさを惜しみ、再生の大釜で復活させた人ならざる人なのかもしれない。大鍋で復活した人は言葉を失うと聞く。しばらく自由にして様子を見るといいだろう。精霊なら立ち去るだろうし、復活した人ならば子も宿せるだろう。 体を洗った後に食事を出した。手で貪り食い、顔全体にリクアメン(魚醤のような調味料)がついたが気にする様子はない。終始笑顔で食事が楽しそうだ。  食事が終わったら、片づけて顔を拭いてやり、そのまま服を脱がし、うつ伏せにしてテーブルへ押し付けた。異常な事態に気が付いたのか、様子が変わった。声を上げ、腕や足をばたつかせて拒否の意思表示をしている。精霊なら簡単に逃げ出せるはずだ。私は片手で彼女の両手を押さえつけ、足の間にオリーブ油をかけた。そして無理矢理行為に及ぼうとしたが、このような行為が初めてのせいかうまくいかない。ようやくうまくいくと鋭い悲鳴が上がり、血が流れだした。何度も繰り返すうちに悲鳴は泣き声に変わった。  ウェレダの背中に広がる黄金の髪を見つめながら続けていたが、顔を上げるとブランウェンが立っていた。立ち去ったと思っていたが、ウェレダが呼び寄せたようだ。やはりウェレダは精霊、或いは精霊に愛されし人なのだろう。ブランウェンは悲しげな顔に大粒の涙を流し、掌は固く握られている。ブランウェンを見つめながら、なおも激しく続けた。ブランウェンの姿をした精霊のバンシーだとしても、バンシーは泣くしかできない。気にする必要はない。それに、ブランウェンが何であろうと、今は私にしか見えない只の幻だ。事が終わった後でウェレダをそのままにして体を洗って寝た。  翌朝、ウェレダは食堂の隅で寝ていた。起こすと、彼女は笑顔で声を上げた。彼女の体を洗った後で、朝食を出すと、昨日と同じ笑顔で貪り食っていた。まるで昨日のことがなかったようだ。パンとチーズを皿に入れ、ぶどうの搾り汁が入った壺をテーブルの上に置き、出勤した。ウェレダは椅子に座り、不思議そうな表情で私を見送った。逃げ出しても構わない、逃げ出したら次を買えばよい。  夕方に帰宅すると、家からウェレダが飛び出し、しがみついてきた。何か伝えようと喉から音を出しているが何を言っているのかわからない。そもそも声になってない。私は腕を引かれて食堂へ連れていかれた。食堂に入るとテーブルの上に焼いた魚と肉が乗った皿が置いてある。彼女は皿を指出して声を出す。リクアメンがかけてあるが、かけすぎだ。魚は川魚、肉は兎だ。食堂の端にナイフと魚の腸、兎の皮などが無造作に散らかっていた。火もここで起こしたようだ。焚火の跡まで残っている。  私が魚と肉を食べると、ウェレダは飛び上がって喜んだ。その隣に、ブランウェンが立っていた。いつも私を見つめるのに、ウェレダを笑顔で眺めている。私には目もくれない。食事が終わった後で、床を指さしてから床を掃除した。掃除している間、ウェレダは位置を変えながら私の周りを廻り、私のしていることを観察していた。掃除を終えた後で、台所へ行き牛乳と蜂蜜と卵を混ぜて焼き上げたフランを作った。料理の間もウェレダは私を観察していた。食べさせると唸り声を上げて喜んでいた。 食事を終えた後で、ウェレダの体を洗ってからテーブルに押し付けた。ウェレダは怯えていたが、抵抗しなかった。事を始めると、悲鳴を上げて泣き出した。ブランウェンは昨日と同じようにそれを見ていた。私も同じように事をなした。  翌日も同じように過ごして帰宅すると、料理が並んでいた。リクアメンの量も丁度良く、フランまで用意されてた。食堂全体が綺麗に掃除されている。昨日のことで学んだのだろう。あとは全て前日と同じで、ウェレダは叫び声を上げた。  ウェレダは私を観察し、日毎にできることが増えていった。狩りは元々できるようだ。ほぼ毎日、魚や兎、鳥などを捕ってくる。猪が出てきた時には驚いた。どんな道具を使っているかわからない。この家には槍も弓も置いていない。私の作った武器は全て駐屯地に置いてある。あるのは調理用のナイフと、斧くらいだ。  日々進歩するウェレダを見ている内に私も面白くなり、色々教えるようになった。頭が弱いわけじゃない。言葉を理解できないだけで、飲み込みが早い。私が手本を見せただけで、ある程度はできるようになる。  夜の日課を和らげてやろうと思い、パスティナカ(パースニップ)の種をウェレダに処方した。子宮の苦痛を和らげ、妊娠を促進し、媚薬効果もあると言われている。すり潰したものを食事に混ぜて食べさせた。クリュソコメ(伊吹麝香草)の根も試した。出汁を蜂蜜に混ぜて飲むと子宮の痛みを和らげると言われている。とにかくわかる限りの薬を試した。 ウェレダが苦しみ続けるようなら性欲促進剤サテュリオンを使うことも考えた。材料に諸説あるが、テリュゴノン(山藍)やクラタエギス(山査子)の種なら手に入る。幸いなことにサテュリオンを使うまでもなく、薬が効いてきたのか、日毎に叫び声も、泣き声に変わり、徐々に声を出さなくなった。ブランウェンの姿もそれに合わせて、穏やかな雰囲気に変わっていった。  ある日、食事をしていると、ウェレダの脇にブランウェンが現れ、ウェレダがブランウェンの方を見て声を発した。ブランウェンは笑顔で相槌を打ち、聞いている様子だ。信じられずに、目を深く閉じて頭を振った。再び目を開けると、ブランウェンは消えていた。ウェレダは夢中で食事を口に運んでいる。  非番で一日空いた日にウェレダを町へ連れていくことにした。貨幣の使い方を教えるためだ。数日前に購入した上等の白いストラにキプロス産のスマラグドゥス(孔雀石)を配った留め金、外衣の青いパッラをウェレダに着せ、髪をブランウェンがしていたように頭の後ろでまとめてやった。最初はウェレダの目の色に合わせてスキタイ産のスマラグドゥス(エメラルド)の留め金を買うつもりだったが、これは高価に過ぎた。 家を出るとウェレダは左腕にしがみつき、体を寄せ、左腕に頭を擦り付けて楽しそうにしている。たまに顔を上げて私の様子を窺い、その度に満足そうな顔をする。穏やかで不思議な感覚に満たされる。ブランウェンやアダに感じた喜びの感情とはだいぶ異なる。喜びに伴う躍動感がなく、気持ちが落ち着き安心感を伴う、そんな感覚だ。  町は駐屯地を囲むように広がり、駐屯地の入り口からまっすぐ伸びる道の両側に商店が並ぶ。住民だけでなく、兵も多く行き来している。町の入り口で哨所の前を通ると、警備の兵が私の顔を認めて立ち上がり、驚いた顔をして右拳を左胸に当て敬礼をした。困ったことに私は軍団でも、住民の間でも広く顔が知られている。ブリタニアのヘラクレス、チャンピオン、大隊の救世主、神罰の代行者など様々な名で呼ばれる。軍団表彰を幾つも受けた軍団の有名人というところだ。  町に入ると、以前に私の中隊副官をしていたマルクス・アセリウス百人隊長に出会った。マルクスは驚いた顔をし、敬礼して話しかけてきた。  「大隊長、こちらはどなたです?」  私はできる限り落ち着いた声で答えた。  「奴隷だ。」  マルクスも警備の兵と同じように驚いた顔で言った。  「申し訳ありません。余りに仲睦まじいので奥様かと思いました。」  私は恥ずかしくなって訊ねた。  「そう見えるか?」  マルクスは笑顔で再度敬礼して答えた。  「はい。そう見えます。これほど穏やかな表情の大隊長を見るのは初めてです。」  私は頭を落とし、ウェレダを見ると私の左腕をしっかり抱きかかえ、満足げな表情をしている。  店を巡り、買い物をしていると店主や客から好奇の目で見られ、質問を浴びせられた。私は普段どれほど厳しい表情をしているのか、そして今日はどれほど表情が緩んでいるのか、思い知らされた。ウェレダは私の左腕にしがみついて笑顔を振りまいている。ただ、声が出ないのを哀れに思ったり、憐憫の表情をする者も多くいた。  食料や衣服をいつもより多く買い、家へ帰った。衣服は全てウェレダの物だ。ウェレダは貨幣を並べたり、指さして遊んでいる。買ってきたものを並べ、その上に貨幣を置いている。並べ方を見ると、貨幣の価値を理解しているようだ。物の上にそれに支払ったのと同じ額の貨幣を置いている。理解力もさることながら、記憶力もかなり良い。  その日もいつも通りに日課をこなした。ウェレダは泣き叫ばなかった。事の間、仰向けになり、私にしがみついてくる。私もウェレダを抱き返していた。どうも情が移ってきたようだ。ブランウェンやアダのことが思い出され、情が移るのは危険な気もした。また、同じことが起こるかもしれない。そんなことを考えながら顔を上げると、ブランウェンが微笑みを浮かべて立っていた。その姿を見たとたんに、なぜか不安が消えた。  それ以来、ウェレダを町で見かけたと声を掛けられる。ウェレダは何を買うわけでなく、店を見て周る。声は出ないが愛想がよく、婦人方の間で人気があるようだ。お土産を持たせたと言われることもある。そんな日に家へ帰ると、食卓に魚や肉と一緒に果物やパンが並んでいる。ウェレダの神秘的な容姿と無邪気な様子を心配して注意してくれるご婦人も多い。  試しにある朝、ウェレダにデナリウス銀貨(=4セステルティウス)を20枚渡した。それでウェレダの服を指さし、服を買うように伝えてみた。帰宅するとウェレダは私がいつも着ている赤いトゥニカと、凝った彫り物があしらわれた胸鎧を買っていた。私に差し出し、着るように促した。ウェレダの服を買うように伝えたつもりだったが、うまくいかないものだ。  ウェレダと暮らしていると驚くことが多い。同時に、安心感が心を覆い、穏やかな気持ちになれる。半月もすると、指示をする必要はなくなっていた。ウェレダは一人で家のことを取り仕切るようになっていた。町の住民との関係も良好だ。それでも言葉が通じないのは不便だと思い、ラテン語で文字を書くことを教えた。一ヵ月もすると、文章は無理だが、単語を並べて意思表示ができるくらいには上達した。  ある日、ウェレダが百人隊長用の鎧の胸にぶら下げる飾りメダルを持ってきた。猪をデザインした完成度の高いメダルだ。昔、私が父の部下ロブルに贈った物とは比べ物にならない。かなり値が張ったのだろうと思い、ウェレダに訊くと、ウェレダは粘土板に「作る」と書いた。意味が解らなかったが、それ以上は詮索しなかった。  翌日、鎧にそのメダルをつけて町を歩いていると装飾店の店主から声を掛けられた。店主によるとウェレダが木彫りの装飾品を持ち込むそうだ。完成度が高く、売れ行きがよい。私が着けているメダルはウェレダの彫り物から金型を作り、作成したものだった。  他の店で訊ね歩くと、他にも魚や肉などの食材、薬草なども売り歩いているようだ。最初の頃、店主たちは私に遠慮して付き合いがてら買い取っていたが、質が良い物が多く、今では商売として取引していると言う。貨幣の使い方を覚えたと思ったら、もう稼ぎ方まで身に着けていた。薬屋で聞いたところでは薬草の知識にも長けている。奴隷になる前に身につけた知識だろう。  金物屋では金属加工の道具を買い揃えていた。金物屋が使っている職人より、腕がよいそうだ。奴隷になる前のウェレダについてはゲルマニア人の娘としか聞いていないから、何をしていたのかわからない。知る必要もない。ウェレダが商売をしているからと言って、私の邪魔になる話でもない。私の財産が減らない理由もこれではっきりした。ウェレダが稼いで生活費を出していたからだ。  ウェレダの商売を知ってから二ヵ月後にウェレダが鷲と猪をあしらった胸鎧を持ってきた。どうしたのかと聞くと、粘土板に「作る」と書いた。どうやらウェレダが作った物のようだ。
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