5.砦

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5.砦

 埋葬を終え、私たちは焚火を囲んで次の命令を待っていた。皆、無言で火を見つめている。デクリウス十人隊長が会議から戻ってきた。手には中隊長から出された命令書を持っている。命令が書かれた木片だ。デクリウス十人隊長は木片を掲げながら皆に言った。  「偵察任務だ。」  私はデクリウス十人隊長に願い出た。  「小隊長、私はここの出身で地理にも明るいです。私に偵察任務をご命令ください。」  デクリウス十人隊長は何かを察したような顔をして私の肩を叩いて言った。  「そうか。頼めるか。戦いはもう終わった。無理する必要はないからな。明日の昼頃までに戻って来い。」  そういうと、命令書の木片を渡してくれた。この木片があれば脱走兵と疑われることなく、明日の昼までは自由に行動できる。父の砦に行けば何かつかめるかもしれない。装備を整え、父の砦へ向かった。最後の丘を登り砦が見えるところまで来た。土塀が破壊され、家の大半も焼け落ちている。壕も一部が埋められている。逆木も破壊されたところが多い。見張り台はなくなっている。  門は破壊されていた。盾で身を隠し、右手に剣を握りしめ、用心しながらゆっくりと砦へ入った。入ってすぐのところに遺体が並んでいた。左端には盛り土があり、石が立ててある。墓石なのだろうか。遺体は服装からすると4人はローマ人、一人はイケニ族、全部で5体ある。真ん中の一体は鎧を身に着け、顔が潰れている。石が直撃したのだろう。 皆、知っている。父の元部下とイケニ族の知り合いだ。顔が潰れ、鎧を付けている兵士はロブル百人隊長だろう。左胸についている飾りメダルは私が作り、ロブルに贈ったものだ。狼をデザインしたつもりだったが、うまくいかず、熊と間違われたものだ。ロブルは立派な狼だと褒めてくれたが、エシエンが熊狼とからかっていた。イケニ族はスィールの弟マソルッフだ。マソルッフは特に傷が多い。体中に傷があり、顔を識別するのも困難だ。裏切り者として制裁を受けたのだろう。  遺体を避け、家に入った。盾を前へ出し、剣を構えていつでも突き出せるようにして進んだ。家の半分は焼け落ちている。寝室に近づくと、左前の瓦礫が崩れ、そちらに意識を向けた瞬間、前から何かが飛び出してきた。盾で隠れて見えない範囲からだ。盾に何かがぶつかった衝撃と同時に、剣が盾を貫いた。ほとんど同時に、盾を左へ全力で振り、飛び出してきた何かを剣で刺した。人なら、この辺りが下腹のはずだ。刺した瞬間に何かを感じて腕が止まった。反射的に動いただけなら刺し貫いたが、何かが心に掛かり、腕を止めた。なぜかはわからないが、刺してはいけないものを刺したと、体の内から叫びが響いた。相手は左の方へ投げ飛ばされた。盾を構え直し、剣を構えてゆっくりと進んだ。刺した感覚がおかしい。柔らかすぎる。エシエンを刺した時よりも剣先に伝わる抵抗が小さい。少年より腹の肉が薄いということは、女か。  相手は左の瓦礫の中に横たわり、動かない。うつぶせに倒れているが、後姿を見ただけで誰かわかり、涙があふれだした。叫び声を上げ、盾と剣を放り投げて抱き上げた。  「ブランウェン!ごめん!死なないでくれ!今助けるから!」  何度も叫び、ブランウェンを抱き上げ、寝室へ走り出した。ベットはまだ残っている。ブランウェンをベットに横たえ、刺した場所を確認した。左脇腹から血が流れだしているが、傷は深くない。左へ投げ飛ばしながら刺したのと、途中で腕を止めたので深手にならずに済んだようだ。鞄から治療に使う針と糸、乾燥させた楡の葉を出そうと探っていると、ブランウェンが気が付いた。私の顔を凝視し、確認すると、目から涙が流れだした。  「兄様、ごめんなさい。ごめんなさい。」  小さな声で何度も繰り返す。安堵の気持ちが起きた。これなら助かる。すぐに傷をふさげば助かる。  「まってろよ。傷をふさいで助けてやるぞ。まってろよ。」  マントを切って、ブランウェンの腹に強く巻き、一時的に血を止めようとした。次に針と糸を準備し、包帯を取り、傷を縫い合わせた。縫っている間、ブランウェンは呻き声を上げていた。この様子だと痛みをあまり感じていないのではないか。顔は青白い。危険な状態だ。痛みを訴えるほどの元気があればよいのだが、それもできないのか。傷の手当てをしながらブランウェンに語り続けた。  「痛くしてごめんな。頑張ってくれ。ごめんな。」  ブランウェンも囁くような声で応じてくれた。  「ごめんなさい。ごめんなさい。」  同じ言葉を繰り返すばかり。傷を縫い終わり、傷口に楡の葉を貼って包帯を直した。血は止まったようだ。ブランウェンは気を失っていた。寝息は穏やかで、助かりそうな気がした。  倉庫へ行き、薬や薬草を探した。桑の実か葉でもあればいいのだが、桑の実から作った薬パンクレストでもいい。血止めの桃の葉、化膿止めのどんぐり、痛み止めの阿片、血液凝固剤のブドウの木の樹液、万能傷薬の杉菜の搾り汁、ドルイド僧のお守りの日陰鬘でも構わない。しかし、何も残っていなかった。エシエンも薬や薬草の置いてある場所や使い方は知っていたから、持ち去ったのだろう。近くの森で採集してくるしかない。杉菜なら砦の中に生えているかもしれない。 母が作ったゲルマニアの呪文を刻んだ木のカップがあったはずだ。医療と愛の魔法が込めてあり、このカップで何かを飲めば病気や怪我が容易く治る。子供の頃、このカップに何度も救われた。期待を込めて台所へ行ったが、食器は破壊されるか持ち去れら、母のカップは見つからなかった。  寝室に戻ると、ブランウェンの意識が戻っていた。私を見ると再び話しかけてきた。私はブランウェンの右手を両手で包んで話を聞いた。しばらくは、涙を流しながら同じ言葉を繰り返していたが、落ち着いてくるとこれまでの出来事を話し始めた。  女王ブーディカから反乱へ参加するよう促す使者が来た。反乱参加に反対する者はいなかったが、父をどうするかで意見が分かれた。スィールを中心にした長老たちは父には手を出さず、そのままにした方がよいとの意見だった。ドルイド僧は反乱成功を祈願する生贄として父を供するのがよいと主張した。エシエンはドルイド僧を支持した。  マソルッフはブランウェンと共に危険を知らせに砦へ行き、父と合流した。父は退役兵やその家族を砦に呼び寄せ防備を固めた。そこへエシエンが数名の若者とやってきた。父はエシエンを迎え入れた。エシエンは村から来た戦士たちに呼応して内から攻撃し、砦の者を皆殺しにした。ブランウェンは倉庫の中に隠れて見つからずに難を逃れた。退役兵やその家族の遺体は近くの木に吊るされ、生贄として神に捧げられた。ブランウェンは砦に残って遺体の埋葬をしながら、私を待っていた。私が見た一つの墓と5体の遺体以外に、この建物の裏に退役兵の家族を埋めた墓が32本ある。  最近、ローマ兵がこの辺りをうろつき、昨日は略奪狙いでこの砦の中に入ってきた。それで薬も、食料も何もかも持っていかれた。ブランウェンは私を略奪狙いのローマ兵と思い、隠れていたが、見つかったので襲い掛かった。盾で隠れていたせいで私とはわからなかったようだ。  スィールは最後まで父の親友だった。一時とはいえ、彼を疑っていた。ブランウェンも疑っていた。口惜しさが湧き上がってきた。そのような私の弱い心がブランウェンを傷つけたのかもしれない。後悔の念も強くなる。  ブランウェンの顔は青白いままで、声は小さく生気を失っていく。このままでは死んでしまう。恐怖が広がる。村と砦、村人と退役兵、そして2人の父とブランウェン、最も居心地の良い場所を失ってしまう。僅かに残った寸土がブランウェンだ。他は既に失われた。最後の寸土が失われようとしている。失われれば私の居場所は永遠になくなる。それも私自身の手で失われる。自分を責める気持ちと、将来に対する不安、いや不安以上の恐怖だ。どう生きていいのかわからなくなる。どう存在していいのかもわからない。心はかき乱され、乱れに伴いブランウェンの手を握る力が強くなる。 ローマの医療の神アエスクラピウス、ブリトンの治療神スーリス、ヴァルキューレの女賢者シグルドリーヴァ、思い出す限りの神に祈った。ローマ建国の父アイネイアスのように冥界に行くか、再生の鍋を求めブリーエンへ降り、ブリトンの大神ダグタに懇願するか、スィールの村の近くの円形土砦にある精霊の輪がブリーエンの入り口になるはず。死からブランウェンを取り戻す手段を色々と考え、ブランウェンと共に行くことも考えた。  「兄様。ありがとう。」  それが最後の言葉だった。朝方、ブランウェンの息遣いは静まり、心の蔵の鼓動も止まった。手は凍てついている。もう涙も出ない。乱れた心は不思議なほど落ち着きを取り戻している。空虚な感じだけが残り、ブランウェンを取り戻す手段も考えられなくなった。夜明けに残された5人の遺体、父とスィールの首を庭に埋葬した。  しかし、ブランウェンを諦めきれず、遺体を樫の神木がある円形土砦の聖域へ運んだ。古い砦跡地で、村の集会が行われる場所だ。ここでブリーエンへ繋がると言われる精霊の輪を探した。神木から少し離れた草地の中に茸が円を作るように生えて囲まれた場所、茸に縁どられた輪、精霊の輪を見つけ、そこにブランウェンを埋葬した。いつの日にか、復活の大鍋で蘇ったブランウェンと出会えることを願いつつ。
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