6.空

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6.空

 ルキウス・フォンテイユス・カピトと、ガイウス・ユリウス・ルフスが執政官、皇帝ネロ13年目の年(西暦67年)。 ブランウェンと父の死から6年の年月が流れた。2か月に一度は父の砦跡に行き、墓地を整えている。父には兵士の彫り物と墓碑銘の入った墓石を建てた。 「死者の魂に捧ぐ。ガイウスの息子ルキウス・カエリウス。第14軍団、退役主席百人隊長。25年間従軍した。息子のティトゥス・カエリウスが建立す。」 スィールにはブリトン戦士の彫り物を配った墓を建てた。父の砦はもうなく、あるのは40本の墓だ。土塀は補修し、家は取り壊した。代わりに墓地に来た時に寝泊まりするための小屋を建てた。スィールの村はもうない。跡地にはローマ貴族の邸宅が立っている。第2軍団で軍団副官をしていた男の家だ。戦いに参加もせずに勝者の権利だけを主張する卑怯者だ。神木近くの精霊の輪に埋葬したブランウェンには菫の彫り物を配った墓を建てた。  我が軍団は反乱鎮圧の功績により、皇帝ネロから「軍神マルスの常勝軍団」の称号を受け、臨時賞与が与えられた。私の臨時賞与は1年分の給料に相当する六百セステルティウスだ。皇帝ネロは過去の戦績に照らし、我が軍団をローマ最強の軍団だと称賛した。それ以来、我が軍団は「ネロ軍団」と呼ばれるようになった。それもあり、我が軍団の皇帝ネロに対する忠誠心は厚い。  ブーディカの乱以降、大きな戦いはない。まれにブリトン人の小規模な暴動が起こるくらいだ。これもスエトニウス総督が更迭されたことによるのだろう。スエトニウス総督は反乱者を厳しく罰するとした方針を示した。しかし、新任の皇帝属使ユリウス・クラッシキアヌスは強硬策を嫌い、皇帝ネロに願い出てスエトニウス総督を更迭した。 後任の総督に穏やかな人柄で知られたペトロニウス・トゥルピリアヌスが充てられた。トゥルピリアヌス総督は反乱者を許し、温厚な態度で事態を鎮静化した。いや、実際にはなにもしていない。反乱者を許したのではなく、単に罰しなかっただけだ。事態を鎮静化したのではなく、放置しただけだ。反乱に参加したブリトン人は敗北で放心状態になり、参加しなかった者は巻き込まれることを恐れた。それで、何もしなかったから何も起きなかった。それだけだ。  後任で現ブリタニア総督トレベッリウス・マキシムスは法を顧みず、一部のブリトン人やローマ人と結び、蓄財に励んでいる。おそらく、スィールの村がローマ貴族に売り払われたのもトレベッリウス総督の指金だろう。そのせいで不穏な空気が漂い、暴動が増加している。この空気がさらに重く、きな臭くなり、大きな反乱に発展しないだろうかと、私は期待している。  私はもう一度大きな戦いに身を投じたかった。同じことの繰り返しの日々、6年前の出来事が頭を何度もよぎり、苦しくなる。戦いになれば、この状況を大きく変えられるかもしれない。今は軍務と父の教えを実践することに集中して忘れようとしている。投石機を作り、軍団の鍛冶職人と共に鍛冶仕事をし、軍医から医学を学び、軍団副官から本を借りて読んだ。 しかし、あの日の出来事が頭を占めない日はない。大弓を作ろうとすると、エシエンの死んだ情景が浮かび、大弓を作ることができない。なのに剣術の訓練で剣を案山子に突き刺すのには抵抗がなかった。ブランウェンに剣を刺した感触が蘇るが、嫌悪感を覚えるよりも先に体が動く。時に強烈な不快感を催すこともあるが、何を思い出そうと、どのような感情が湧こうとも、体が勝手に動いて剣を振るい、標的を突き刺す。幼いころから剣の訓練を受け、頭よりも先に体が動くように叩き込まれていたおかげだろう。苦しい思いに振り回されなくて済む。  幼いころの楽しく、幸せな思い出も、ブランウェンの死後は一転して苦しみに満ちた記憶に変化した。これまでの人生の喜びが1日で全てひっくり返り、私を痛めつける。父とスィールの思い出は村の入り口に晒された2人の首に変わり、ブランウェンとの思い出はブランウェンを刺した瞬間に変わる。何も思い出したくない。過去に目を向けたくないが、未来を見据えることもできない。未来に私がいるべき最後の一片を自分の手で破壊してまった。今は必死に現在へ心を向けようとしている。  軍団員は減少を続けている。大損害を受けた第9軍団の再建が重視され、我が軍団には兵員が回ってこない。既に三千名を下回り、我が小隊も私しか残っていない。ガイウスは3年前に暴動鎮圧の際に戦死した。アウルスは去年、見張り台から落ちて右足を失い、退役した。行き場がないというアウルスに墓地の管理と引き換えに父の土地を譲った。私があの土地に住むことはもうないが、墓地が失われるのは辛い。アウルスなら信頼して墓地の管理を任せられる。  人員の不足から昇進も早まり、デクリウス十人隊長は百人隊長に昇進し、「少年隊」の中隊長になった。アクイラ百人隊長は先任百人隊長に昇進し、大隊長となった。しかし、率いる兵員が増えたわけではない。私も十人隊長に昇進し、小隊長になったが、率いる兵はいない。「少年隊」全体で兵員は17名しか残っていない。63名も欠員が出ている。ローマ軍最強の「ネロ軍団」にしては酷い状態だ。ブリタニアが平和なのも原因だろう。本当に最強の軍団ならゲルマニアやユダヤなど、より緊迫した地域へ移動しないのだろうかと、よく考える。このままこの島にいたら、過去の記憶と繰り返しの日常で精神を病んでしまう。  そんな苦痛に満ちた日々も今日で終わりだ。我が軍団は皇帝ネロの勅命により、移動を命じられた。パルティア征服に参加せよとの命令だ。まず、本土に渡り、属州パンノニアのカルヌントゥム(現在のウィーン近郊)へ移動する。そこで補充を受け、再編成を行う。それから一年以内にアルメニアへ行き、パルティアへ侵攻する。補充が来れば私の小隊にも兵員が入り、初めて部下を持てる。これまでにないほど忙しくなるだろう。島を離れるのも初めてだ。新たな場所で新たな生活も切り開けるかもしれない。  パルティアはここと違い、森も水もなく、熱い砂ばかりと聞く。皇帝ネロの治世初期に、シリア総督グナエウス・ドミティウス・コルブロがパルティア軍を討破った。今回も指揮官はコルブロ総督だとの噂だ。スエトニウス総督以上のローマ最高の将軍だともっぱらの評判だ。  移動の日に至るまで、新しい任地を思い、パルティア兵について調べ、想像をたくましくすることで苦痛を軽減できた。移動準備にも忙殺された。今までと異なる忙しい日々が私に生気を与えた。移動の一ヵ月前に、ブリタニアで募集した新兵が来た。16歳から18歳の若い兵士ばかり、「少年隊」再びというところだ。ただし今回は百人隊長や十人隊長は10代ではない。20代の実戦経験を積んだ兵士ばかり。新兵が来た後は行軍訓練に明け暮れた。新兵には軍団の移動速度に慣れてもらわねば話にならない。  移動の時、船が島から離れると気持ちが軽くなった。大陸を見て、島を見ないようにしていた。しかし、船尾で船首を見ながら風に当たっている時に、振り向いて島を見てしまった。一気に昔の記憶が噴出し、ブランウェンの記憶が無秩序に噴き出した。目眩が起き、心臓が止まるのではないかというくらいの衝撃を胸に感じ、何かが胸から腹へ落ちて行く感覚に襲われた。その場に膝をつき、吐き気をもよおし船尾から海に向かって腹の中の物を吐き出した。近くにいた数人の十人隊長が走り寄り、私の背中をさすったり、声をかけてくれた。後ろからデクリウス中隊長の声が聞こえた。  「船酔いか?」  私は無理に声をひねり出して答えた。  「申し訳ありません。船は初めてでして。」  そうは言ったが、これは船酔いではない。思い出に殺されかけた。私は私を許してはいない。私は最良の居場所を破壊した私を許さない。ブランウェンを殺した私を許すはずはない。  大陸に到着した後は記憶が噴き出すことはなかった。島も全く見えなくなり、気持ちも落ち着いた。目的地に着くまでは行軍しながらの訓練が続き、激務が記憶をかき消し、考える余裕を奪い、余計な思いを頭から追い出してくれた。
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