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※エピローグ
「 パパ 」
そう呼ばれ、自分の目線をずっと下に向ける。自身の手には小さな手が握られていた。
「今日はなんだかいつもとちがう」
大きくなるにつれて自身に似てくる小さな存在を愛しく思う。
妻とは離婚し、そんな愛しい息子と会うのも月に1度。前妻は息子をつれ、離れた場所にある実家に帰ってしまった為に、息子とは中々会うことが出来なかった。
「あぁ、今日はこれから用事があるんだ」
そう言ったとき、改札を通る前妻の姿を見つけた。待ち合わせの駅前。息子を迎えに来た前妻は2人に近づき、駿に朗らかな笑みを向けた。
「じゃあね、パパ。こんどはどうぶつ園につれていってね!」
「そうだな、楽しみに待ってろ!」
そうして去っていく2つの背中を駿は見えなくなってもなお見送り続けた。
結婚して数年で離婚してしまった。...——— 妻を本当の意味で愛し続けることが出来なかったから。
心の中にいるのはいつも同じ人物だった。
腕時計を確認すれば、もうすぐ約束の時間をさそうとしていたところだった。
向かう足は慣れた道を歩き始める。季節は夏。
あれから何回目の夏を迎えたことだろうか。ほろ苦い青春を引きずり続け、スーツを着て働くようになった今もなお、駿の中の時間はあの頃のまま止まり続けていた。
ピクリとも動かず、色あせた思い出の日々、時間。忘れることのない記憶。
駅を出て十数分。ついた場所はあの公園だった。
子供が遊ぶその姿を端に捉え、駿は近くのベンチに腰を掛けた。そして一息つくと鞄の中から一通の手紙を出した。
“8月10日16時にあの公園で待ってます”
そう書かれた、手紙を愛しげに眺める。
一年に2~3度の文通。何とも現代的ではないそのやり取りが駿の密かな楽しみであった。
「 駿 」
その時、懐かしい声が、自身の背中に向けられた。ゆっくりと振り向けば長い間、恋い焦がれたあの笑顔が視界に写った。
「 ...っ、」
頬を伝う涙。
そうして今、漸くあの時から止まったままだった駿の時間は再び色を持ち、動き出した。
end.
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