不毛

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不毛

 紅茶を飲み、カップ越しに目の前の男を見る。黒い、絹糸のような髪の毛。白い肌。すらりと伸びた手足。執事服を着た男、優里(ユウリ)は睨むように見つめる主人に臆することなく、立ち続ける。  「(マナブ)様、お体を冷やされては困るので、そろそろ中へ入った方がよろしいかと」  「...あぁ、そうだな」  若くしてこの家の主人となった学は不愛想な顔のまま、開けられた扉を通り家の中へと入る。  父は闘病のために海外へ。母は数年前に亡くなり、大きなこの屋敷は自分の他、数人の召使と執事である優里が暮らしていた。  「学様、お体が温まるまでこれを...」  「っ、...汚らわしいな」  ソファに座っていれば、ひざ掛け用の毛布を持ってきた優里の手が触れ、学はとっさに手を払い暴言を浴びせてしまう。その拍子に渡されるはずであった毛布は床に音もなく落ちた。  「申し訳ありません、すぐに新しいものを持ってきます」  何事もなかったかのように毛布を拾い、部屋を出て行く優里。その顔は無表情であった。  「...っ、」  ここ最近の優里と学の関係は殺伐としており、召使でさえ2人の対面に居合わせたがらないほどであった。  しかし、ついこないだまで2人は恋仲でもあった。  ― 優里が性に奔放となり、あらゆる人間に手を出すようになるまでは。  何人もの召使に手を出し、挙句の果てには他の貴族の奥方にも手を出し始めていた。  だが、優里は隠すこともなく、学が聞けばすべて答えた。もちろんタイミング悪く、情事の様子を見てしまうこともあった。  自分だけを愛すると誓った男はもうここにはいなかった。  「学様、今日は午後から香波様がいらっしゃいます。何か準備しておくものなどはおありですか」  「別に、何もない」  学の膝に毛布をかけ、優里は淡々と今日のスケジュールを述べていく。  香波は先日決まった学の許嫁だ。親同士が決めた結婚。それは珍しくもなく当たり前の様な事。博識で聡明な彼女は品があり、世間でも評判の良家の娘であった。  学さん、と鈴の音の様な声で呼ぶ香波を、可愛らしくは思ったものの愛おしいとは感じたことがない。  何故なら学が愛してやまない人間はここにいるから。  「優里、昨夜は誰と寝た」  「はい、昨夜は先日やめた召使いだった者と。故郷に帰る前に、と乞われそのまま共に過ごしました」  「ふっ...あぁ、お前は本当に不潔だな。誰とでも寝て、まるで野蛮な生き物のようだ」  「学様の仰る通りです」  学の皮肉さえ、優里は表情を変えることなくすんなりと流してしまう。自身に嫉妬し、執着していた姿が嘘であったかのように優里の学へ向ける視線は冷めきったものとなっていた。  「お前は僕のことをどう思っているんだい」  優里の顔は一切見ず、窓の外の景色を眺めながら学は静かにそう問う。  「学様は我が主、もちろんお慕い申しております」  模範解答のようなその答えに、遂に学の体の緊張はプツリと切れてしまう。  「...僕はもうやめるよ、お前を愛することを」  「 はい 」  「だからもう僕の執事でいることをやめてくれないか、父の下へ行ってくれ。そして、もう僕の下に一生現れないでほしい」  相変わらず、空は晴れ渡り、木枝にとまった小鳥は2人を見つめるかのようにこちらに顔を向け高い声で鳴く。しかし、いつまでたっても優里の返事はこなかった。いつもの、冷めた一言の返事が。  「優里、」  「...私には、決めかねます。私は学様を、お慕い申しております」  決して“愛している”とは言わないかつての恋人はそう言い、無表情を貫いていた。  「僕のことを慕ってくれる執事はこの世にごまんといるんだよ。なんせ執事が主人を慕うのは至極当然のことだからね」  本当は知っていた。  なぜ、優里が他の者と関係を持ち、自分に冷たくするのかを。全ては許嫁が決まったことで始まった。  「甘いよ、優里」  だけど、学はずっとそれに気が付かないようにしていた。それを認めてしまえば自分がそれぞれの立場について決心しなければいけないような気がしていたから。  「やるなら徹底的に。なぁ、どうしてお前は僕の傍に居続けるんだ」   学は不適に笑った。  窓の外を眺めつづけている為、優里の表情は窺えない。だが、何も答えないそれが優里の表情を現しているかのようであった。  「あぁ、不毛だ」  その時2人分の涙が床を濡らした。  end.
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