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その後も衣於吏さんがなにやら喋っていたが、返事をしたのかどうかすら憶えていない。ようやく皿から食べ物が消えてそれを片付け終わった頃、直接的な雨音が耳に響く。店のドアに目を遣ると、眼鏡を濡らした線の細い中年男性が遠慮がちに顔を出していた。
「衣於吏ー?」
彼が彼女の名を呼んだ瞬間、彼女の顔に少し朱が混じる。
「充雄くん!」
事務所に消えたかと思うとタオルを持って出てきて、彼の頭と眼鏡を拭きながら俺を見るよう促した。
「ホラこの子が都築くんだよ」
彼女が俺を差すと「あー彼が……」と呟き、やわらかく表情を崩す。
「初めまして。妻がお世話になっています」
俺は不恰好に立ち上がって頭を下げた。
「あ、初めまして、スイマセン」
「けっこうイケメンでしょー! 今日乗せて帰ってあげていい?」
「いいよ」って言われそうになって、冷や汗が出る。
「俺、自分で帰ります」
「え? いや雨ひっどいよ!」
衣於吏さんが目をまん丸にして叫んだけど、すぐに目を逸らして鞄を背負う。
「大丈夫っす。本屋、行きたいんで」
横殴りの雨に打たれながら昼に雨ガッパを着てきたことを思い出したが、今濡れネズミになったところで罰にすらならないだろうと自転車をこぎ続けた。
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