セットでどうぞ

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「世良先生、この前の佐藤さん、往診する件なんですけど、私、同行しましょうか?」 仕事の連絡事項というより、やや熱い視線を彼女から感じる。 「車で行くから、一人で大丈夫」 ここはしっかり距離をとっておこう。 看護師の山下さんはよく気が付くし、助かるんだけど、世良総合病院の看護師長クラスの年齢の方が何かと余計な気を遣わなくて済む。患者さんの立場からすれば、若い女の子に注射してもらうほうが楽しいのかもしれないけど。それに彼女はこのクリニック元院長の遠戚ときている。今までも何度か食事に誘われたり、病院の医者と看護師以上の関係を求めるような眼差しを送られていることは気付いていたけど、さすがに同じ職場は勘弁してほしいというのが本音。 医者になってから、看護師だけではなく患者さんからまでも、その手のお誘いは頂いていた。研修医として勤めていた大学病院では看護師と付き合ったことも確かにある。忙しかったし、職場以外で人に会うこと自体が難しい状況だったから。父親である理事長の要請で世良総合病院に勤めるようになって、あの凜の妹の莉子(リコ)までがやって来た時は、さすがにご容赦願いたかったけど。でも彼女が来れば、凜も芋づる式にやって来るという確信はあったから、あれはあれで良い巡り合わせだったのかもしれない。 凜は高校時代からベースがあまり変わらない。人に頼るのは相変わらず苦手だし、自分の気持ちを全面に押し出すような真似はしない。自分の気持ちは抑え込めるだけ抑え込む。人が権利を主張すれば、自分は譲る。こっちからすれば、歯がゆい。本当に自分に気持ちが向いているのか、揺らぐときがよくあった。 その揺らぎに付け込まれたのが神宮司美羽との一件だと思う。俺にも隙が確かにあった。凜なら事情を話せばわかってくれるという慢心もあったのかもしれない。凜には俺の父親、美羽と美羽の弁護士、いろんな角度からプレッシャーがかかったようだったし。最終的に彼女が出した結論は、俺に直接向かい合うことではなくて、そのステージから降りることを選択させてしまった。 間に合うと思っていた。高校の時から10年たってもリスタートのきれた俺たちなら今回だってという甘えがあった。 凜が帰国して、ノアの件で連絡をもらうまでの時間がどれだけ長かったことか。さすがに今回ばかりは勝算なしかと諦めもしていたけど。でも、俺、基本、諦め悪いし。 近づこうとすれば距離をとる。左手の指輪を彼女はきっと死ぬまではずさないんだろう。アメリカで見たジョーイと一緒にいる彼女は、俺の知らない凜だった。あんな風に人に甘えるのかと思った。嫉妬(ジェラシー)なんて殆ど感じたことはないけど、胸に渦巻く黒い塊を俺は長らく飲み下せないままでいた。 ジョーイのようなプロポーズなんて柄じゃない。外堀埋めて、選択肢を一つだけしかないように追い込むことぐらいしか出来なかった。それも及川さんの全面協力を得てやっと。俺はきっと及川さんに一生頭が上がらないような気がしている。 でも、あの及川さんと矢島まで俺たちの婚姻届とセットになっていた時は笑かしておらったし、凜をほめてやったけど。
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