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泣かせたくない理由なんて、一つだけだろ?
険悪だ。
翔は全くこちらを見ない。部活もサボって、教室では話しかけても無視しやがる。要先輩や良が誘っても無駄だった。女子を侍らせて俺に近づくなオーラを出してやがる。別に俺は、翔以外の友達がいないわけではない。だが、俺達は近くにいすぎた。隣にいるのが当たり前の存在が遠くにいるのは、違和感が半端なかった。
委員長が心配して声を掛けてきた。
「何があったのか知らないけど、仲直りしろよ。時間が経てば経つほど、元に戻るのは難しくなるから」
「別に、何もねぇよ。翔が俺といるのに飽きただけだろ」
「そんな風には見えないけどね。最近の佐伯はぴりぴりしていて、時々中田の方を見ているよ。というか、睨んでいるみたいだ」
「……知らねぇよ」
本当に知らない。俺が翔を見ているときに、翔がこちらを見ることはないのだ。だから、翔の視線なんか、俺は知らない。
三人だけの部活はつまらなかった。しかも、もうすぐ要先輩は部活を引退する。そうしたら、良と二人だけになってしまう。
「良、一年で部に入っていないやつ、誰か勧誘して来いよ」
「要先輩、無理ですって。卓球部、モテないですもん」
「あぁ? 関係ねぇだろ」
「関係ありますって。うちって進学校だから、推薦に有利になるような部か、モテる部か、それくらいしか人が集まりませんよ。弱小卓球部じゃ、塾行くかバイトする方がマシってやつばっかりですもん」
「まぁなぁ……」
要先輩も頷いている。良の言うことは正しい。翔がいたら、入りたがる女子もいたかもしれないが、今まで翔目当ての女子はお断りしてきた。そして、今は翔も寄り付かなくなった。
「……」
要先輩と良がもの言いたげにこちらを見てくるが、俺は何も言わなかった。本当は、何も言えなかったんだ。
一年の時、初めての席替えでたまたま前後の席になったのだ。それで、なんとなく話すようになった。翔は人懐っこい奴で、イケメンだけどすかしてなかった。強面の俺にも気安く声を掛けてきて、二人でいるのが居心地よく感じるようになった。部活を決めかねていたら、楽そうだから卓球部にしようと誘ってきたのは翔だった。
翔は、俺が苦手な数学でも物理でも、分かりやすく教えてくれた。俺が女子を苦手なのを、馬鹿にしたりしなかった。彼女かセフレかは知らないけれど、そんな存在がいても、いつも俺を優先してくれていたように思う。家にもよく遊びに来た。俺の作った飯を、旨いと言いながら平らげて、後片付けは任せろと、皿洗いをしてくれたり、買い物をするときは、荷物持ちをしてくれたりした。考えてみれば、翔が優しいのは、俺とそういうことをする前からなのだ。女扱いとかじゃなく、自然と、人に優しく出来る奴なのかもしれない。それを、俺は、意地になっていたのだろうか?
後悔をしているかって?
ああ、後悔しているよ。
翔ほど、俺に優しくしてくれた奴なんていない。
俺は、翔に優しく出来ていただろうか?
隣にいるのが当たり前になって、翔に甘えて、ずっと、向けられる好意に鈍感になっていたのだろうか?
翔は俺が好き、なんだよな? だから、俺を抱くんだろう?
俺は?
俺は翔が好きだけど、その感情は友情? 本当に?
離れて、初めて、こんなにも翔のことを考えている。隣にいるときは、それが当たり前で、翔のことを改めて考えたりしなかった。本当はもっと早く、俺は、ちゃんと考えるべきだったのだろう。
翔を好きだ。少なくとも、体を許すくらい、翔を特別に思っている。
もっと早く気付いていれば、こんな風にはならなかったのだろう。
俺は久しぶりに、翔の家を訪ねた。金曜日の夜、翔が家族と暮らすマンションに、翔はいなかった。
「ごめんなさいね。右京君。あの子、最近コンビニでバイトなんか初めて、帰って来るのいつも十時を過ぎるのよ」
「どこのコンビニですか? 」
「駅前に公園があるでしょう。そこの向かいのコンビニよ」
「ありがとうございます。行ってみます」
翔のお母さんに手を振って、俺は走った。
時計を見たら、九時半、あと三十分で翔のバイトが終わる。
俺は、ガラス越しに翔の働いている姿を見て、それから、コンビニの前の公園で待つことにした。翔の邪魔をしたくなかった。夜のコンビニに、人はそこそこいて、翔は忙しそうにレジ打ちをしていた。
見慣れないバイトの制服に身を包んだ翔の姿を見るだけで、俺の胸は締め付けられるみたいに痛くなる。
俺の知らない翔がいる。そのことが、どうしようもなく苦しかった。
「お疲れさん」
バイトが終わった翔は、真っすぐに俺の前までやって来た。俺が覗いていたことに気付いていたのだろう。
「何の用? こんな時間に一人でこんなところで待って、何かあったらどうするつもり? 」
怒っているくせに、俺を心配したりする。
怒っているくせに、そんな今にも泣きそうな顔をするなよ。
「泣いた? 翔? 俺はお前を泣かせたくないみたいだ」
「は? ……何言って……」
俺はそっと、翔の頬に手を伸ばした。もちろん濡れてなんかいないのだけど。
「俺も、泣いてないけどさ、ここがずっと苦しいんだよ」
翔に触れていない方の手で、俺は胸を抑えた。
「今更かもしれないけど、俺も、翔が好きだ」
翔が目を見開いている。
「もう遅いか? 」
翔は、俺を抱きしめた。痛いくらいぎゅっと。
「俺はお前なんか好きじゃねぇ。好きなんて、そんな言葉じゃ足りねぇよ」
耳元に翔の声が聞こえる。
「右京、俺のものになってよ」
返事の代わりに、俺は、自分から翔に口付けた。
「右京、家に行きたい」
「いいけど、一回電話しとけよ」
翔はスマホを取り出して電話をかけ始めた。
その夜、久しぶりに俺は翔に抱かれた。
何度も、愛していると囁かれて、嬉しくて、ちょっとだけ泣いた。
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