私達の、青い夏。

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私達の、青い夏。

駄菓子屋の店先。灼けつくような強い陽射しから逃れるには最適だ。心地の良い、冷たい風が頬を撫でる。遠くに見える青空はどこまでも澄んでいて、夏を象徴させる。午前中から遊び続けてもう草臥れてしまった。 「今日はもう家帰ってゲームでもしようぜ」 「あーそれもいいな、どうしようか」 「あたし海行きたいなー」 昔から仲のいい親友たちが話している。この島で育った、かけがえのない存在だ。 「ほら、あんたら、スイカ食ってき」 駄菓子屋のおばあちゃんがスイカを持ってきてくれた。ずっとここで一人、子供たちを見守り続けている。 「よっしゃー!ありがとうばあちゃん!」 「すごい!おっきいね!」 不意に通り抜ける風に風鈴が揺れる。なんとも涼しげな音色だろうか。私はスイカを手にして、遠くの向日葵畑を眺める。私には眩しいくらいの、鮮やかな黄色。ずっと太陽を向いて草臥れないのか、そんなことが頭を巡る。 「夏那、いくぞ!」 「あ、待って!」 スイカを手早く食べ終わり、私は3人を追って駆け出す。はやくはやく、と菜緒が急かす。どこに向かうかも分からないまま、私は3人を追った。この時間が、終わってしまうことに気付かないまま。 3人がめざしていたのは海のようだ。菜緒と私は走るのを止めた。どこまでも続いているかのように濃い青が、空を映す。透明な輝きは、私の目に強く映る。彼は、湊は、どう思っているのだろうか。ふと目をやると、浩介と一緒に何やら話している。眺めていると、彼等はスマホを地面へと置いた。あぁ、なるほどね、いつものように飛び込むつもりか。そんなことを思いながらぼんやりとスマホを取り出す。この澄んだ光を、何とか収められないものか。ふと、手を取られる。 「菜緒、どうしたの?」 「夏那、スマホ貸して?」 「いいけど、どしたの?」 彼女は無言で、ニヤニヤと笑いながら、私のスマホを持つと、自分の横に置いた。訝しげに彼女を見ていると、ふたたび手を取られた。 「えっ、なになに」 「いくぞー!!」 「わああああ!」 浩介と湊だ。私と奈緒は手を取られ、走り出す。目の前は海。なるほど、そういうことね。なぜか冷静な頭が、情報を処理した。 「きゃぁぁぁ!!」 海へと飛び込む。急激に冷める体。その反面、熱くなる心。この気持ちはずっと昔から。奈緒にも相談した。彼女は快く、応援してあげると言ってくれた。 「はぁっ、きもちい!」 「サイコーだな!」 「もう、ビックリしたじゃんかー」 私たちは海に浮かびながら笑い合う。その時目に映った、仲良さげな菜緒と湊。まさかね、でも。前々から思っていた。確信はない、むしろありえないと思う。最近、このことばかり、嫌な事ばかり考える夜が続く。でも、今くらいは楽しもう、せっかくの夏だ。 「ねぇ、次はどうする?」 眺めるだけじゃない、わたしが作るんだ。 日が暮れる。水平線に沈む夕日を眺めながら、私たちは、進路の話をする。 「そっか、浩介は東京にいくんだね」 「やりたいことが出来たんだ。頑張ろうと思うよ。しかし、菜緒は留学か、寂しくなりそうだな。」 「そうだね、今までみたいに気軽に会えないのは寂しいかな」 「夏那はどうするんだっけ」 「わたしは…」 言えなかった。決まっていないなんて。曖昧だなんて。何より、恥ずかしかった。これだけみんなは考えているのに。 「わたしは、看護師、かな」 「そうか、じゃあ、大学行くんだな」 「そう、だね」 不器用に笑うことしか出来なかった。煌めく夕日と対称に、私の心はくすんでいた。ちゃんと、考えなくては。そんなことを考えているうちに、湊の話になっていた。 「湊はどうするんだ」 「俺も留学だよ、菜緒と同じ」 「そうか、そういえばお前ら付き合ってたな」 ソウイエバオマエラツキアッテタ?いま、浩介はなんて言った?脳が追いつかない。菜緒と、湊が。付き合ってる?いつから、そんな、冗談だと… 「おいおい、もう1年ちょっと経つんだぞ?」 心臓が止まるかと思った。1年。それだけの間、わたしはしらなかった。なんで、どうして、私にだけ教えてくれなかったの。ぎこちなく、菜緒の方を見る。そこには申し訳なさそうに、しかし、誇らしげに笑う菜緒が、あった。形容できない気持ちになった。私は無言で立ちがあり、逃げるように走った。彼らが引き止めるのにも耳を貸さず、ただひたすらに、走り続けた。何故か零れない涙を拭いながら。 次の日の朝、海岸を一人で歩いていた。誰よりも信頼していた菜緒に裏切られた衝撃は、かなり大きかった。彼女は、私の相談をどんな気持ちで受けていたのだろうか。私には、理解できない。芽生えて、成長し出した向日葵は、太陽の陽を浴びることなく、へし折られた。もう、何も信じられない、何も信じたくはない。水際まで迫っていることに気付かないまま、私はしゃがみこむ。足に水が当たる。手に、水滴が落ちた。声を出して、泣きじゃくった。ずっと、そうしていた。涙が止まらない、干からびてしまうんじゃないかと思うくらいに、こぼれ落ちていく。腰が濡れた。もう、しゃがんでいることすら出来ないまま、砂浜にへたりこんだ。このまま、水と一緒に、海に…。 「夏那!」 声が、聞こえた。手を、肩を持たれた。顔をあげれば、3人がいた。湊、浩介、そして、菜緒。無性に怒りが湧いてきた。なんであんたが泣いてんの。あなたに泣く権利なんて、ないでしょ。やめてよ、これ以上私を惨めにしないでよ。叫びたい、でも言葉が出ない。 「なん…で…」 「夏那…」 優しく、抱きしめられた。膝が濡れることを厭わずに、彼女は私を抱きしめた。 「夏那、ごめん、ごめんね、ずっと黙っててごめん、私が悪いの」 「な、お」 「私が、夏那に言うって約束だったの。でもね、知ってたから、夏那が、湊を好きって。だから、だからね、怖くて、それで」 「うん、それ、で」 「いえなかったの、ごめんなさい、ほんとうに」 ストン、と心に落ちる声だった。こんな声は初めて聞いた。手に、力が入った。ぎゅっと、彼女を抱きしめ返した。 「うん、いい、よ」 「ごめん、ごめんね、ほんとうに…」 「夏那、悪かった。まさか知らないとは思わなかったんだ。ほんとうに、ほんとうにごめん。昨日な、夏那が走っていった後、菜緒に聞いてな。ちゃんと怒っておいたから。菜緒もすごい反省してるし、許してあげてくれ。」 「うん、そう、だね」 もう、許そう。彼の顔を見て、確信した。私に、向くことは無い、そう確信した。確信できてしまったのだ。そんな簡単には吹っ切れない、そんなことは分かってる。でも、今はもう、そんなことすら忘れたくなった。 「こうすけ、こっち来て」 「え、おう」 「(ちょっと湊の手、掴んで)」 「(おう)」 浩介に湊の手を掴ませる。それを確認すると、私は菜緒の手を掴んだ。 「え、なに、なに」 2人は困惑しているようだ。そして私は浩介の手を掴む。 「えっなに」 「わあああああああああ」 立ち上がると、走り出す。海に向かって。何もかも、忘れてしまいたかった。みんなで飛び込んで。この、かけがえのない、変えられない、変わって欲しくない友と共に。この海が、この空が。透るような、染められず、変わらず、そのままであるのと同じように。彼等は、私の宝物だ。 みんなで笑い合えるのは、どれだけ幸福なんだろうか。心から、笑えれば、どれだけ幸せだろうか。海辺で遊びながら笑い合う3人を見て、そんなことを思っていた。あの日から、心から笑えてないと思う。こんなに楽しくない夏はいつぶりだろうか。いや、なかったかもしれない。だめだ、割り切らなきゃ。そう思っていても、5年間の想いはすぐには消えなかった。この気持ちも、いつかは薄れるのだろうか。忘れてしまうものなのか。友達のままで、居られるのだろうか。間接的とはいえ、私の気持ちを知ってもなお、湊は私と友達でいてくれるのだろうか。この関係は、繋がりは、途絶えてしまうのかもしれない。それでも、今の私にできるのは2人を応援することしかないんだ。彼の物語の主役は、彼だ。彼が選んだヒロインは、菜緒なんだ。そう思って、私は空を見る。あの青い、青い空のように変わらずに居られると思ったのに。そう思うと涙がこぼれそうになる。いつまでもめそめそしてちゃいけないと思って顔を前へと、みんながいる方へと向ける。いない、どうして。慌てて立ち上がり、辺りを見回す、そして、そして見つけることは出来ず、そのまま力なく座り込む。あぁ、もう、おしまいなのか。堪えていた涙が溢れ出す。俯き、顔を手で覆う。嗚咽が溢れ、静かな砂浜に力なく響く。私の嗚咽と、波のさざめきだけが、辺りに木霊していた。夏を象徴する青い空と、どこまでも続く変わらない海がだけが私を見つめていた。変わらないものに溢れるこの世界で、なんで私の周りはこんなに変わるのか。変化なんていらない。変わらなくていい。そう思いながら、ずっと波の音を聞いていた。 いつもより冷たい風が頬を撫でる。気付けば寝てしまっていたらしい。起こしてくれなかったってことは、本当に見放されたのか、そう思うと落ち着いた心でも悲しみが溢れだしそうだった。帰らなきゃ、そう小さくつぶやくと顔を上げる。辺りは既に暗くなっていた。立ち上がると、帰路へと着いた。その日はSNSを見ることも無く、ご飯を食べ、お風呂に入り、そのまま就寝した。 夢を見た。菜緒と湊と浩介と、心から笑っている夢。映画みたいな、素晴らしい青春だ。毎日が楽しく、素敵でキラキラしている。菜緒は浩介と、私は湊と付き合って、幸せに過ごす、そんな夢だった。 次の日のお昼頃だった。菜緒の母親から電話があった。 「はい、もしもし」 「もしもし、夏那ちゃん」 「あ、菜緒のお母さん、どうしたんですか」 「取り乱さないで、落ち着いて聞いてね」 嫌な予感がした。心臓がドクドクと音を立てる。周りの音が妙にうるさく感じる。視界が狭まる。意を決して、震えた声で返事をする。 「なんですか」 「菜緒と、湊くんと、浩介くんがね」 「遺体で、見つかったの」 いま、この人はなんと言ったのだろうか。冗談はよして欲しい。きっと私を驚かせたいだけなんだ、菜緒に頼まれてやっているだけなんだ。 「いま、なん、て」 「3人が、遺体で、見つかったの」 確信とも取られる声色で、ハッキリと告げられた。目眩がした。色が認知出来ない。立っている感覚が分からない。音が、とても遠く聞こえる。異常に早くなる動悸。事実と認めたくない脳が、私の意識を、そこで切った。 後に聞いた話によると、海辺で観光客に殺されたらしい。無差別だが、計画はしていたと、聞いた。心臓を鋭利な刃物で一突きにされていたらしい。事件の翌日、散歩していた駄菓子屋のおばあちゃんが見つけたらしい。周りには、袋に入った、手持ち花火が沢山あったらしい。それを聞いた後、スマホを確認した。事件以来、1週間ほど触っていなかった。SNSを確認すると、4人のグループと3人から、大量のメッセージが来ていた。死亡推定時刻の21:15ギリギリまで、彼等は私にメッセージを送っていたらしい。私が、私がもしあの日もう少し遅く帰れば、彼等は死んでいなかったかもしれない。もしもSNSを見ていれば、彼等は、彼等は…。そんな後悔の念‪ばかりが、日々募っていった。 残り少ない高校生活を過ごす中で、私はある気持ちに気付いた。私は本当に、本当にあの3人が好きだったんだと。そう気付いた日から、私の心は決まった。自分が受かりそうにない大学を志望し、あえて落ちた。そのまま、島に残った。彼等と過ごせない日々は苦痛でしか無かったが、芽生えた向日葵は確実に成長していた。そして、夏を迎えた。色んな場所へ行った。駄菓子屋、海辺、島唯一のカラオケがある喫茶店、そして、山の中にある秘密の場所。全て3人といった場所だ。そこに行けば、3人が、私の心の中に現れる気持ちになった。そして清々しい気持ちで、一周忌を迎えた。今日を、どれだけ待ちわびたことか。とても、とてもいい日になるだろう。粗方のやることを、済ませて、夜になった。 「お母さん、ちょっと散歩してくるね」 「気をつけて行ってくるのよ」 「うん、ありがとう」 だいすきだよ、そう聞こえないように小さくつぶやくと、家を出た。スーパーに向かい、3袋の花火と、果物ナイフを買う。彼らの分と、私の分。そして、事件のあった海辺へと向かった。時刻は、21:05になっていた。遺体が発見された場所に着くと、そこに花が添えられていた。私も、お昼に置きに来たものだ。自分が置いたものを手に取り、海へと投げた。いつまでも変わらない海に、私が居られるように。地面に座り、目を瞑る。彼らとの思い出は容易に思い出すことが出来た。成長し切った向日葵には、永遠に太陽に浴びせることが出来そうだ。 「ありがとう、みんな、だいすきだよ」 「今から、逢いに行くからね」 果物ナイフを手に持ち、目を瞑る。彼らと同じように、もう、二度と私が変化しないように。心臓を、突いた。 これは、私達の、かけがえのない、夏の物語だ。
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