陽だまりの季節

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 「藤子さん、すみません…電車が混んでいて」  藤子さんは振り向いて、少し頬を膨らませてフジバカマの花を差し出した。花言葉は「遅れ」。  「あはは…」  家にフジバカマがあることにまず驚くけど、僕がこんなマイナーな花を知ってることにも驚いてほしい。昔花屋でバイトしてたんだ。  「実は今度、うちの雑誌で藤子さんのイラストを巻頭20ページで載せるっていう話が持ち上がってるんですよ」  彼女が大きく目を見開く。藤子さんにはうちの雑誌にのせる商品やコラム、連載小説などの挿絵を依頼しているのだが、今回は彼女を主役で取り上げようというのだ。  「それで…過去の作品と、我々のための描きおろしの作品を載せたくて…テーマについては藤子さんのセンスにお任せして、いくつかイラストを描いていただ…っわ」  藤子さんは星空のように目をキラキラさせて、まさに満面の笑みで僕を見ていた。手にはサイネリアの花束を抱えて。  「藤子…さん」  花言葉は『喜び』。  「そんなに…喜んでくださるんですか」  僕は目の前の夢のような光景から目が離せなかった。あほ面でほっぺたをつねったが、痛いのでこれは紛れもなく現実である。  「藤子さん…笑顔が素敵なんですね」  言った瞬間、彼女ははっと気が付いたように口元を押さえた。  「あ、失礼しました!不躾でしたか」  僕がそう言うと藤子さんは長い栗毛ごと思いっきりかぶりを振ってピンクのカスミソウを突き出してきた。  「あ、これ…なんだっけ」  慌てて携帯で調べる。  ピンクのカスミソウ  花言葉は『感激』  「藤子さん…よかった」  たぶん藤子さんは、久しぶりに歯を見せて笑ったんだろう。すごく恥ずかしそうに、目をそらしたままカスミソウを持つ彼女が、いつもより一段と幼く見えた。それにしてもやっぱり、口が開いていないにしても、パッと花が開いたような、大きな大きな笑顔だった。僕はもっと見てみたい。  「あの、もっとそんな風に笑った顔が見られるといいな。あ、別に無理にってわけじゃなくてですね、えっと…」  一人で支離滅裂になる僕を、今度は困ったような顔で彼女は見た。  「あ、そっか。僕がもっと楽しませるようなことをするのがいいのかな…」  何もしないで笑わせるっていうのはあまりに虫がいい。  「あーえっと、その、僕は…あなたの笑顔に…」  僕は慌てて携帯で調べ、ぴったりな言葉を探し当てた。それをスケジュール帳のメモ欄に慌てて走り書きした。  『ペンステモン』  「……!」  みるみるうちに藤子さんの形の良い目が大きくなり、落とさないでくださいね、と言いそうになるほど見開いたまま彼女は、その両目から熱いものを流した。  「…っえ?え、あ」  ペンステモンの花言葉「あなたに見とれています」  泣いている藤子さん。  さすがにかかわりを持って浅いのに、これは気持ち悪すぎたか?しまった、失敗した。  だいたい他人と話すことを拒むような繊細な女性に対してこんなきざなことをして、ますます僕と話さなくなるってことくらい考えろよ、あーダメだ。明日から担当を変えるべきだ、あー無理だ。  「…ごめん、ふじこさ…」  焦る僕の視界に、不意に小さな植木鉢が入った。藤子さんが再び、まぶしい笑顔でこちらを見ている。  涙にぬれて煌めく瞳。紅潮した頬、締め切りに追われぼさぼさになった栗毛。何よりも、太陽のような口元。  藤子さんは僕より3つも年下で、綺麗な顔立ちだけど特別に美人だというわけでもなく、少し幼げである。  でも、今この瞬間。どうしても目をそらせない感情が僕の中で燃え盛った。好きなんて、そんなチープな言葉では表せない。守らなければ、という使命感と愛おしさであっているだろうか?  「……」  植木鉢に誇らしげに咲く花はイチゴ。  花言葉は『あなたは私を喜ばせる』  「……」  お互い、何も言えない。  ただ、それぞれがなにか素敵なプレゼントを開けた時のような、言葉にしがたい興奮に満ちていることは分かる。  「藤子さん」  僕はおずおずと名前を呼んだ。頷く彼女。  「描きおろしイラスト、すごく楽しみにいたします」  「……」  もう一度頷く彼女。  かすかに、きっと聞き間違えだろうけど。  はい、と返事が聞こえた気がした。    
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