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柿本さんは軽傷で済んだ。
というか、意識不明だというのはショックによるもので、頭を打ったとかではなかったようで一安心だ。打撲と骨折だけで済んだと聞いて、藤子さんは空気が抜けたようにへなへなとその場に座り込んでしまった。
「わ、大丈夫ですか?」
「……」
こくん、とかすかに頷き、彼女は僕に向かって手を差し出してきた。え、これは紳士として助け起こして差し上げるべきか、いやもし違ったら史上最悪に恥ずかしい。
ええい、知らないぞ。
僕はあくまでもポーカーフェイスを保ちながら、ペンだこが目立つイラストレーターの手を持ち助け起こした。
「…なしき、さん」
「はい!はい!」
多分名前を呼ばれたのはこれが初めて。
「ここ…この病院だってこと…私、焦っててわかりませんでした」
「藤子さん?」
僕は彼女が謎めいたことを言うあまり、思わず顔を覗き込んだ。なんてことだ、ひどく顔が青い。幼いイメージの彼女の顔は、今までにないほどに表情がこわばっていた。
「…母が、私の母がここにいるんです」
「お、お母さまも入院なさってるんですね」
「私…私、花を持ってこなきゃ!」
「え、ちょっと」
次の瞬間、元気のなかった身体は嘘のように走り出した。途中で看護師さんにぶつかっても、藤子さんはわき目もふらず去っていく。
「藤子さん!」
僕には藤子さんの背中を見つめ、ただ呆然と立ち尽くすしかすべがなかった。
「…ああ、鬼灯さんだったのね」
突然真横から聞こえた声に、僕は驚きながらもそちらを向いた。
「今日の事故の患者さんね、どこかで見たなって気はしたんだよ。でも、ここに運ばれてくるなんて…」
小柄な中年男性…白衣を着ている。名札の赤十字マーク……ここの医師だってことはわかる。名札に、松原の文字。
「あの…柿本さん…いや今日搬送された事故患者の主治医さんですか」
「いや」
少しおかしそうに微笑みながら松原先生は言葉を切り、僕のほうに向きなおった。
「僕は鬼灯さんのお母さんの主治医だ」
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