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ハツさんの頬を伝う綺麗な雫を見ながら私は訊き返した。
「ハツさんが、結婚は出来ないと」
「いえ違います。結婚は『まだ』出来ないと申しました」
「そうでしたか?」
記憶を辿るが、すでにあやふやである。どこかで言葉を聞き逃し勝手に勘違いしてしまったのだろうか。
「『まだ』とはどういう?」
理由を尋ねると、ハツさんは手巾を出し目元を拭うと、恥ずかし気に顔を赤らめた。
「わたくし、卒業顔なので……」
「何を言うのです。ハツさんは誰から見ても美人ですよ!!」
「美人と言うのはリエさんみたいな方です。だから卒業顔のわたくしはすぐに女学校を辞めるのは恥ずかしくて、それにわたくし学校が好きなのです。本当は卒業まで在学したいと思っていて……」
縁談がまとまれば退学するのが常である。だが在学中に縁談もなく卒業出来る者を卒業顔と言うのだが、ハツさんは自分が卒業顔であると思って、すぐに結婚出来ないと言ったと言う事だろうか。
「ハツさんは美人です。ですが、学校がお好きなのでしたら卒業まで在学したらいいと思いますよ。私なら何年でもお待ちしますので」
「何年もは、そんなにお待たせいたしません。卒業までもう一年もありませんから。……春になるまでお待ちしていただけますか?」
「勿論です。卒業して、それからゆっくりと一緒になりましょう」
「はい」
抱き締めたい衝動を堪え、左手を出しハツの右手を取る。
「ハツさん」
「歳助様」
御神木の楠の枝葉の間からの木漏れ日が煌めきながら降り注いでいた。それはまるで私たちを祝福するかのように美しくまばゆい光であった。
〈了〉
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