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外で待ちながら、逃げる事を考えた。だが、逃げようとするとあの子の崩れた微笑みが何故だか頭にちらついて離れなかった。あの子が本当に人を騙す事があるのだろうか。いや、たった数分話しただけの他人を信用するのは馬鹿な話だ。だが、今まで全く彼女もできず、孤独と仲良く付き合ってきた山田にとって、たった数分でも寂しさの埋まる心持ちがした。はっきり言って胸が暖かかった。
このまま須藤健一になりきっていれば、嘘でも寂しさを紛らわす道具にはなる。あともう少しだけ、彼女と居たい。それが山田の本心だった。人通りのいい場所から離れずにいればきっと大丈夫。それによく考えてみれば、500円を払った事も無駄になる。出品者の顔も素性も未だ知らないが、ここはもう少しだけ出品者の言いなりになってみるのも悪くない。
彼女が店を出てきた。
「ごめんね。前澤さん。支払いして貰っちゃって」
「ううん、こんなの安いもんだよ。健ちゃんと一緒にいられるんなら」
「そこの公園、ちょっと散歩する?」
前澤花は大きく頷いた。
「うん。あ、一つだけ。私の事は前澤さんじゃなくて花って呼んで。健ちゃん、いつもそう呼んでたでしょ」
「分かった。……は、花」少しぎこちなさそうに名前を呼んだ。
「ありがとう」
二人で広い公園を歩いた。整備された緑が茂っており、幹には時々、その木の名前を印したネームプレートが括り付けられていた。それから鳥のさえずりが聞こえた。天気はすこぶるいい。草木の影を踏んでなるべくゆっくりと歩いていく。途中、ランニングしている男性が山田達を通り過ぎていった。山田はその人の背中を目で追った。まだどこかで須藤健一が見ているのではないかと緊張を走らせていたからだ。
「そういえば、花の趣味は何?」
女の子へ何を聞いていいのかも分からなかった山田は咄嗟にベタな質問をした。
「なあに、いきなり。今日はそういう日なの?」
ああそうか。須藤健一になりきらなくては。折角ならとことん須藤健一の人生を満喫してやろう。
「もう一度よく花の事を知りたいと思って」
ふふ、と花は小さく肩を揺らした。
「趣味は絵を描くこと。それから人間観察」
「へえ。絵が描けるって凄いね」
「うん。私こう見えて絵の専門学校に行ってた」
「凄い。どんな絵を描くの?」
「人が多いかも。リアルな人を描くのが好き。リアルって感情の事ね。感情を絵で表現したい。その為には人間観察が必要なの」
この話が嘘か本当かも分からないが山田は合わせる事にした。
「俺、絵はさっぱりだけど、機会があれば見たいな。花澤さんが描いた絵」
「うんいいよ、ちょっと恥ずかしいけど今度見せてあげるね」
「因みにどんな絵を描くのが好きなの?」
「うーん。まだ秘密」
急に指先に冷たくて柔らかい感触が伝う。見てみると、前澤花の手がそこに伸びていた。指先から一気に熱が頭までせり上がる。彼女は素知らぬ様子で話を続けていた。山田の目や耳に、景色も話も入ってこない。心音が暴かれぬようにと必至に笑みを作って頷いているうちに、入り口の前の噴水まで一周していた。
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