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「……キャプテン・グランパス? ああ、それはオレの事だよ。そういう二つ名で呼ばれているぜ。で、お前は誰なんだ? オレに何か用事なのかい」
オレの前に現れたそいつは、ダークブラウンの古びたコートを全身に纏っていた。
頭からすっぽり被っているフードで目が隠れていて、辛うじて見える口元が端正な顔立ちを匂わせている。上背はそこそこあるが、肩幅はさほど無い。どちらかと言えば華奢なシルエット。
そして右肩には大きなクロオウムが。よく慣れてるようで、翼を畳んでじっと留まっていた。
「私の名前は『エリザベス・"リサ"・オクトーバー』。……リサと呼んでくれればいい。サディの海に1ヶ月ほど船を出してくれる、勇気と気骨のある船と船長を探している。他所で『キャプテン・グランパスならば或いは』と聞いてきたのだが」
「あんた……女かよ」
その名前と、そして凛と通った高い声。
「はは……舟遊びでもしたいってのか?」
『これだから素人は』。溜息をつきながら、すっかりぬるくなった手元のビール瓶を引き寄せる。
「あのな、あんたが何者か知らんが、『10月のサディ海域』が何を意味してるのか知らねぇんだろ? 10月の海には……」
「知っている」
バンと、リサがオレの言葉を断ち切った。
「『10月のサディ海域』……ああ、充分に知っているとも。だからこそ、その海に出たいのだ。いや、出なければならないのだ。……金貨でよければ報酬はちゃんと用意する」
決して威圧するような大声ではない。しかし、その腹から吐き出す凄みを利かせたセリフに一切の説得に耳を貸さない固い決意が凝固しているのが伝わってくる。だが……。
「残念だな、リサ。折角オレを見込んでくれて悪ぃ気はしねぇが、こればっかりは他を当たってくれ。何しろカネなんざ幾ら貰ったところで、生命までは買う事ぁ出来ねぇんだ。オレだけじゃぁ無く他の船員の生命だって掛かってるし、レヴィアタンの悪魔が出れば船ごとヤツに呑まれてアウトだ。……オレはそんな先例をいくつも知っているんでね」
それを聞いて、リサが頭のフードを下ろした。思った通りの端正な顔立ちにブロンドの長い髪。ここらじゃ見た事がないコズミックブルーの瞳が印象的だ。だがその目つきはゾッとするほどの冷たさを感じさせる。
……こいつ、ただもんじゃぁねぇな。
歴然のクジラ漁師だって、ここまでの風格を持つヤツは珍しいだろう。どんな人生を歩めば、こんな目付きになるってんだ?
「『いくつも』か……。では『チェスター号』を知っているか?」
『チェスター号』……それは、オレら捕鯨漁師にとって『人間の手は1人に2本あるのを知っているか?』ってのと同じくらい常識を問われる質問。
「チェスター号? 当然だろうが。他国の船だがオレ達と同じくサディの海域を主戦場にしてる超有名な捕鯨船だ。いや……『していた』だな。そいつもレヴィアタンに呑まれたよ! 何年か前にな」
当時、チェスター号の水揚げは他の捕鯨船を遥かに凌いでいた。どうすればそこまで? と疑問に思うほど、大型のクジラを数多く仕留めていたのだ。だが、それほどの歴戦の勇士であってもレヴィアタンには勝てなかった。噂によると仲間の船が飲まれた仇をとるため、あえて10月のサディ海域に出と聞く。そして、海の藻屑と消えたのだ。
「そのチェスター号ですら呑まれたんだ。相手が悪すぎるってのが分かるだろう」
そう言ってゆっくり首を横に振ると。
「そうか、知っているか。実は私も『その船に乗っていた』のだ。そう……私の敬愛する『キャプテン・シルバー』と共にな」
リサが眉をひそませ、僅かに俯いた。微かに細くなった言葉尻に悔しさが滲む。
「考えられる限りの手を尽くして精一杯戦ったが……船は沈んで、皆んな死んだ。キャプテンの飼っていたこのオウムと私だけが、偶然にも生き残ったのだ」
透き通るような色白な頬に、暗い影が落ちる。握り込まれた拳が細かく震えている。
「何てこったい……あんた、あの船の生き残りなのか」
思わず息を飲み、ビール瓶から手を離す。
「……海に殺された者の仇は、残された者が討たなれけばならない。それが海に生きる者の掟だからな。人こそがこの海で頂点に立つ者であると知らしめねば、全ての獲物に舐められる。それでは漁は出来ない。……シルバーはよくそう言っていた」
……何? 何だって『仇をとる』って? おいおい止せよ。冗談じゃねぇぞ。頭、どうかしてんじゃねぇのか?
「まさかとは思うがお前さん、あの『レヴィアタン』と戦って退治しようって腹積りじゃあねぇだろうな?」
『これはヤバい話だ』って、やっと理解した。こんな馬鹿と付き合った日にゃぁ、速攻で海の藻屑ってモンだ!
こんな話、すぐに断らねぇと……。身を乗り出した瞬間だった。
「キャプテン、アンタに『戦え』とは言うつもりはない。近寄ってさえくれれば、ヤツの相手は私がする。ヤツを討つのは私の仕事だからな」
「何……だと」
正直、そのセリフには『カチン』と来たね。くそったれが! 正直、そんな悪魔に関わり合いたかぁねぇけどよ。でもオレはそれでも『鯨殺し』のふたつ名で通ってる男なんだよ。
それが何だって? オンナが戦ってる後ろで『黙って震えてろ』ってか。それは素直にハイハイと言えねぇな。
『獲物に舐められる』か……。ふん! 上等じゃねぇか。
「リサ、あんたが『どうしても』ってんなら、カネは1億5千万ペニーだ。『法外だ』と言われりゃその通りだが、来年用に『新造船』が必要だからな。レヴィアタンを相手にするとなると船を潰す覚悟がいるって事だ。……それに、船員に払う『特別ボーナス』や『救援用』として離れた所から追随させる船が要る。金はいくらあっても足りねぇ……別段高くはねぇぜ」
酔った頭だが、ざっと積算してもそれくらいは掛かるだろう。途轍もない金額だが、そう吹っ掛ければ或いは引っ込んでくれるかという期待も頭を掠めたが。
「1億5千万ペニー? ……分かった。私名義になっているチェスター号の稼いだ財産があるから、用意しておく。前払いでいいな? 何しろ私自身が生きて帰れる保証がないのでな……」
リサは平然とそう言ってのけ、そのまま肩に留まったクロオウムと共にバーの扉を開けて出ていった。
店で一緒に呑んでいた仲間の船員達が『まさか行くつもりじゃぁねぇよな?』って顔で心配そうにオレを見てやがる。
……ちくしょうめ。男には『後に引けない』って時もあんだよ!
「あーあぁ……当分は飲んだくれて暮らそうと思ってたのによぉ」
船に乗るなら酒は飲めねぇ。オレは残ったビールを手で払い除けた。
「よぉ、ジョージ! 聞いてたか?! 仲間ぁ集めて支度しろ! すぐにだ! 3日後に出航するぞ。今度の獲物は……レビィアタンだ!」
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