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船の一日は夜明けとともに始まる。
リサは朝起きて朝飯を簡単に食うと、そのままパンと水を抱えてフォアマストの檣楼に上がり、そのまま夕方まで降りてこないのが日課だった。ずっと洋上を眺め、ひたすらにレヴィアタンの影を追っている。
如何に穏やかな海とは言え、それでも外洋だからそれなりに船も揺れる。低い甲板にいれば立って歩くに支障はないほどの波でも、フォアマストの上端近くでは揺れも増幅されて相当に振れるものだ。慣れないとその場に辿りつく前に、シュラウドに張ったラットライン(縄はしご)から動けなくなるくらい揺さぶられるのだが。
それでも平気な顔をしてヒョイヒョイと登り、一日じゅう動かないところを見るに、相当な度胸と慣れと頑丈な平衡感覚があるのだろう。
シルバーの形見とか言うクロオウムは更に高いところを飛び、時折リサの所に戻っては翼を休めている。どうやらレヴィアタンを見つける手伝いをしているようだ。たかが鳥とは言え、それなりに思う所があるのかも知れねぇ。
オレは、というとそれでも日中はなるべく甲板に立って同じくレビィアタンを眼で探すようにしている。望遠鏡を使った方が遠くを見られるだろうが、それだと視野が狭くなるから裸眼のままだ。
『見つけたい』ような『見つかって欲しくない』ような。
出来ればこのままジョージが言うように1ヶ月間何事もなく過ぎ去って『残念だったな』で終わらせるのが、オレ達にとってベストかも知れないが……。
ジョージ達のような他の船員はもっとやる気がない。船足も意図的に遅くしてあまり広い海域を探らないようにしているし、海の方なんざ見ようともしない。ま、それが妥当というものだろう。責められはしない。
そうして夕刻になって太陽が海に沈みかけると、やっとリサもマストから降りてくる。本人もそうだろうが、頼みのクロオウムも『鳥目』で夜間は役に立たないという事もあるのだろう。
「よお! 本日もお勤め、ご苦労さん」
船員の荒くれ者達が軽口を叩いて迎えている。リサは無表情なまま、あまり反応はしない。
「どうやら今晩、ひと雨来そうだからよ……」
仰ぎ見る上空に、厚い雲がたなびいている。夜半に掛けてまとまって降るのだろう。
「雨に当たって皆んなで身体を洗おうかって、相談をしてたんだ。素っ裸の野郎共が船内をウロウロするが、構わんかい?」
ニヤニヤと薄ら気持ちわるい笑みを浮かべて、船員達がリサをからかっている。多分、恥ずかしがる様を見て面白がろうという腹なのだろうが。
「……別に構わん、好きにすればいい。雨が降れば身体や服を洗う……遠洋航海の船乗りなら当然だ。男の裸なんぞ、いちいち気にもせん」
チェスター号でも同じだったのか、リサは気にも止めない様子だ。
「はは! 流石だねぇ、姉御!」
肩透かしを食らわされて、船員がひょいと肩をすくめる。
「ならいっそどうだい? オレらと一緒に『水浴び』ってなぁよぉ」
周りの男達が、一斉にゲラゲラと笑い出す。
「ああ、そいつぁいいな。『裸の付き合い』ってヤツだ!」
だがリサはそんな下品な嘲笑に憤る様子もなく、足を止めてチラリとだけ肩越しに視線を送った。
「……悪趣味だな、やめておけ。陸に戻ってから、暫く女が抱けなくなるぞ?」
「は……?」
意味が分からない、というように船員達が顔を見合わせる。
「……チェスター号が沈没した時、一旦は私もレヴィアタンの腹に飲み込まれたのだ。いや……『らしい』と言った方が正確か。何しろその辺りの事は全く覚えていないのでな……」
淡々と語るその壮絶な体験に、男達の顔から嘲りの色が消える。
「しかし何か別の物と『食い合わせ』が悪かったらしくて、私だけ海中へ吐き出されたのだよ。だが寸刻の間ヤツの胃の中にいたせいで、全身が少し『溶けて』な……あまり見て嬉しいものではないぞ」
「う……」
男達が黙り込む。海竜はともかくクジラの胃液なら、船員たちも解体時に見てその脅威をよく知っていると言っていい。だから、その服の下に壮絶な傷跡が残っている事が容易に想像出来る。言わば重度の火傷を背負ったような。
「立って歩けるようになるまでに、3年かかった。首から上はどうにか治してもらったが、首から下の皮膚は薬を絶やせば忽ちにして腐りだすと医者からは言われてる。だから、汗もかかない。ふふ……身体を洗う手間がなくていいぞ?」
口の端に浮かべる氷のように冷たい微笑みを残して、リサがクロオウムと共に寝床にしている船倉へと帰っていく。それは辺り一面を凍らせるに充分な、狂気と覚悟が入り混じった鬼の表情。
もしかして。
ふと、気づいた。
リサの野郎……後遺症のせいで先があまり長く無ぇのか? だからあんなに必死なのかもな。
暫く誰も何も喋らずじっとしていたが、どうやらその悲壮な覚悟だけは皆に伝わったようだ。誰も指示はしていないが次の日から船足が早くなり、船員達も交代で海を見張るようになった。
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