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レヴィアタン、現る
その日は、朝から不気味な程どんよりと曇っていて。そして、北からの風がいつもより強く吹いていた。
何処かで微かに感じる、いるはずもない鯨の気配……。
リサはいつものように朝から檣楼に登り、遥か海の先を見渡していた。
船員のうち何名かが、ぶすっとした顔で右腕を時折ブンブンと振っている。昨晩の後遺症だろう。夕食後に酔った勢いで誰かがアームレスリングをやりだして、珍しくそこにリサが割り込んだのだ。多分、彼女も酔っていたのだと思う。何しろテキーラの強烈なヤツを1人で1瓶飲み干した後だったから。
結果として、リサが船内の力自慢12人をごぼう抜きにした時点で、誰も挑戦者がいなくなってしまった。
当のリサは平気な顔をしているが……。
と、その時だった。
「あっ!」
船員の一人が海を指差した。
「な、何だ! れ、レヴィアタンか!?」
船内が浮足立つ。
「いや、違う……見ろ、シャチだ! あそこだよ、シャチが海面から頭を出してやがる! すげぇ……見た事が無ぇほどデカいシャチだぜ!」
指差す先に、小山のように巨大な三角の形をした黒い頭が海面から突き出している。
「……スパイホップってヤツだな。シャチは海上に気になるものがあると、ああして顔を出して偵察をするんだ」
オレも船べりに立って、じっとこっちを伺うシャチを凝視した。いくらシャチとは言え、デカいやつだと軽く10トンを超える。それがあのサイズの身体で体当たりを食らわされれば、この船とて無傷ではいられまい。こっちに対して攻撃的なら、こっちも応戦する必要が出てくる。
すると。
「……そこを退け、『彼』は私に用があって来たのだ」
いつの間にやら、リサが檣楼から甲板に降りてきている。
「え……? 用事ぃ?」
オレが船べりから退くと、リサが海面に顔を覗かせてチッチッ!っと細かく舌を鳴らし始めた。
「おい……リサのヤツ、あれは何をしてんだ?」
船員達が不思議そうな顔で、その様子を見守っている。
シャチも、まるでリサと歩調を併せるかのようにカチカチと『クリック音』を出し始めた。
まるで、会話を交わすかのように。
暫くしてリサが顔を上げると、オレの顔を真剣な眼差しで睨みつけた。
「……レビィアタンが近くにいるぞ。今、『彼』の仲間が深海に隠れていた『ヤツ』を挑発して海面に浮き上がらせている」
リサは当然とばかりに『翻訳』してみせる。
「はは……なんてこったい。あんた、オウムだけじゃなくてシャチとも会話が出来るってのか」
呆れるというか何と言うか。
「……シャチは頭がいい。クジラを追うのにも、彼らの情報は役に立つ。仲間になって損は無いからな。……それに『彼』も仲間を数多くレヴィアタンに喰われて腹を立ててるようだ。私に協力を申し出てくれている!」
リサはそう言って、マストに括り付けてあった弓を縄から外し始めた。
荒波にも攫われないようガッチリ締まっていて、船内の誰もが緩める事が出来なかった縄だ。
ギギギ……。
軋むような音を立て、リサが弓を絞って張り具合を確かめていく。
……すげぇな。
オレは密かに舌を巻いた。何しろ前に手にした時に知ったのだが、その弦は普通に使われる『クジラの髭』ではなく、『鉄線』だったのだから。それがまるでタコ糸のように曲がっていく。信じられないほどの腕力と言えようか。
だが、それだけの腕力が無ければ、あの悪魔と戦うなんて考える事も出来ないだろう。
はは……『悪魔対化け物』の戦いってか……。勝つ可能性は……無くもないな。
オレの心の中に、微かな希望が芽生える。
実際のところ本当にレヴィアタンが現れたなら、このクソ生意気な女をフン縛ってヤツの鼻先へ叩き落とした上で全速力で逃げるのもひとつの手かと考えていたのだが。
もしも……だ。もしも、この女があの悪魔に勝ったりすれば、10月から先にもクジラが海に残るようになるかも知れねぇ。そうなったら、オレ達の漁も10月以降に続けられるだろう。……悪くない話じゃねぇか。
ふふん! やれるだけ、手助けしてやろうって気になって来たよ。
「何だあれは!」
突然、誰かが大声で叫ぶ。その指し示す先にドーム状の膨らみが海面に出来上がっている。そしてその膨らみが見る見るうちに膨れ上がっていく。
何か巨大な物が、深い海から急浮上して来たのだ。
「で、出たぁぁぁ!」
船内に悲鳴が走る。
青い海を割って出て来たのは、凶暴なワニにも似た海竜の頭。そして全身を覆う真っ白な鱗。
「なるほど……ありゃぁ、沢山の船が呑まれるはずだぜ」
リサに現認してもらう必要もないだろう。あんな怪物を見た事はない。それが何かと問われて、それ以外の答えを持ち出す事は出来まい。
そう、出てきたのはレヴィアタンだった。
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