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ドド……ォォ……ン!
巨大な鎌首が翻り、爆裂音にも似た音を立てて海中に没する。こっちの船との間隔は、300メートルほどか。
弾けた波が船の体側に猛烈な勢いで押し寄せてくる。
「まずい! 船を廻せっ! 波に頭を向けるんだ!」
操舵を担う副船長のジョージに怒鳴って指示を出す。船は縦方向の波には強いが、横波にはてんで弱い。大きな波を喰らえば、容易に転覆する危険がある。
「わ、分かってまさぁぁ!」
ジョージが慌ててグリップを握り舵輪をガラガラと回していくと、船がゆっくりと波に頭を向けてゆく。
ザン……ザン……!
そこかしこで、無数のシャチ達が背びれを海面から出して泳ぎ回っている。
「シャチの群れだ! 物凄い数だぞ!」
レヴィアタンを牽制しているのだろう。シャチの狩りはチームワークだというが、いつの間にこんな大群が集まっていたのかと驚かざるをえない。
「ああ、また来るぞ! レビィアタンだ!」
メインマスト中段に陣取っていた船員が叫ぶ。
また海が大きく盛り上がっているのだ。今度は、さっきより近い。200メートルほど先か。
ドド……ン……!
鎌首が飛び出すと同時に周りのシャチ達が跳ね飛ばされ、くるくると宙に舞い飛ぶ。
「マジかよっ! あいつら10トン近い体重があるんだぜ! それをあんな軽々と……っ!」
目の前で起きている現実が受け入れられない。まるで神話の中にでも迷い込んだかのような光景……!
そんな中にあってリサだけは違った。身体が自然と恐怖に縛られるような状況にも、悠然と弓に矢をつがえる。
「……来たな、悪魔め! 待っていたぞ、お前が姿を現すのをっ! 今こそ仲間の仇を……シルバーの無念を晴らしてくれる!」
左掌で強く弓のグリップを押す。握るのではなく『押す』。それは、恐ろしいほどの発射反動で左腕が壊れないようにするためのテクニックだ。
ギリリ……!
矢をつがえた鉄線が大きく撓る。太い先端の鏃が、レヴィアタンの潜った方向に向けられる。
「おい……何だよ、それ……」
震える指で、リサの二の腕を指差す。
さっきまで華奢にすら見えていた腕が、まるで窯で焼かれたパン生地のようにメリメリと膨らんでいく。……凄まじい、まさに神が掛かり的な膂力。
……何てこった、これがリサの本気ってヤツか! 昨日のアームレスリングなんざぁ、実力の欠片も見せちゃぁいなかったんだ!
出港したての頃に『力づくで抑え込んで楽しもうか』なんて冗談を言ってた連中……実行しなくてよかったな。もしもホントに手を出していたら、今ごろは首から上が胴体から千切り離されていただろうよ!
ドン……!
シャチ達に煽られ、またレヴィアタンが頭を出す。その一瞬に、狙い澄ました矢がリサの指から放たれる。
ドゴォ……ン!
弓矢というより、それはもはや捕鯨砲の発射音。耳をつんざく轟音と共に、鈍く光る矢じりが宙を切り裂く。
ロープを引っ張る捕鯨銛とは違う言えばそうかも知れないが、放たれた矢はそれこそ一瞬の内にレヴイアタンの元へと届き、ブスリとその鱗を貫いた。
その瞬間。
……!
確かに、レヴイアタンの巨体が止まった。たかが『矢一本』が刺さっただけなのに、身を固くしてその場で静止したのだ。
そして、ギロリ……と紅い眼でこちらを睨んだ。オレ達の存在をハッキリと認識したのだろう。向けられる、明確で圧倒的で牙を剥く敵意。
「ぎ……ぎえええ! こ、こっちを向いたぞぉぉ!」
船員達が悲鳴を上げて震えている。普段は偉そうにイキってやがるクセして、肝心なところで度胸のないヤツらめ!
だが当のリサはその押しつぶされそうな恐怖を前にして、端正な顔に狂気ともとれる愉悦を浮かべているではないか。
「ふふ……ふはは……あっはっはっは! どうだ、痛かろうがっ! 思い知ったか、この悪魔めがっ!」
ザブリ……!
まるで『矢』を避けるかのように、レヴイアタンが海中に頭を沈める。
「身体が満足にならなかった、この数年……ただ黙って寝ていた訳ではないぞ? お前を知るために世界中の古文書、伝記、記録、言い伝えを求めて旅をした!」
そして、リサは第二の矢を弓につがえる。
「そして、ついに見つけた! 貴様が『銀』に弱いという事を! 『銀食器を吐いた』という昔話を聞いて思い当たったのだ。そう、貴様が私を『吐いた』時、私はこの『銀の弓』を持っていた事を!」
ギリリ……! と鈍い音を立て、太い鉄線が再び『くの字』に折れ曲がる。
「さぁ……頭を出してみろ! 貴様のためと特別に用意した『銀の矢』を、その忌まわしき身体に食らうがいい! 冥土の土産に1本残らずくれてやろうぞ!」
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