その者の名は

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その者の名は

 何? 『グランパスって男を探してる』って? ……ああ、そりゃぁ多分オレの事だ。ふふ……確かに捕鯨船に乗っていた頃は『キャプテン・グランパス』なんて呼ばれてたっけ。すっかり忘れてたよ、お前さんに言われるまでさ。  で……こんな場末のバーに尋ねて来てまで、いったいこの老いぼれに何の用だって?  何? 『捕鯨船の昔話を聞きたい』って? ふん! 酔狂なヤツだね。そんな話を聞いてどうするんだ? ……『確かめたい事がある』だって? とことん変わったヤツだな。 で……そのテキーラが『その情報料』ってわけかい。へへへ、悪かぁないな。  いいぜ、それでアンタぁ捕鯨船の何を聞きたいってんだ? ああ……オレの武勇伝なら幾らでもあるぜ。それこそ両手両足でも数え切れないほどだ。  いいかい、お前さん。捕鯨ってなぁ、それこそ『男の花道』よ。ひとくちに『クジラ』と言ってもミンククジラだのゴンドウクジラだのと色々いるが、クジラの中でもシロナガスクジラってなぁ、時として200トンを超えるヤツもいるんだ。200トンだぞ? 200トン! ピンと来ねぇだろ。それだけあるとよ、掻っ捌いた心臓の中で人間が昼寝出来るんだぜ? それも3~4人が同時にだ!  そんなのを相手に銛を撃ち込んで戦うんだ、オレ達はよ。凄ぇだろ? まさに命懸けよぉ。時には船ごと引きづられる事だって……。  え? 『最強の銛撃ち漁師の話が聞きたい』って? 『伝説にまでなっている漁師がいるだろう』って……か。ああ……いたね、確かにいたよ。オレも50年漁師をしていたが、どうしたって『そいつ』の足元にも及びやぁしねぇさ。……『なのに誰も口を閉ざして教えてくれない』ってか。そりゃそうだろうよ。誰だって言いたかぁねぇさ。  『言いたくない理由』? ……そうさな、まぁ教えてやるよ。何しろテキーラのいい瓶を奢って貰っちまったからな……。  何、簡単な話さ。  そいつな、『女』なんだよ、『女』。  男が漢を見せる華の漁場で『最強の漁師が女だった』なんて、認めたくねぇんだよ。けど、その話をするんなら『そいつ』を抜いては語れねぇ……だから皆んな『口を閉ざす』のさ。まぁ、つまらんプライドだがね。分かってやってくれや。    そうさな、もうあれから30年近く経つが忘れるもんじゃぁねぇ……そいつの名は『エリザベス・オクトーバー』って言うんだ。オレ達は単に『リサ』って呼んでたがな。  リサがオレ達のところにやって来たのは、秋口……9月の末頃だった。ああ、それはハッキリ覚えている。間違いねぇ。  オレ達はよ、年が明けて1年が始まると同時にまずはマグロを追ってサディの海域に出るんだ。マグロは値が良いからな……。そして3月になってマグロがいなくなると今度はカジキを狙う。カジキってヤツは図体の割に値が付かねぇから、儲けにはならんけどよ。そして、5月になったらいよいよクジラどもとの勝負さ! 9月いっぱいまでクジラを追って……それで1年の漁は終わりだ。もう年明けまで船は出さねぇ。  ……何で9月で終わりかって? そりゃお前さん、決まってるさ。『魚がいない』からだよ。10月の声を聞いたら最後、クジラどころかシャチやカツオ……いや、イワシみてぇな小魚すら姿を消すのさ。何しろ『悪魔』が出るからよ……。  ああ『悪魔』さ。恐ろしい悪魔だ。  オレも直接にこの眼で見たが、信じられねぇくらいに馬鹿でかい悪魔よ。そいつぁ胴回りが大型の捕鯨船と変わらないほどもあって、頭の先から尻尾の端までゆうに200メートル近くあるんだ。……正確に測ったヤツはいねぇけどな。  その頭はワニに似ていて、胴体は大蛇みたいに真っ白な鱗でびっしりと覆われている。大きなヒレが4本あって、それでもって海中を猛スピードで泳ぐんだ。……とてもじゃぁねぇが、捕鯨船の貧弱なパドル如きで逃げ切れるモンじゃぁねぇ……。  何百年前からこの世界にいるのか知らねぇが、まるで神話に出てくる海竜のようだってんでオレ達はそれを『レヴィアタン』と呼んでいた。そう、大海原に太古から棲む伝説の悪魔、レヴィアタンだ。  捕鯨船の仲間が、何人も……いや、何隻も犠牲になってやがってよ。だから、それがサディの海域に出る9月末からは誰も海に出ねぇのさ。それは『臆病』とかなんかじゃぁねぇ。馬鹿な蛮勇に命を晒さねえための立派な『戦略』ってモンさ。黙って耐えてりゃぁ来年もまた漁が出来るからよ。  『リサ』は現れたのは、オレ達がその年の漁を終えたばかりの9月末、まだ暑さが残る昼下がりのバーだったよ。今は無くなっちまったが、港に近いボロい店さ。  『キャプテン・グランパスって男を探してる』ってね。……丁度、今のあんたみたいに訪ねてきたんだ。  ああ、それがリサを見た最初だよ。  
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