7人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ
第一話「博士と自動人形」(1)
■第一話「博士と自動人形」
1.
寝台の上に白い肢体が横たわっている。
目を閉じて、無防備にさらされた裸身は女性のものだ。
白衣の男が寝台に向き合っている。
彼が俯くと艶やかな黒髪が揺れた。
眼鏡にかかる毛先をかきわけて、視界を確保する。
真剣な眼差しは、一種神聖なものを見るときのそれにも似ていた。
「……最終チェック、問題ない。今日の出荷に回せる」
振り向きざまに男が言った。簡潔に響く無駄のない言葉遣いだ。
感情のひとつも窺えない低い声は、機械を連想させる無機質さを持っていた。
長身にまとう白衣と、冷たく輝く銀縁の眼鏡。
一見すると医者のようだ。
しかし彼の顔立ちはまだ若い。
年齢不相応に隙のない眼差しがベッドの上に投げかけられている。
「はーい。リストを更新しておくね」
答えた声は女の子のように高い、声変わり前の少年のものだった。
小型の端末を操作して顔を上げると、少年のおかっぱ頭が日の光を受けて金色に輝く。
セーラーカラーを翻し、少年は壁にかけられたクリップボードに手を伸ばす。
その華奢な体躯は後姿だけを見ると少女同然だ。
部屋は雑然として、物に溢れていた。
無菌的な雰囲気からは程遠く、しかし寝台が六台も並ぶさまは病室に似ている。
すべての寝台に裸身の女性が横たわっていた。
ぴくりとも動かず、大人しく眠っているのか。
いや、そうではない。
あるはずの鼓動の動きが、その裸の胸には窺えない。
が、死体というには血色がいい。
ここにあるのは、精巧に作られた人形だ。
「バイヤーの来訪は何時だ?」
男は素っ気無く問いかける。
「午後三時の予定だよ。今のところ変更の連絡は来てない」
「分かった。ミカル、それまでに梱包を頼む」
「はーい」
「それから……」
男がドアを見据える。
少年も、物音に気づいて振り返った。
間もなく大げさにドアが開かれ――
「博士っ――ルビンシュタイン博士っ。ごめんなさい、寝坊しました!」
まだ寝間着のまま、ぼさぼさの髪も梳かさず、小柄な女の子が飛び込んでくる。
「またか」
白衣の男――クルト・ルビンシュタインは白衣を翻して少女に歩み寄る。その名を表す深紅の瞳が、少女を冷たく一瞥した。
間近に迫った博士を見上げるために、少女は首を九〇度近く曲げる必要がある。博士は背が高い。
「正常な自動人形は寝坊しないはずだが」
「はい……」
叱責を覚悟して少女――フィリが身を縮こまらせた。
「……ごめんなさい、博士」
自分を見つめる冷たい眼差しを受け止めきれずにフィリは俯いてしまう。
ふと少女の上に日が差した。博士が退いて、それまで遮られていた光が届いたのだ。
「あ、あの、博士」
何も言わず去ろうとする彼の背中に呼びかける。
振り返った顔の、眼鏡が陽光を反射して、表情までは窺えない。
ただ穏やかではないとだけ充分に伝わった。
博士はいつだってそうだ。
冷静、冷徹、冷酷。
機械よりも愛想がないと噂される。
クルト・ルビンシュタイン博士。
彼は一秒でも惜しいというように、短くフィリに言葉を返した。
「着替えろ。見苦しい」
「あ……」
改めてフィリは己をかえりみる。
起き抜けのぼさぼさの髪は、ただでさえ長くて困りものだというのに、今日は一段と空気をはらんで膨らみ、ねじれ、重力を無視して暴れまわっている。
寝間着から覗く貧弱な脚は裸足のままだ。
どう考えても人前に出る格好ではない。
改めて己のふがいなさに落ち込んで、フィリは小さな拳をぎゅっと握りしめた。
「ぼく、手伝うよ。フィリ、行こう」
「ミカル。ありがとう」
少年に手を引かれ、フィリは自室へと戻った。
*
「クルトの言うこと、気にしちゃだめだよ」
鏡に映るフィリを見つめて、ミカルが励ましの言葉をかける。
鏡の中のフィリはもうすっかり綺麗に仕上がっていた。
髪は本来の艶を取り戻して銀に輝き、豊かにウェーブして背中へ流れている。
服も明るい色のワンピースに着替えて、少しだけ気分も明るくなったみたいだ。
前掛けの帯を結んで、ミカルは「よし」と呟いた。
「ほら、フィリ。せっかくかわいいのに、そんな顔してちゃ勿体無いよ」
「うん……ありがと、ミカル」
ちょっとだけ笑ってみる。
鏡のなかで、フィリの顔の上に不器用な笑みが広がった。
「ま、でも、確かに面白かったけどね~。寝坊する自動人形なんて、前代未聞」
「うぅう……」
せっかくミカルのおかげで上向きになった気持ちを、ミカル当人に叩き落されてフィリは細い肩を竦めた。ため息をひとつ。
「あはっ、うそうそ。冗談だってば~」
慌ててミカルがその肩に手を置く。
「大丈夫、クルトはあんなふうだけど、フィリだってもう分かってるでしょ? 性格なんだよ。きみに辛く当たってるわけじゃない」
「そうかなぁ……」
「そうだよ。彼、ちょっと語彙が乏しいだけなんだよ。豊かな言語表現を駆使する感性が欠けてるんだ。だから、大目に見てあげないと」
十三歳のミカルは、クルトと一回り近く歳の差がある。年長者の彼へ対して辛辣な評価を下しながら、最後の仕上げにフィリの頭にリボンを結んでくれた。
「できた。フィリ、笑って笑って」
お手本のようにミカルが微笑んでみせる。
宗教画の天使のように愛らしいミカルが微笑むと、なんだか元気づけられた。
フィリもつられて微笑む。
「うん。……うん、カワイイ」
感じ入ったようにミカルが呟く。
が、フィリはその言葉に「ありがとう」と返すのを寸前でこらえた。
「今日のぼくも、かわいいっ」
この場にフィリなど居ないかのようにミカルは鏡に見入っている。
フィリはこっそり嘆息して、ばかばかしくなって肩から力を抜いた。
確かにミカルほど顔立ちが整っていれば、己の容貌を好きになっても不思議ではないだろう。ミカルは切りそろえられた前髪の具合を確かめ、直線的な仕上がりにこだわったおかっぱ頭をチェックした。
もうフィリのことなんて忘れているだろう。
「うん」
頷いて、もう一度鏡に向かって微笑む。
どんな人もとりこにする、天使の微笑み。
それはミカルも例外ではなく、自分自身のとりこになっている。
「ミカル」
「あっ。フィリ、どう、今日の服は。気に入った?」
「うん。もちろんよ、ありがとう」
「じゃ、ぼくは今朝の仕事を片付けちゃうから。フィリもがんばってね」
「ええ」
ミカルが部屋を出ていく。
行き先はきっと工房だ。
クルトが作った自動人形たちに服を着せ、仕上げの化粧を施し、出荷の準備を整えるのだ。
――わたしも仕事を始めなくちゃ。
寝坊をした分を取り返す必要がある。
フィリは椅子を立って、一度鏡の前でターンをした。
ミカルの選んでくれた服は今日もかわいい。
かわいい服を着れば気持ちも軽やかになるというものだ。
頷いて、ドアへ歩む。ふんわりとスカートの裾が広がって足元で泳ぐ。
クルトの役に立つために、フィリは仕事場へ向かった。
最初のコメントを投稿しよう!