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「……ねえ、お兄さん」
少女の後ろを通り過ぎようという、まさにその時。
身動き一つせずにただひたすら川を覗き込んでいた少女の目が、彼の姿を捉えた。
「ねえ、お兄さんってば」
彼は振り向かない。
無視して通り過ぎる。そう決めていたのだから。
「ねえってば! 聞こえてるんでしょ!」
振り向くどころか一瞥すらない。
その態とらしいまでの態度に少女は苛立ち露わに叫び、鬼気迫る表情で彼の腕を掴んだ。
(こいつ、ふざけやがって!)
思っていたより強い力に引かれて体勢を崩した彼は、自力で踏み止まれずに手摺に体をぶつける形で静止する。
手にしていたエコバッグからは、小さく不穏な音がした。
(くそ……甘く見ていた……)
ズキリと痛む身体を手摺に預け、見誤ったことへの後悔の溜め息を吐く。
そんな様子を気遣うことも謝罪することもなく、少女は腫れた目で彼をジッと見つめていた。
「お兄さん、珍しい格好してるね? 和装男子ってやつだ」
本物は初めて見たけど良いね――などと感心し、どうでも良い感想を口にする少女。
薄気味悪い視線だと、彼は無遠慮に思う。それに上から下まで眺められる嫌悪感は、筆舌に尽くし難い。
「ところでさ、ここから落ちたら死ねるかな?」
少女は『本物和服男子』への興味など一瞬で失せて、橋の下を指差しながら尋ねた。
その口調は、纏う空気と発した言葉の内容とは打って変わって、意外にも明るい。
だが腫れた目は虚で、唇だけが緩い弧を描いている。
何かに絶望し、諦めている顔だった。
一体何が、彼女を生死の岐路に立たせるに至ったのか――?
そんなことは彼には関係の無いことであるが、少女なりに考えてのことなのだろう。経緯はともかく結果として、死の側に踏み入ってしまったのである。
「……お前、それを聞く為だけに引き止めたのか?」
「そうだよ? ねえ、どう思う?」
悪びれた様子は一切なく、カクリと首を傾げて少女は再び訊ねる。
「チッ……仕方ねえな」
不快感を隠さず、自分を無理矢理納得させる彼。
厄介事の相手をするのは面倒ではあるが、答えて気が済んでくれるのならば、普段口数の多くない彼でも嫌々ながら口を開く気になるというものだ。
「死ねる保証はしない」
「良いよ。どう思う?」
一つ前置きをして、彼は手摺越しに川を覗き込んだ。
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