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二人のしょうもない攻防戦は、どちらに軍配が上がるのか? ②
気が付けば恵莉がそこに居た。
家族が寝静まった朝方に、部屋の入り口で茫然と“優”を見ながら、美佳かと問うた。
まさか恵莉が起きてるだなんて。
「いつからそこに……?」
「夢精の辺りから」
美佳なら言い躊躇う事を恵莉はあっさり口にする。
(ぺろっとまあ、この姉弟はホントにッ!)
優の姉だけあって、この人も昔からよくモテてらっしゃっただけあると言うことか。
(ちょっと明け透け過ぎちゃいませんか……じゃなくて、そーじゃなくて! 何かこの状況、受け入れてない…?)
この順応の速さ。
優の順応の速さにも舌を巻いたが、更にその上を行く人が目の前にいる。
美佳の手からスマホを奪い取り、恵莉は「優。こっち来なさい」と相手の否を受け付けない絶対的な声音で言って切った。
(ホントにホントにもお)
遺伝子の恐ろしさを感じる。
どっちも唯我独尊だから、姉弟仲がいいわけない。
「美佳…なのよね?」
恵莉にじっと見られ、美佳は恐々頷いた。
「う…ん」
「匂うわ。美佳、何とも思わないの?」
「えっと、それには色々と葛藤がありましてぇ」
恵莉は複雑そうに“優”を見て溜息をつき、窓を開けて換気を始めた。
「シャワー浴びて来なさい。いいこと。優の精子なんか一億分の一でも残さないように、しっかり下着を濯ぐのよ。いいわね?」
「……はい」
「それから玄関の鍵開けてやって」
有無を言わせない恵莉に従い、玄関を開けると凄い渋い顔をした優が立っていた。美佳の顔を見た瞬間、思い切り舌打ちして二階に上がって行き、美佳は急いでシャワーをしに向かった。
部屋に戻ってくると、振り返った恵莉が「遅い」と眉をひそめた。
「一億分の一も残さないようにしっかり濯ぎ、洗濯機を回してきました」
「よろしい」
「卒倒しそうなくらい気持ち悪かったです」
手に残ったぬっるとした感触に、美佳は大袈裟ではなく身震いすると、「嫌いなヤツのなんて気色悪いだけよね」と恵莉は大きく頷いた。
「お前ら何気に失礼だな」
「あんたの精子であたしの服が汚染されたら困るわ」
「俺はバイ菌か」
「似たようなもんよ」
優が舌打ちすると、恵莉はふんとあしらい、「それにしても」と二人を見た。
「なんでこんな面白い事になってるの?」
面白い事。恵莉にとってはそんなモノなんだろう。所詮は他人事。
バイ菌扱いされた優がむすっと恵莉を睨み、胡坐に頬杖をつく。美佳には鬼畜の優も恵莉には楯突けない。
「それが分かるんだったら苦労しないって。朝起きたら“美佳”になってるって、想像するか?」
「しないわね。だけど、あんたはともかく美佳が可哀想。あたしがあんたになってたら、自殺もんよ」
頬に手を当てた恵莉が青褪めて首を振る。
(いやいやいや。性別以外、そっくりですから。あなた方姉弟)
違うのは、恵莉は美佳に優しい。
内心突っ込んだのはさておき、この突拍子もない事に平然としている恵莉を見た。
「恵莉ちゃんは驚いてないよね?」
「う~ん。そうね。自分でもちょっと意外なんだけど。何でかな? 最初から? 何か違うって思っていたからね。十何年も一緒に暮らしてるクソ憎ったらしい弟が、外見はともかく中身が美佳みたいに可愛くなってたら、馬鹿でも変だって思うじゃない? 優が自らそんな風に変わる訳ないもの」
そうは言いながら、やっぱり複雑そうな表情をしている。
「可愛い“美佳”の中身が優だと思うと腹立つけど、美佳が弟ならそれも悪くないかなあ」
「え…恵莉ちゃ~ん。あたし“美佳”がいいよお」
「そうよねぇ。美佳だって “優” なんか願い下げよね。考えが足りなかったわ。ごめんね?」
恵莉が“優”の頭を撫でると、なんか呼ばわりされた元の所有者がげんなりした面持ちで二人を見て、
「“優”が恵莉と仲いいとかって、見てて反吐出そうだわ」
具合が悪そうに口元を押えると、恵莉は眉を聳やかせた。
「あらそお。あたしはちょっと戸惑ったけど、基本外見なんてどうでもいいわ。魂レベルであんたが嫌いなのよ。刷り込みされたみたいにね。あんた前世であたしによっぽど嫌われるような事したんじゃないの?」
「そんなこと知るかよ。俺だって恵莉とは相容れない」
魂レベルで相容れないとか言う姉弟って、よっぽどだと思う。そして仲の悪い美佳と優。この三人が近くにいる意味を考えるともなしに考える。
恵莉は物心ついた時から美佳には優しかった。半面、優の事はよく泣かしていたのを覚えている。だから美佳と優が仲良く遊んでいると、恵莉はよく邪魔しに割り込んできたものだ。
恵莉はよく母親たちに「優と美佳を交換して」と駄々捏ねていた。
そこまで嫌われる優が少し可哀想だと思った事がある。それを恵莉に言ったら、優を庇ったって大泣きされた。
(きっと恵莉ちゃんは、優が鬼畜になってあたしを困らせること、子供心に何となくでも察知してたんだと思うわ)
一人頷いていると、小馬鹿にしたような目で“美佳”が見ていた。自分にこんな目で見られるというのは、思いの外傷つく。
「何にせよ、どうやったら戻れるか、って事よね」
恵莉が鼻で溜息をついて「優あんた」と横目に睨む。
「“美佳”の体で遊んでないでしょうね?」
「……取り合えず、まだ処女のままだな」
「取り合えずって何ッ!? 何なのねえ!? あたしの体で何する気よッ!!」
思わず“美佳”の胸倉を掴んで詰め寄った。優は美佳の顔を押しやって、シレっと言う。
「戻れるかどうかも分からないしなあ。一生処女って切なくないか? 俺が」
「切なくないッッッ!!」
「おいおい。どう考えたって切ないだろ。あんな気持ちいいコト出来ないなんて」
「知らないわよ、そんな事ッ!」
「夢精やマスターベーションの比じゃないぞ?」
ついさっき夢精をしたばかりの“優”のモノを指さして、優が意地悪く笑う。“優”の耳元に唇を寄せ「射精は気持ち良かったろ?」とくすくす笑い、耳を押えて真っ赤になった美佳が後退った。
「女はもっと良さそうだしなあ。誘惑に勝てるかな、俺」
「えりちゃ~ん」
「……確かに気持ちいいわよね」
「いやーっ。二人とも」
仲悪いくせに、何でこう言う時ばかり意見が一致するんだ。
床に突っ伏して半べそを掻いている美佳の頭をぽんぽんし、優がにっこり微笑む。
「美佳も誰かヤリたい奴いたら使っていいから」
「……ッ!!」
「溜めるのは体に良くないし、我慢は精神衛生上よろしくないからな」
さも当然のように言い切って、美佳があんぐりと口を開けた。ニヤニヤ笑っている優を眺めやって、
「それって遠回しのえっち宣言じゃ」
「遠回しじゃなくて、ストレートにセックス宣言だけど」
「バカーッ! 死んでしまえ」
「お前だけど死んでいいの?」
「あー言えばこー言う~ッ」
悔しいったらありゃしない。
ぶうっと頬を膨らませていると、恵莉が“優”の首に抱き着いて来た。
「あんたたち仲良くなってない?」
「「どこがッ!!」」
同時に怒鳴ると、恵莉は眉をひそめ「静かに」と人差し指を唇に当てる。恵莉は“美佳”の額をピシリと叩く。美佳が「あたしのオデコ」と言うのを横目で睨み、優に向き直ると、
「あんたの使い古しのモンと、美佳の処女を同レベルで考えるんじゃないわよ」
「もお。二人して処女処女って」
「恵莉。その絵面、キモイから離れろよ」
「あら。あたし中身が美佳なら、例え外見があんたでも仲の良い兄妹になれるわよ?」
「俺が嫌」
恵莉の手から“優”を奪うと、手を引っ張られた“優”が床にビタッと張り付いた。
勢いよく突っ伏した美佳に言葉はない。ただ恨めし気に優を睨み上げ、彼は肩を竦めただけだった。
「戻る方法とか、何か心当たりないの?」
強かに打った額を擦りながら訊ねた恵莉を見、「心当たりと言うか…」言い淀んで美佳は優を見た。
「なんかこの間、目の不自由なばあさんに、“納まるべき場所に納まった時に”とか言われたな。あと“多くを求めず、素直になれ”だっけか?」
「うん」
美佳が頷いた。恵莉はきょとんとして首を傾げる。
「何それ?」
「さあな。それ以上は教えてくれなかった」
優と美佳はさして多くもない情報を恵莉に話し始めた。
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