103人が本棚に入れています
本棚に追加
/97ページ
いったい二人に何が起きたのか? ①
***
朝っぱらから階段を景気よく落ち、服を着たままシャワーを浴びたかと思えば、大慌てで出て行った。
小学生の時に仲違いしてから、ずっと疎遠にしていた和良品のお宅から「なんか仲直りしたみたいよ」と含みのある電話があってから一時間。
我が子ながら見惚れちゃう男前の息子が、違和感を伴って帰宅した。
その違和感が、次第に確信に変わって行く。
息子がおかしい。
目の前にいるのは確かに十七年育てた息子なのに、言動が、行動が、別人だった。
もしかして階段から落ちた時に、打ちどころが悪かったのだろうか?
娘の恵莉が気持ち悪がっている。
そう言えば、朝からずっと恵莉が「優がおかしい」と訴えていたのを一笑に付し、聞く耳を持っていなかった。
美佳から貰ったと言うサシェを握りしめ、鼻に近付けたままベッドに寝転んで微動だにしなくなった息子を、娘と二人で茫然と眺めた。
その数時間後、うたた寝から目覚めた息子がまた妙な行動を起こした。
納戸に物を取りに行こうと廊下に出ると、トイレの前でうろうろし、ドアを見詰めてはため息をつき、またうろうろする。入らないのか訊ねると、慌ててトイレに入ったもののしばらく出て来ず、散々喚いてやっと出て来たと思ったら、幽鬼のような風体で部屋に戻って行った。
体の調子が悪いのかと部屋を覗くと、片隅で膝を抱えてぶつぶつ呟き、時々うすら寒い笑みを浮かべ、今度はさめざめと泣く。
病院に行こうと言えば、大丈夫だからと言って遠い目をした息子が言った。
――――ご心配をお掛けしますが、今までの優はいないと思って下さい
和良品宅に青褪めた優の母が訪ねて来たのは、じき夕飯の支度に取り掛かろうかと言う時間帯だった。
絶対におかしい息子と、数年ぶりに和解した美佳が何か知っているのではないかと、一縷の望みを託しにやって来たのだが、玄関先で対応した美佳の母も自分と全く同じ顔をしている事に気が付いて、彼女は言葉を失くした。
十七年間育ててきた娘と似て非なる者的な感覚に、かなり困惑をしている様だった。
美佳は一種の記憶喪失のように、女の子として出来ていた事が出来なくなっていた。すっぽり抜け落ちてしまったと言うより、最初から知らないとばかりに、母親の顔を見て引き攣った笑いを浮かべ、教えを乞うのだ。
小学四年から一緒に台所に立っていた娘が、昨日まで自分でお弁当を作っていた娘が、たった一晩で料理の仕方を忘れるとは、到底考えにくい。
そして言動。美佳と話しているのに、ふとした瞬間に反応が遅れ、言い淀んだり言い直したりして、どうにも思考が纏まらないようだった。熱でもあるんじゃないかと手を伸ばせば、やんわりと払って躱し、虚ろな笑みで「大丈夫」と言うのだ。
玄関先で母親二人が途方に暮れていると、階段を降りて来る音がして振り返った。美佳は素知らぬ顔をして二人を見ると、「ちょっと走って来る」と言って出て行き、娘を見送った母はペタリとその場に座り込んで、「やっぱり変になっちゃてる」と号泣しだした。
苦手科目体育。特にマラソン―――の美佳が、率先してランニングに出掛けるなどあっちゃならない現実。青天の霹靂でしかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!