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いったい二人に何が起きたのか? ②
***
月曜日。
最初はささやかな違和感。小さな戸惑いが生まれ、やがて困惑に変わり、疑惑になるまでそうは時間がかからないかった。
“優優” と “美佳” が周囲を動揺に落とし込むまで、本当にあっという間だった。
登校一発目から惰性で向かった下駄箱で間違いに気が付いて、美佳は隣の列に行ったものの上履きの場所が分からず、腕を組んで唸っていた。
制服の上着のポケットから味も素っ気もないスマホを取り出して、顔をしかめながら “美佳” の番号に電話を掛けた。
こんな事でもなかったら、お互いの番号もラインも登録なんてしなかった。
一コール目で “美佳” が出た。どうやらあっちも同じ状態だったようで、こんな基本的な情報交換が出来ていなかったことに、思わず苦笑した。
靴を履き替え、今度は間違えないように教室に向かった。
自分は “優” と何度も心中で呟き、予め聞いていた席に着いた。声を掛けてくるクラスメートに挨拶し、分かるか分からないかの微妙な表情の変化に、美佳は気付かなかった。
“優” には男友達も多いが、それ以上に女友達が多かった。事ある毎に絡みついてくる女子に辟易する。
(あの女たらしめ。何でみんな尽く触り捲って来るのよ!)
全く油断も隙もない。ドサクサに股間に手を伸ばして授業をフケようと唆してくるのもいて、これが優だったらその誘いに乗っている所なんだろう。けど、免疫のない美佳が 今は “優” なのだから、怯えた顔して逃げ去っても仕方ない。
そしてやっぱり困ったのはトイレで、そこはとんでもなくデンジャラスゾーンだった。
一瞬間違えて女子トイレに入ろうとし、たまたまかち合った “美佳” に背後から蹴り飛ばされた。これが “優” じゃない男子だったら女子のリンチに遭ってるところだ。
“美佳” に有るまじき行動ではあったが、おかげで助かった。
ぼうっとしていたと言い訳し、隣の男子トイレに入って今度は、ずらりと並んだおぞましい光景に硬直した。
卒倒寸前の美佳は、用を足した男子に邪魔にされ、横に連なった男子を見ないように個室に入ると、大きく息を吐き出した。ここで決心が着くまで、ベルトに手を掛けて深呼吸する。自宅のように喚くわけにもいかず、決死の思いで便座に腰掛けると、羞恥に涙が滲んだ。
先日、用を足す際の抓み方なるものを無理矢理レクチャーされたが、到底実行できそうもない。速攻アルコール消毒したい心境に駆られたが、口に出したらもっと虐められるから言わなかったけど。
「おい安西」
昼休み、普段なら来るはずもない担任が、教室に顔出した。
美佳は自分が呼ばれている事に気付かず、手作り弁当に舌鼓を打っている。
「安西優!!」
フルネームで呼ばれ、自分だった事を思い出して思わず直立した。
「は…はいぃ」
担任は眉をひそめ、納得したように何度か頷いた。
「さっきお母さんから電話があったんだが、お前階段から落っこちて頭打ったんだってな?」
「はあ…まあ。そうですね」
「それで言動がおかしい事があるからって言ってたぞ? 大丈夫か? 具合悪くないか?」
優母ナイス、と心の中でサムアップする。
別に階段から落ちたせいって訳じゃないけど、身内の援護射撃は正直助かる。これで多少変でも、そのせいだと周囲が誤解してくれる。
美佳は食べかけの弁当箱を持って見せ、「この通りです」と食欲をアピールした。
「ただちょっと記憶が抜け落ちてたりしますけど」
「そ…そうか。あんまり無理するなよ?」
「はい。ありがとうございます」
“優” が深々と頭を下げると、教室がどよめいた。
(……あんた…どんだけよ。優)
礼節は人として大事だと思うのだが…。
美佳が知らないだけで、優はフレンドリーに話しかける方だった。
こう言う細かい情報の交換も為されていない。
(…ああッ!! あたしもきっと変な事になってるんだろうなあ)
正しく以てその通りだ。
引き攣る顔を隠しもせず、美佳はため息を漏らした。
***
朝、教室に入って席に着き、優は教室をぐるりと見回した。
よく分からないクラスメートたち。まるでクラス替えをした心境だ。
これが“優”だったら、登校を待ちわびた女子たちが周囲を囲んで来たりするのだが、今傍にいるのは“美佳”と仲の良い友人 川村さつきと佐藤菜摘の二人で、今日の古典がどうのとか、数学当たるとか他愛もない事を話している。
優が気のない返事をしていると、菜摘にほっぺたを引っ張られ、じろりと睨むと「ごめん」と戸惑った顔をした。
いつもの “優” ならば、美佳の交友関係がどうなろうと知ったこっちゃないが、『戻れた時の事を考えて、お互いの交友関係に支障を来すような問題を起こさないようにする』と約束した手前、今のはちょっと不味かった…と思う。
これが振るい付きたくなるような美人なら話は別だが、不本意ながらも優は笑顔を作って菜摘を見た。
「ごめん。ちょっとこの間から腹立つことが山積みで。イライラしてて」
優が知り得る限りの美佳の馬鹿っぽさを再現して微笑みかけた。
菜摘が美佳をじっと見て首を傾げ、「ふ~ん」と微妙は返事をし、数学の教科書を開く。優はこっそりため息をつき「めんどくせ~」と口中で呟いた。
三限目と四限目の間の休み時間、半ば無理矢理トイレに引っ張って行かれ、そこで “優” と一緒になった。ぼうっとして無意識に女子トイレに向かっている美佳に、心中で舌打ちして背中を蹴飛ばし、唖然としている美佳にこれでもかってくらいの怒りを込めた眼差しを向ける。ハッとして男子トイレに向かった美佳を見送り振り返ると、さつきと菜摘が茫然と “美佳” に見入っていた。
誤魔化し笑いを声に乗せ、すたすたとトイレの個室に逃げ込んだ。
(やべ~ッ。絶対変に思われた……あの美佳のせいだ)
壁を殴りつけたいのを必死に堪え、地団太踏む。
(ぼーっとし過ぎだ。俺を変態にする気かッ!?)
元に戻ったら変態のレッテルが貼られているなんて御免だ。
さつきと菜摘の胡乱な眼差しを無視し、さっさと教室に戻って次の準備をしていると、二人が席の前に立って “美佳” を見下ろしていた。
「イライラの原因って、安西くんとケンカしたとか?」
さつきが眉をひそめて訊いて来た。そこに菜摘が続く。
「ケンカするほど付き合いあったっけ?」
「蹴飛ばすなんてビックリよ。あれで怒らない安西くんにも驚いたけど」
「でも安西くんも変じゃなかった? ぼうっとしてさあ。慌ててる姿はちょっと可愛かったけど」
思い出したのか菜摘がくすくす笑い、釣られてさつきも笑う。
どうやらこの二人、幼馴染みだという事を知らないらしい。
美佳の事だから単に隠したいだけなんだろうが、まあ吹聴されるよりはいい。
二人の質問をのらりくらりと躱し、別の話を振ったらあっさり乗って来た。美佳の友達だけあってちょろい。
五限目の体育はバスケだった。“優” ならば得意分野なのに、この “美佳” の体は運動神経が皆無の如く動けない。“優” なら考えるより早く体が動くのにと、何度歯噛みしたか!
先日ランニングに出た時など、一キロも走らないうちに息が切れて走れなくなり、気分転換どころか最悪になって帰宅した。
(本当に昔から体育が苦手なヤツだな。だからデブるんだ……こーなったら肉体改造してやるッ!!)
自分がぷよんぷよんなんて、絶対に許せない。
そしてまた “美佳” に有るまじき熱血ぶりでコートを走り回り、クラス女子が呆然としたのに優は気付かなかった。
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