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そんなこと言われたって。⑬
「絹と惣、だっけ? その人たちが優に何したの?」
ストレートな物言いに、美佳はじっと葵を見返した。
果たして何と説明したものか。
絹と惣は二人の前世なんです、と言ったところで頭がおかしいくらいにしか思われないんだろうなぁ、とか考えて優を見る。それから田端を見た。
田端たちに話した時は、変だと勘付かれていたしバレるのも時間の問題だった。仲の良い三人に隠しておく気が、優と美佳にサラサラなかったのも有る。
(異常な事態だったから、味方が欲しかったのよね。多分、あたしも優も)
その二人が優に何をしたか問われて、とんでもない呪縛を掛けられていますと説明するのは、普通の真面な考えを持った人相手に、かなり抵抗を感じるのは否めない。
(優が坂本くんにバラしちゃった時は、正直胆が冷えたけど……)
人に話したところで信じて貰えないからね、そう彼は言っていた。
もとより美佳が不利になることはしたくないと、その後苦笑していた坂本の顔は泣きそうで、申し訳なくて何度も謝ったら、『そこは有難うで良いんじゃない?』とちょっと怒った顔で言われた。
(で、また謝りそうになって、今度はホントに怒られたんだっけ…)
冷静に考えたら、坂本の方が人として出来てると思うのに、何故自分はまた優を選んでしまうのか。
どうにもならない感情に美佳はこっそり溜息を吐く。
何かと喧嘩腰の葵だけど、本当はそんなに悪い人ではないと分かる。少々短気で、負けん気が強いから、自分より劣っている美佳に負けるのが許せないんだろう。
(…きっとそうだよね。あたしが一番 “ないわ” って思ってるんだから)
壊れた性格を表に出さなければ、優がハイスペック男子なのは間違いない。
だけど……。
葵に包み隠さず、自分たちの秘密を打ち明けるには勇気がいる。そこまで信用に足る人物かも分からないし、それで優を縛り付けていると言われたら、美佳には反論できない。
葵に見入って微動だにせず、つらつらとそんな事を美佳が考えていると、優の手が美佳の頭をポンポンとした。
***
優は葵をじっと見て、少し首を傾いだかと思ったら「前世で俺ら夫婦だったんだよ」と唐突に言った。
嘘か本当か判断が付かない笑みを浮かべて、優がまた足を踏み出した。
何を言ってるんだか解らないと表情で訴える葵に微笑んで、優はそのまま言を継ぐ。
「絹と惣はその時の名前」
「…は……はははっ。冗談ばっかり」
「うん。冗談」
あっさり頷き「驚いた?」と笑う優を見、次いで美佳と田端に眼を遣る。
止める隙もなかった美佳が茫然と優を眺め上げ、田端が呆気に取られた顔で何度も瞬くのを見、「やだなあ優。人を揶揄って」と何とか返しながらも、葵は怪訝な思いを隠しもせずにジロジロと三人を見た。
馬鹿な事を言っている、二人がそんな目で優を見ていると思ったのだが、違和感を感じた。
胡乱な眼差しで見ていたのだろう。優は肩を竦めて見せ、「じゃあ、こんなのは?」と悪戯っ子の笑みを浮かべる。
「俺が美佳以外とセックスすると、俺と美佳の身体が入れ替わる…とか」
「ある訳ないじゃない。そんな事」
「だよな」
半ば呆れたように言った葵に神妙な顔で優が頷くと、田端がぶっと吹き出した。それ以上は何とか堪えようとして、顔を背けた彼の肩が苦し気に震え、それを見る美佳の顔は能面のようだ。
そうだ。そんな非現実的な事、ある訳がない。
「絹と惣は、俺と美佳の古い知り合いだよ。彼らが俺の反面教師なんだ。つまりそう言う事」
美佳の頭を抱き寄せた優の台詞に、特別おかしい所はない。寧ろ普通の答えだ。
そう思うのに、何か体良く誤魔化された感じがして、胸がモヤモヤする。
「反面教師って?」
「遊びは程々にしないと、痛い目に遭うってこと。惣一郎、それで絹に置いてけぼり食ったし。後悔は先に立たないの事例を目の当たりにしたんだよ」
「それは当然の結果ね」
葵は大きく頷いた。
ほらね、と思う。
愛なんてものは、すぐに移ろう。そんなものに身を賭して、人生を見誤るのは御免だ。
「ねえ優」
葵は優の前に歩を進め、くるりと振り返って後ろ向きで歩き出した。
「あ?」
「美佳がこんなだし、あたしがいつでも相手するわよ?」
瞠目し、美佳が葵に見入って絶句している。想定内の反応に気を良くして、葵はクスクス笑い「一か月は無理できないし」と彼女の左肩にそっと触れ、今度は挑戦的な笑顔で美佳を見た。
優は瞬く間に渋面になって大仰に溜息を吐くと、その場に立ち止まった。みんなそれに倣って足を止める。
「はあ…何でそんな流れになる? 俺の話聞いてた?」
「もちろん」
またも大きく頷き、葵は嫣然と微笑む。
「美佳とは一ヶ月もセックス禁止なんでしょ? 欲求不満になってあっちこっちに手を出すくらいなら、あたしにしとかない?」
微笑んで提案してくる葵をしげしげと眺め、優は不安そうな目をして見上げている美佳に微笑んだ。ホッとした顔をする美佳に、葵は小さく舌を打つ。
優は美佳の肩を抱き寄せた。
「何言ってんの。俺が大人しく一ヶ月も美佳を襲わないわけないじゃん」
「ちょっと優。あんた今サラッと聞き捨てならない事言った?」
「なんだよ。まさか美佳も俺が大人しく言うこと利くとか、思ってたんじゃないだろな?」
「そこは大人しく言うこと利こうよ。あたし怪我人なんだから」
「やだね」
即答で却下し、そっぽを向く優。美佳は愕然と口を開けたまま彼を見て固まっていた。優は更に続ける。
「一ヶ月もしなかったら、美佳が欲求不満になって俺が大変なことになるじゃん」
それが然も事実のように、これまでにもそんな事が合ったように匂わしつつ、しれっと優が言った。美佳は優の前に回り込んで、目を逸らしたままの彼の胸を突いた。
「何それ。責任転嫁して自分を正当化しないで貰える!?」
「じゃあ美佳は我慢できるんだな?」
「出来るわよ!」
「ふ~ん」
ニヤニヤと笑う優を上目遣いで見上げる美佳。
しばらくその状態が続き、美佳はそわそわし始めるとあからさまに目を逸らした。彼女の見るからにモチモチした白い肌が、僅かに赤く染まっている。
優は黙って美佳を見ていただけだ。赤くなる要素は何もなかった。
口角を上げて微笑む優が「どうした?」と揶揄う目で美佳を見れば、彼女は更に顔を赤くして俯く。
(チッ…視姦か)
「視姦だな」
葵が心中で舌打ちして独り言ちたのと同時に、田端が同じ事を呟いた。
僅かな間優に視られただけで、官能を刺激された美佳に葵はじりりとした思いを抱く。優に艶めいた目でじっと見つめられたら、葵でも欲情する。と言うか優が相手なら直ぐにでも欲情できる。
彼を余す所なく知っている美佳なら尚のこと。
赤くなった美佳に纏わりついて揶揄っている優に「知らないッ」と吐き捨てて、美佳はズンズンと歩き出した。その後ろから抱き着いて、耳元に唇を寄せ何か囁いている。優の言葉に反応し、抱き着いて離れない彼の頭を小突く真っ赤な美佳を、田端が微笑んで見ていた。
葵の視線に気が付いた田端が、小首を傾げて見返して来た。
「どうした?」
その言葉に首を横に振った。
特に何が言いたかった訳じゃない。二人が戯れるのを微笑ましそうに見ている田端が、何となく不思議と言うか妙な感じがして、つい見入ってしまった。
前を美佳に邪険にされながら、優はそれでも絡みついて歩いている。
不意に田端が口を開いた。
「伊藤がどんな心算で安西に付き纏ってるかなんてどうでもいいんだけどさ、あの二人の間に入り込む隙なんてないと思うよ?」
横目にチラリと見、前の二人に視線を戻す。
「それは桐吾の経験から?」
「俺の? 違う違う。そりゃわらしは可愛いけどね。あんな男に捕まっても、必死で応える姿がいじらしくて、応援したくなるんだよなあ」
「そこに恋愛感情はないの?」
「ない。もし仮にあったとしても、安西と渡り合うなんて、命知らずな事はしない」
「ただのヘタレじゃない」
「ヘタレでいいよ。安西にはどうしたって俺は勝てないからね」
言い切って二人を見る田端の顔は、葵がこれまで見たどの表情よりも真面目だった。
田端がちょっと本気出したら勝てそうな気もするのだが。
優に絡まれたら、確かに面倒臭そうな感じもするけど、欲しいのなら奪ってしまえばいい。
葵の不穏な考えを感知したのか、田端が困ったような笑みを浮かべて葵を見ていた。
「安西は死んだってわらしを手放したりしないよ。大袈裟でも言葉の綾でもなくね」
「そんな事分からないじゃない。熱愛だって言われてた人たちが、憎み合って別れることだって珍しくないわ」
「…伊藤は、愛とか、そーゆーの信じてないんだ?」
「どこに信じられる根拠があるの?」
「目の前」
田端は顎をしゃくって、葵の視線を促す。
前にはふざけている二人しかいない。
小馬鹿にしたような笑いをフッと漏らすと、葵は田端を憐憫の目で見た。
「あれのどこが? 笑えない冗談ね」
田端は肩を竦め「そっか」と薄く笑うと小さく頷く。そして矢庭に前の二人に向かって走り出し、その両腕に囲い込んだ。
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