その少女

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今夜は星がよく見える。 雲一つ見当たらない夜空は親友にぴったりだ。無意識にスマホのカメラ機能を起動し、パシャリと写真を撮ってみる。 親友の心も、こんな風にキラキラと輝いていたような気がする。影を知らない、良くも悪くも真っ直ぐな子だった。そんな親友に、理央は間違いなく救われていた。 「ねぇ、恵。森下先生。あなたたちは、この空のどこかで、私のことを見ているのでしょうか?」 理央の問いに誰も答えることはなかった。当然といえば当然だ。2人はもう、この世にいないのだから。 強い風が髪を巻き上げた。5階建ての屋上なだけあって、やはり風が強い。 乱れた髪を手櫛で直しつつ、足下で転がっている親友をぼんやりと眺めた。 彼女はとても穏やかな表情を浮かべていた。どこか満足そうにも見える。その首筋から流血していなければ、ただ眠っているように見えるだろう。 一歩、二歩、三歩、と。足を進めて抑止力の低いフェンスから地面を覗き込んだ。 清掃のオジサン達が毎日綺麗にしてくれている煉瓦の通路。そこには大柄の男が倒れているはずだ。 ……暗さもあってここからではよく見えないけれど、こんなところから落ちたのだ。酷い惨状になっているだろうというのは見なくても分かる。 写真をフォルダーに保存して、大きく息を吸った。理央には、これからやらなければならないことが山ほどある。 バッテリー残量の少ないスマホに3つの数字を打ち込んでから耳に当てる。 「警察です。事故ですか? 事件ですか?」 ワンコールしないくらいの速さで電話に出てくれたオペレーターと思われる女性の声。 「事件です。私、人を殺しました」 息を飲む音が聞こえた。 動揺しているのだろうか、声が少し震えているような気がする。 「あなたのお名前と場所を教えてください」 「柳原 理央と申します。場所は──高校の屋上です」 「……分かりました。すぐに隊員を向かわせます」 オペレーターとの通話を終了させ、スマホの電源を落とした。黒い画面が理央の顔を映し出す。その顔は無表情でまるで機械のようだと、ぼんやりと思った。 昔からそうだった。感情が表に出ない。出にくい、とかじゃない。全く反映されないのだ。 フンッと鼻を鳴らして、自嘲する。親友を亡くしたこんな時でさえ、この凝り固まった表情は動いてくれないのか。 傍にいたくなって、彼女の横に腰を下ろす。 血が広がっているが、気にしないことにした。どうせこの手はもう、汚れてしまっているのだから。 この顔を見るのも、これで最後になってしまった。理央にはどうしようもない寂しさが波のように押し寄せてくる。 けれど、これが理央の。恵の、選んだ道なのだ。そう思うと、少しだが救われるような気がした。 「……さようなら、恵」 当然、返事はない。ただ、言ってみただけだ。 遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。徐々にソレは近付いてくる。 随分と早い。こんなにも速いものなんだな、なんて理央はそんなことを場違いにも考えた。 複数の足音が近くに来ている。……そろそろ、恵ともお別れだ。 階段を上り切った男性達に体ごと振り返って対面する。 メガネを掛けている神経質そうな男性が、一歩前に出た。この人が彼らの中では偉い人なんだろう。当たりを付けるも、それを確かめる気は理央には更々ない。 刑事よりIT企業の役員の方が似合いそうだ。そんなことを考えて、理央は内心で苦笑する。 状況を鑑みず、取るに足らないことを考えてしまうのは理央の悪癖だ。直そうと思っているのに中々治らないのだから癖というのは恐ろしいものだ。 「……柳原 理央さんですね。署まで御同行願います」 静かな声だった。だけどその声の奥底には怒りが込められているのがなんとなくわかる。なんだ、思っていたより熱い人なのかもしれない。見た目は知的で、何事にも動じなさそうなのに。これが、ギャップというやつなのだろうか。 またくだらないことを考えてしまった。理央は大人しく両手を出した。 「……20時42分。殺人の容疑で逮捕する」 ガチャリ。と小さな音の鳴った手錠の感触は、きっと忘れることはないだろう。
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