誕生花

1/1
前へ
/1ページ
次へ
M駅を出て、目の前の小さな個人商店の横の路地を入る。 少し進んだ先に、不定期営業のフラワーショップがある。 「お天気の日にはやってないんだよね。あの店」 沙紀はシャッターのしまったフラワーショップを指さして言った。 「ふぅ、ん。私、花なんか好きじゃないから興味ないな。あんなところに店があったのも知らなかったし」 絢美は前髪をせわしなくいじりながら答えた。 絢美の前髪は今日も、少しのうねりも乱れもないストレートで、キラキラ見えるようなツヤがある。 くせっ気の沙紀にとって、夢のまた夢であるストレートのロングだ。 「そっか。前からあったんだよ。今まで晴れの日にやってるのを見たことない」 絢美の様子をまっすぐ眺めながら、沙紀が答えた。 興味のない絢美と、閉じているフラワーショップが気になる沙紀。 一緒にいるのに、興味も趣味もまったく似ていないふたりだ。 沙紀はふと、閉じたシャッターの上に店名が書かれた看板があるのに気付いた。 《happy birthday in rainday》 お誕生日おめでとう、雨の日に…? 雨の日のお誕生日おめでとう…? 沙紀はまた絢美のほうを向いた。 雨の多い五月も半ばになる。 来月、梅雨入りしたら憂鬱だな、絢美のストレートヘアーはうねらなくていいな。 傷んでない髪は湿気でもうねらないらしい。 そんなことを沙紀はぼんやり考えていた。 絢美の誕生日、何を贈ろうかなとも、この数週間、ずっと考えている。 絢美はずっと前髪を気にしている。 沙紀は絢美が前髪を気にするクセは、悪癖だと思っている。 でも、絢美にとって前髪いじりは大切な行為なのだ。 心を落ち着かせようとしている。 絢美はいつもいつも、何かに駆り立てられるように前髪をいじっている。 鏡の代わりになるものがあれば、その前に立ち、自分の姿を映しながら前髪を整える。 水に姿が反射するなら、きっとその水面を鏡にして前髪を気にするだろうと思う。 水面の自分の姿にほれぼれとし、死ぬまで自分に見とれ続けたという神話の主人公、ナルキッソスのように、自分の姿に見入り、気にする。 でも、絢美はナルキッソスとは違う。 絢美は自分の姿に見惚れているのではない。 絢美は自分の姿が、何を意味しているのか分からなくて、必死に鏡を見たり、前髪を触ったりしているのだと沙紀は感じていた。 絢美が「絢美の親友」と認定してくれるのは沙紀だけだった。 絢美は人の好き嫌いが激しい。 男性のことはほとんど嫌い。 女性のことだって、嫌う。 絢美は人に嫌われてもぜんぜん平気だというが、 沙紀は人に嫌われるのが怖かった。 誰にでも、好印象を持ってもらいたい。そうしないと、学校でもクラスでも、生きていかれないと思ってしまう。 だから、相手にイヤな思いをさせない、あなたを嫌わない、だから、あなたも私を嫌わないでという態度で生きている。 でも、絢美は違う。 嫌いな人の前では、はっきりと「嫌い」という態度を出して見せる。 『そうやって相手に分からせないと、しつこくされても困るしね』 絢美は口元を歪める。 沙紀はこう言い切る絢美を見るとき、神々しいとまで感じることがあった。 自分の出来ないことができる人間が、沙紀には輝いて見えた。 絢美はクラスで、いや、校内で、もっと言えばこの街で、一番可愛いと沙紀は思う。 沙紀だけではなく、絢美を知る人はみんなそう思うはずだ。 だから、絢美のことを外見とか、上っ面でしか知らない人は、鏡ばかりを見て、年中前髪をいじっている絢美は厭味な存在であり、 「ナルシストだよね」 となってしまう。 絢美は自分の見た目、たとえば目の大きさや、綺麗な鼻筋、涼し気で主張のない上品な唇など、そういうパーツを毎日眺めてはいるが、でも、その魅力がどういうものか、は分かっていない。 自分の何が、人を惹きつけ、好かれるのか、人がどうして自分を見るのか、そういう理由を必死に見つけたがっている気がするのだった。 一番そばにいる沙紀には、そのことが痛いほどよく分かった。 絢美は自分の魅力を、 「人がしつこくしてくる」 ということで、初めて知っているだけなのだ。 学内、学外の男子の誘い。 好奇の目。 変質者の標的。 絢美は自分が主体の人生ではなく、それらから免れるために、生きているようなものなのだ。 それは、その美貌が続く限り、一生続く。 沙紀はそんな絢美を気の毒に思うことがあった。 「絢美って、沙紀を引き立て役にしてるよ。そんなの親友じゃないよ。離れたほうがいいんじゃない?」 と、親切な人は言う。 厭味じゃない。 そう言って忠告してくれる人は、その人なりに真剣だし、親切なのだ。 その人の価値観で、沙紀を思ってくれている。 沙紀はそのことが分かる。 「ありがとう。そういうこともよく考えてみるね。でも、私が絢美を好きだから、絢美と一緒にいたいだけなんだよね」 沙紀は答えた。 それが真実だった。 外見がいいことは自信に繋がらない。 四六時中、外見ばかりを気にしているような、一見すると自信過剰に見える行為は実は、不安でたまらない気持ちの表れなのだ。 絢美に厭味なところなどなく、ただ不安に慄いている女の子だ。 不安でいっぱいなのは沙紀とよく似ている。 でも、絢美は、 「沙紀って強いなぁって思う」 という。 「私、この世のなかのこと、ほとんど全部、どうでもいいと思っちゃう。何も楽しめないし、怖いし、面倒だし」 絢美は風に吹かれふわっと舞った長い髪を整えた。 そしてまた、前髪を気にした。 スマホのミラー機能と、向き合っている。 自信が揺らぐ人間にとって、世の中はきっと色あせて見えたり、どぎつい原色に見えてちかちかしたりするのだろう。 だから、自分の姿だけを見ていたいのだろう。 沙紀だって、自分に自信などないが、容姿にとらわれずに生きるという術だけは身に着けた。 それだけで、女の子はずいぶん楽になる。 雨の日、フラワーショップは開いていた。 沙紀は思い切って訪れてみた。 軒下に並んでいる花を眺める。 奥から、店員さんが「いらっしゃい」と言った。 長い髪を束ねた女性だった。 この人の髪も、絢美と同じように、湿気でうねらないストレートだった。 「すみません」 沙紀は口を開く。 「どうして、雨の日しかやっていないのですか?」 沙紀は店員さんに訊いた。 「晴れの日って気分がいいから、みなさんやりたいことがたくさんありますよね? でも、雨の日に憂鬱を感じる人って多いと思うんです。だから、雨の日にお花が目に入るだけで、ちょっとだけ気が晴れたらいいなって」 店員さんは笑った。 「そういうことなんですね」 沙紀が納得した。 スーツを着た女性客が花を選び、一輪、買った。 「ありがとうございます」 店員さんは女性客を見送った。 沙紀ははっとした。 「《自信》を意味した花言葉ってありますか?」 「《ミスミソウ》がそうです」 「売っていますか?」 「ミスミソウは扱ってないんです」 「そうですか……」 沙紀はうつむいた。 何か、絢美にふさわしい花がないかと考え巡らせた。 花が好きじゃないという絢美でも、興味を持つような意味がある花。 沙紀は、「あっ、じゃあ、一緒に頑張っていこう、みたいな、味方だよ、みたいなそういうお花、ないですか?」と訊いた。 店員さんは「そうだなぁ……」と、指をあごに当てた。 「そうだ、《イキシア》! 《団結》とか、《団結して頑張ろう》みたいな、あとは、《誇り高い》って意味もあります。もう一つ……」 店員さんはイキシアの画像を見せてくれた。 「《秘めた恋》って意味もあるんですよ」 という店員さんの言葉に、沙紀はふっと笑みを漏らした。 「でも、残念ながら、イキシアもお店にはないんですよ」 店員さんが申し訳なさそうに沙紀を見つめた。 沙紀は何か一輪の花を絢美に贈ろうか悩んだが、でも、やっぱり、絢美は望まない気がした。 「また来ます!」 沙紀はフラワーショップを出て、雨をしのぐように、M駅に入ったあと、スマホで《イキシア》を調べた。 「……なんだ」 沙紀はスマホで口を隠した。 駅で一人で笑っているのは怪しいからだ。 《イキシア/5月16日の誕生花》 絢美の誕生日である。 絢美はイキシアだったんだ。 誇り高き、存在。 沙紀は明日の絢美の誕生日に何を贈ろうか考えた。 絢美が何に喜ぶか、絢美がどんな風に喜ぶか、絢美がどんな顔をするか、と考えるのが楽しかった。 恋に似た友情だな、と、沙紀は気づいた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加