誕生花

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M駅を出て、目の前の小さな個人商店の横の路地を入る。 少し進んだ先に、不定期営業のフラワーショップがある。 「お天気の日にはやってないんだよね。あの店」 沙紀はシャッターのしまったフラワーショップを指さして言った。 「ふぅ、ん。私、花なんか好きじゃないから興味ないな。あんなところに店があったのも知らなかったし」 絢美は前髪をせわしなくいじりながら答えた。 絢美の前髪は今日も、少しのうねりも乱れもないストレートで、キラキラ見えるようなツヤがある。 くせっ気の沙紀にとって、夢のまた夢であるストレートのロングだ。 「そっか。前からあったんだよ。今まで晴れの日にやってるのを見たことない」 絢美の様子をまっすぐ眺めながら、沙紀が答えた。 興味のない絢美と、閉じているフラワーショップが気になる沙紀。 一緒にいるのに、興味も趣味もまったく似ていないふたりだ。 沙紀はふと、閉じたシャッターの上に店名が書かれた看板があるのに気付いた。 《happy birthday in rainday》 お誕生日おめでとう、雨の日に…? 雨の日のお誕生日おめでとう…? 沙紀はまた絢美のほうを向いた。 雨の多い五月も半ばになる。 来月、梅雨入りしたら憂鬱だな、絢美のストレートヘアーはうねらなくていいな。 傷んでない髪は湿気でもうねらないらしい。 そんなことを沙紀はぼんやり考えていた。 絢美の誕生日、何を贈ろうかなとも、この数週間、ずっと考えている。 絢美はずっと前髪を気にしている。 沙紀は絢美が前髪を気にするクセは、悪癖だと思っている。 でも、絢美にとって前髪いじりは大切な行為なのだ。 心を落ち着かせようとしている。 絢美はいつもいつも、何かに駆り立てられるように前髪をいじっている。 鏡の代わりになるものがあれば、その前に立ち、自分の姿を映しながら前髪を整える。 水に姿が反射するなら、きっとその水面を鏡にして前髪を気にするだろうと思う。 水面の自分の姿にほれぼれとし、死ぬまで自分に見とれ続けたという神話の主人公、ナルキッソスのように、自分の姿に見入り、気にする。 でも、絢美はナルキッソスとは違う。 絢美は自分の姿に見惚れているのではない。 絢美は自分の姿が、何を意味しているのか分からなくて、必死に鏡を見たり、前髪を触ったりしているのだと沙紀は感じていた。 絢美が「絢美の親友」と認定してくれるのは沙紀だけだった。 絢美は人の好き嫌いが激しい。 男性のことはほとんど嫌い。 女性のことだって、嫌う。 絢美は人に嫌われてもぜんぜん平気だというが、 沙紀は人に嫌われるのが怖かった。 誰にでも、好印象を持ってもらいたい。そうしないと、学校でもクラスでも、生きていかれないと思ってしまう。 だから、相手にイヤな思いをさせない、あなたを嫌わない、だから、あなたも私を嫌わないでという態度で生きている。 でも、絢美は違う。 嫌いな人の前では、はっきりと「嫌い」という態度を出して見せる。 『そうやって相手に分からせないと、しつこくされても困るしね』 絢美は口元を歪める。 沙紀はこう言い切る絢美を見るとき、神々しいとまで感じることがあった。 自分の出来ないことができる人間が、沙紀には輝いて見えた。 絢美はクラスで、いや、校内で、もっと言えばこの街で、一番可愛いと沙紀は思う。 沙紀だけではなく、絢美を知る人はみんなそう思うはずだ。 だから、絢美のことを外見とか、上っ面でしか知らない人は、鏡ばかりを見て、年中前髪をいじっている絢美は厭味な存在であり、 「ナルシストだよね」 となってしまう。 絢美は自分の見た目、たとえば目の大きさや、綺麗な鼻筋、涼し気で主張のない上品な唇など、そういうパーツを毎日眺めてはいるが、でも、その魅力がどういうものか、は分かっていない。 自分の何が、人を惹きつけ、好かれるのか、人がどうして自分を見るのか、そういう理由を必死に見つけたがっている気がするのだった。 一番そばにいる沙紀には、そのことが痛いほどよく分かった。 絢美は自分の魅力を、 「人がしつこくしてくる」 ということで、初めて知っているだけなのだ。 学内、学外の男子の誘い。 好奇の目。 変質者の標的。 絢美は自分が主体の人生ではなく、それらから免れるために、生きているようなものなのだ。 それは、その美貌が続く限り、一生続く。 沙紀はそんな絢美を気の毒に思うことがあった。 「絢美って、沙紀を引き立て役にしてるよ。そんなの親友じゃないよ。離れたほうがいいんじゃない?」 と、親切な人は言う。 厭味じゃない。 そう言って忠告してくれる人は、その人なりに真剣だし、親切なのだ。 その人の価値観で、沙紀を思ってくれている。 沙紀はそのことが分かる。 「ありがとう。そういうこともよく考えてみるね。でも、私が絢美を好きだから、絢美と一緒にいたいだけなんだよね」 沙紀は答えた。 それが真実だった。 外見がいいことは自信に繋がらない。 四六時中、外見ばかりを気にしているような、一見すると自信過剰に見える行為は実は、不安でたまらない気持ちの表れなのだ。 絢美に厭味なところなどなく、ただ不安に慄いている女の子だ。 不安でいっぱいなのは沙紀とよく似ている。 でも、絢美は、 「沙紀って強いなぁって思う」 という。 「私、この世のなかのこと、ほとんど全部、どうでもいいと思っちゃう。何も楽しめないし、怖いし、面倒だし」 絢美は風に吹かれふわっと舞った長い髪を整えた。 そしてまた、前髪を気にした。 スマホのミラー機能と、向き合っている。 自信が揺らぐ人間にとって、世の中はきっと色あせて見えたり、どぎつい原色に見えてちかちかしたりするのだろう。 だから、自分の姿だけを見ていたいのだろう。 沙紀だって、自分に自信などないが、容姿にとらわれずに生きるという術だけは身に着けた。 それだけで、女の子はずいぶん楽になる。 雨の日、フラワーショップは開いていた。 沙紀は思い切って訪れてみた。 軒下に並んでいる花を眺める。 奥から、店員さんが「いらっしゃい」と言った。 長い髪を束ねた女性だった。 この人の髪も、絢美と同じように、湿気でうねらないストレートだった。 「すみません」 沙紀は口を開く。 「どうして、雨の日しかやっていないのですか?」 沙紀は店員さんに訊いた。 「晴れの日って気分がいいから、みなさんやりたいことがたくさんありますよね? でも、雨の日に憂鬱を感じる人って多いと思うんです。だから、雨の日にお花が目に入るだけで、ちょっとだけ気が晴れたらいいなって」 店員さんは笑った。 「そういうことなんですね」 沙紀が納得した。 スーツを着た女性客が花を選び、一輪、買った。 「ありがとうございます」 店員さんは女性客を見送った。 沙紀ははっとした。 「《自信》を意味した花言葉ってありますか?」 「《ミスミソウ》がそうです」 「売っていますか?」 「ミスミソウは扱ってないんです」 「そうですか……」 沙紀はうつむいた。 何か、絢美にふさわしい花がないかと考え巡らせた。 花が好きじゃないという絢美でも、興味を持つような意味がある花。 沙紀は、「あっ、じゃあ、一緒に頑張っていこう、みたいな、味方だよ、みたいなそういうお花、ないですか?」と訊いた。 店員さんは「そうだなぁ……」と、指をあごに当てた。 「そうだ、《イキシア》! 《団結》とか、《団結して頑張ろう》みたいな、あとは、《誇り高い》って意味もあります。もう一つ……」 店員さんはイキシアの画像を見せてくれた。 「《秘めた恋》って意味もあるんですよ」 という店員さんの言葉に、沙紀はふっと笑みを漏らした。 「でも、残念ながら、イキシアもお店にはないんですよ」 店員さんが申し訳なさそうに沙紀を見つめた。 沙紀は何か一輪の花を絢美に贈ろうか悩んだが、でも、やっぱり、絢美は望まない気がした。 「また来ます!」 沙紀はフラワーショップを出て、雨をしのぐように、M駅に入ったあと、スマホで《イキシア》を調べた。 「……なんだ」 沙紀はスマホで口を隠した。 駅で一人で笑っているのは怪しいからだ。 《イキシア/5月16日の誕生花》 絢美の誕生日である。 絢美はイキシアだったんだ。 誇り高き、存在。 沙紀は明日の絢美の誕生日に何を贈ろうか考えた。 絢美が何に喜ぶか、絢美がどんな風に喜ぶか、絢美がどんな顔をするか、と考えるのが楽しかった。 恋に似た友情だな、と、沙紀は気づいた。
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