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ある日の遅い朝、司はブルーのワイシャツに袖を通した。 このワイシャツは、半年前の雨の夕方、駅前の路地を歩いていた華奢な男から奪ったものだ。 ダークグレーのピンストライプジャケットをはおり、マンションを出た。 ふと、知らない男の声がした。 「そのワイシャツ、返してもらいに来ました」 マンションの出口前に華奢な男が立っていた。 手に持った小型ナイフが、厚い雲の隙間から顔を覗かせている、かすかな太陽の光を反射している。 「ぼくちゃん。その白いワイシャツも脱がしてほしいのか?」 「そうはさせません」 華奢な男はナイフを振り回す。 「おいおい、物騒だな」 「近づくな。そしてそのブルーのワイシャツを、この場で脱げ」 「興奮しているみたいだけど、どうしたぼくちゃん」 「ニュースで、僕と同じような被害にあった人が出てました。 駅のトイレでワイシャツ脱がされた男。 歌舞伎町でワイシャツを脱がされたホスト。 同じくワイシャツ脱がされた高校教師など。 そして気づいた。 被害者は全員、やられるだけの理由があった。 満員電車での痴漢。 後輩いじめ。 パワハラという名の職権乱用。 それらの事件より前に、僕はあなたからワイシャツを剥ぎ取られた。 僕は何も悪いことはしていない。 どうしてあなたは、僕から僕の大切にしていたブルーのワイシャツを剥ぎ取ったのですか? 僕はあなたを許さない。 罪のない僕から、勝手にワイシャツを剥ぎ取るなんて。 そんな事が許されるとでも思っているんですか?」 「落ち着きたまえ。 その理由はだね。 先ず第一に君の顔が俺の好みのイケメンだったこと」 「僕にそんな趣味はない」 「そして次の理由は、 君のサイズが俺のサイズに近かったこと」 「そんな理由、どうでもいい」 「そして」 「そして?」 「このブルーのワイシャツがとってもカッコよく見えて、君から剥ぎ取りたいな、って思ったこと」 言いながら司は、自分が着ているブルーのワイシャツの襟と、ネクタイの結び目を触って、形を整えた。 「ふざけるな」 言いながら、華奢な男はナイフを振りかざして、司 目掛けて突進する。 司は素早い動きで、ナイフを持った華奢男の腕を取り、足を払った。 男の体は、ナイフとほぼ同時に地面に落ちた。 司は素早く男の馬乗りになる。 「教えてやるよ。俺がお前のワイシャツを剥ぎ取った本当の理由を」 司は華奢男の腕を両膝で固定しながら、男の肩を押さえる。 「ちっちぇえ頃に、この先の3丁目公園で、お前が何をしたのか、覚えてねぇのか?」 「どけよ。苦しい。そんな昔のこと覚えてねぇよ」 「3丁目公園の横にあった、子供の施設は知ってるよな」 「あったかもしれねぇけど、覚えてねぇよ。早くどけよ」 「施設の男の子がジャングルジムで遊んでいた時に、お前は言った。 『きたないシセツの子どもは、この公園で遊ぶな』ってな。 そしてお前は、 それでもどかない子供の、ワイシャツの胸ぐらを掴んだ」 言いながら司は、華奢男の白い糊の効いた皺一つないワイシャツの胸ぐらを鷲づかみにした。 「そして、男の子のワイシャツの第2ボタンがちぎれた。 男の子は、 『しんせつな人からもらったワイシャツなんだよ。やぶれたのがばれたらおこられるよ』 と言って泣き出した。 お前は 『そんなことしらねぇ。きたないシセツの子どもは、この公園にきちゃだめなんだよ』 と言いながら、男の子を突き飛ばしたんだ」 司は華奢男の第2ボタン付近を掴み、ワイシャツを左右に引き裂いた。 「もう分っただろ。その時の男の子ってのが、俺だ」 司は、破れた白ワイシャツの襟を掴んで華奢男を立ち上げ、男の体ごと路面に放り投げた。 薄れていく意識の中で、千切れて路面に散らばった、自分のワイシャツの貝ボタンがぼやけて見えた。 そして不意に降り出した雨。 路面に仰向けに倒れたままの華奢男の上にも、雨粒が落ちる。 破られた白いワイシャツが泣いているように見えた。
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