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01-「旅情」
「あれは蛇神様の呪いだ。あんたたちも離れには絶対に近付くんじゃないよ!」
口角から泡を飛ばしながらまくし立てた老婆は、軋むほどの強さで戸を閉めた。
門前払いを食らった黒切ナヒトは、小さな溜息を吐いて踵を返す。喪服のような漆黒のコートが冬の風を受けてはためく。色素の薄い青灰色の瞳が、相棒の少女と依頼主の青年の姿を映した。
「すみません……」
青年――和馬が気弱そうな表情で頭を下げた。
「この辺りの老人たちはこんな感じで、まともに調べようともしないんです」
「離れとやらに案内してくれ」
ナヒトは短く言って、早足になる和馬の後ろに続く。
「食べ物は?」
隣を歩く少女――ハクがこちらを見上げながら聞いてきた。降り積もる雪に溶けてしまいそうな純白の長髪が、冬風を帯びて犬の尻尾のように揺れている。
「ない」
「畑があるってナヒトは言った」
「収穫の時期ならな。今は真冬だ」
降り積もった雪を踏みしめるたびに軋むような音がした。見渡す限りの平坦な土地は、暖かい時期ならば一面に広がる田園や畑なのだろう。
戸鄙村と呼ばれる山奥の村は、人が暮らす場所というよりは神仙が住まう秘境といった趣だった。点々とする古い民家に暮らすのはほぼ全員が老人で、唯一の例外は目の前を歩く和馬と名乗った青年だけらしい。しんと静まりかえった空気を揺らすのは、ナヒトたちが雪を踏みしめる音と、山奥から微かに聞こえる川の音のみだ。
「ナヒトさんたちは……探偵なんですか」
和馬が雪を踏みしめながら聞いてくる。
「似たようなものだ」
「異界払い」
ハクが下から割り込んだ。
「イカイ……?」
「余計なことを言うな」
ナヒトが咎めてもハクはどこ吹く風といった調子で、仔犬のような動きであちこちを見渡している。いくら見渡したところで彼女が目的とする食べられるものはどこにも存在しない。
「この村の異常を解決しろと頼まれた。それだけだ。お前が俺の身分を気にする必要はない」
「はあ……」
「案内役を任されるということは、お前もこの村の異常を看過するつもりはないのだろう。利害は一致しているはずだ。黙って協力しろ」
和馬はなおも何か聞きたそうだったが、ナヒトは沈黙でそれ以上の追求を黙らせた。
それから五分ほど歩くと、村の外れにある一軒の建物に辿り着いた。見るからに寂れた印象で、周りに積もった雪には足跡一つ無かった。
和馬は入りたくなさそうに玄関からかなり離れた場所で足を止めて、こちらの顔色を伺っている。
「勝手に調べるぞ」
ナヒトは和馬のことを無視して玄関の引き戸を開けた。
古い板張りの室内に、八人ほどの老人が横たえられていた。ナヒトは土足のまま近付くと、老人たちの首に順番に触れた。確かな体温と脈が感じられた。しかし生きている者に特有の生気は全く感じられない。
「もうかれこれ半年ほどこんな状態なんです」
和馬が玄関の外から言った。半年前と言えば初夏の頃だ。
「独自の風習とやらに関連してるのか?」
「ええ……」和馬は言いにくそうに視線を伏せた。「この村は昔から水害が多くて、その……村で一番若い女性を生贄に捧げて、蛇神の怒りを静める、という風習が残っているのです」
「蛇……川か。結果、この村には老人しか残らなかったというわけだ」
「その通りです」
和馬がその時だけ根深い怒りを目に浮かべた。
「ここに寝かされているのは、戸鄙村の村長の一派です。風習の主導者と言ってもいいです。今年の儀式の後に、ほぼ同時に亡くなりました」
「それ自体は奇怪だが、当然、村の人間は弔おうとしただろう」
「そうなんですが、火葬にしても灰の中から傷一つない状態で見つかるのです。何度やっても同じでした。村の人間は蛇神の呪いだと言って、それ以上関わろうとしません」
「呪い、か。しかし村の人間はというが、お前もだろう」
「それは……」和馬が顔をしかめた。「今回生贄になったのが知ってる奴だったので。それで」
ナヒトはそれ以上は追求せず、代わりにハクに問いかけた。
「どうだ」
「ここじゃない」
ハクはぼんやりと天井を見上げている。
「食べていい?」
「まだだ」
ナヒトは玄関に戻りながら和馬に問いかけた。
「この村で他に異常な場所はあるか。できれば土地に関わるものがいい」
和馬は少し考えて答えた。
「川縁に神社があるのですが、そこに咲く彼岸花が、今年は枯れませんね」
「……なるほどな。死生が混ざっているのはそれか」
ナヒトは頷くと、外に出て微かに聞こえる川の音の方を睨んだ。
「案内してくれ」
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