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誕生の地・クレスタット編 第1章 — 「宿命」
神様とのやり取りを夢に見たのは、三歳になったばかりの頃だ。
「おかーさま! あのね、ヘンなゆめみたの!」
「あら、ウェスティン。どんな夢かしら?」
母様は編み物を傍らに置き、膝によじ登ってくる甘えたがりな息子の頭を撫でながら囁く。その容姿通りの、慈愛が感じられる甘やかな声で名前を呼ばれるのが好きだった。
「んっとねぇ、しろいおんなのこがぼくに、なんかおねがいするゆめ!」
「お願い? 何を頼まれたの?」
「えっと…………あれ? わすれちゃった」
「あらあら。思い出したら、お母様に教えてちょうだいね」
拙い説明にくすりと笑って、俺を膝に乗せたままで編み物を再開する母様。
結局のところ、その約束が叶えられる事は無かった。
思い出したからこそ言えなかったのだ。
だってそれは、俺がこの世界に生まれた理由であり――使命、だったのだから。
真っ白な少女を夢に見た日から、俺は寝るたびにくりかえし刷り込まれていく光景に悩まされる羽目になる。
やがて『こわいゆめ』は記憶となって積み重なり、俺のなかに定着していった。そしてある日の朝、唐突に思い出したのだ。
自分がこことは違う、地球と呼ばれる異世界からやってきた存在で。
御崎成哉という名を持つ、孤独な男だったという事を。
◆ ◆ ◆
何枚もの白い花弁が、風に高く舞い上げられている。
エリス国にあるこの街、ローザローズでよく見られる光景だ。
石材産地として知られるこの場所は、名前の華やかさとは裏腹に墓地が多く、そのためか低めの建物が多い。遮るものが無いので、風が吹く日にはこうして各所に咲く白い花が舞い、空に彩りを加えている。
飛んでいるうちの一枚を目で追いながら、俺は空を見上げた。
嫌になるぐらいの晴天だ。
この場にはそぐわないほどに。
「もう話し合っただろう、みんな納得したじゃないか!」
「そうは言っても世間の目がな……」
後方では、親族たちの言い争いが今も続いている。
葬儀の前と後で、かれこれ一時間以上は掛かっているだろうか。議題は「誰が俺を引き取るか」というもので、母様が亡くなってすぐにそんな話題が出たので、今日の話し合いは最終決定というやつだろう。
そんな中、ひときわ大きな声が響いた。
「じゃあお前、あの子供を引き取れるのか? あの子が生まれてから毎年一人は死んでる。下手したら皆殺されて、家系が途絶えるかもしれないんだぞ!」
はあ、と思わずため息が漏れた。
それを気にする者などこの場にはいない。俺の姿など、誰も視界には入っていないのだ。議論の的であるのは確かなのに、本人をまじえた事などただの一度もない。
まあ四歳なんて年齢で、こんな会話に混ぜられるわけもないだろうが。
……殺されるだなんて、少なくとも墓前では言うべきじゃないだろう。
少し後ろを睨んで、俺はまたすぐに視線を戻した。
「母様、ごめん。ゆっくり寝られないよな」
そっと目の前の墓石に手を添わせる。
美しい音楽が好きな人だったから、きっとこんな風に騒ぐよりも、自分のために一曲弾いて欲しいだろう。せめて楽器を持ってくれば良かった。
今この場で弾いたら、いよいよ恐れの目で見られるかもしれないけど。
――ウェス、上手ねえ。
もっと聴きたいわ。もう一曲、弾いてくれるかしら?
そう言って、覚えたての下手くそな演奏を無邪気に褒めてくれた母様。
いつだって傍にいて、前世の記憶を夢で繰り返し見てうなされるたびに、夜通し付いてくれた。泣きわめく俺を抱きしめて、安心させてくれた。
ある朝、急にいつもの食事を泣きながらがっつき始めた息子を見ても、母様は何も訊かずにいてくれた。それどころか、自分の分までわけてくれたんだ。
「ウェス、おいしい?」と、笑顔でそう言って。
俺が求めていたものは、此処にあったんだと思った。
エリス国アーセナルに屋敷を構える、農園で財を成した中級貴族・レイアネット家。
その一人息子のウェスティンとして、俺は第二の生を受けた。
それからは幸せな日々だった。
前世の記憶を取り戻すまでは理解していなかったが、今では痛いぐらいに分かる。温かくて美味しい食事、やわらかい布団。雨風がしのげる立派な家に、優しい両親。
俺はずっと、こんな暮らしを心の底から求めていた。
父様も母様に負けないぐらい優しくて、明るくてひょうきんな人だった。貴族なのにいつも俺を肩車して、散歩に出ていたぐらいだ。
二歳の頃に事故で亡くなってしまったが、それまでに愛された記憶のおかげで、抱いていた父親というものに対する嫌悪はいつの間にか消えていた。
こんな温かな暮らしがこれからも続くのかと思うと、ククリアから託された使命も何もかも、綺麗さっぱり忘れて、幸福に浸ってしまいたかった。
――そうできたら、どんなに良かっただろう。
どうしてたった四歳の子供を前に、親族たちがこんなに危機感を抱いているのか。
それは俺が生まれてから起き始めた、奇妙な出来事に原因があった。
決まって誕生日に、近しい誰かが死ぬのだ。
一歳の時には、産まれる俺の為におくるみを贈ってくれた人が。
二歳の時には、大好きだった父様が。
三歳の誕生日には、可愛がってくれていた叔父が亡くなった。
全員、俺に笑顔を向けてくれた人たちだった。
最初は偶然と思われていたが、二度三度と起これば必然になってくる。
見た目の可愛さから天使と呼ばれていた俺は、周りから『死天使』とかいう中二病じみた二つ名を与えられ、〝不幸を呼ぶ子供〟と忌み嫌われるようになってしまった。
周りに遠ざけられている今の状況は、ぶっちゃけどうでもよかった。
それよりも俺の心を抉ったのは、喪失感だ。大人の精神で愛情を感じてしまえば、子供が感じるものよりも温かく、切ない。
すがる対象をどんどん失っていく現状に、だいぶ参ってしまっていた。
どれだけ経験してもこんな気持ちを抱くんだから、感情というものは厄介だ。別の世界に行こうが付きまとってくるし、死んだと思えば復活してくる。
いっそ無くなってしまえと思う。
「俺の願い、力なんて無いじゃねえか……」
頬を伝う雫が墓石を濡らし、風によってたちどころに渇いていく。
四回目の誕生日を迎えたのは、つい先日のこと。その犠牲になったのは、体が弱く病床にふせっていた母様だった。
唯一の味方を失い、俺はまた独りぼっちになった。
あとに残ったのは、ゾンビと戦う未来だけ。
前世と何も変わらない。
……何もかもが。
「ウェスティン」
「――――ッ!」
唐突に名を呼ばれ、心臓がちぢみ上がった。
いつの間にか親族会議は終わったらしく、周りの声は止んでいた。遠くの方でばらけた足音が聞こえている。後ろに立っている人は、きっと俺の引き取り手だろう。
覚悟を決めて振り返る。
そこに居たのは、父方の叔母だった。
「るっ……ルアンナ、おばさま……」
無意識に頬が引きつる。
父様に似た蜂蜜色の髪に、黒のベールから透けて見える濃いグリーンの瞳。見下ろす視線はきつく、どれほど俺を嫌っているのかがよく分かる。
叔母は自分から兄を奪った母様と、その子供である俺を昔から敵視していた。だから前世の記憶を取り戻す前からこの人の事が苦手だったのだが……決まった引き取り先って、まさか……?
ジリジリと後退するのを、叔母は冷ややかな瞳で見下ろしていた。その眼光にごくりと喉が鳴る。
「来なさい」
淡白に告げると、彼女は喪服のスカートをひるがえし颯爽と歩き始めた。急いで後を追い掛ける俺を振り返ることもなく、墓地の中をひたすら歩いていく。
やがて出入り口が見えてきた。そこには、白塗りの馬車が停まっていた。
待機していた従者はこちらに気が付くとすぐに扉を開け、叔母はスカートの端を持ち上げて乗り込もうとする。
「乗りなさい」
そう言い、不機嫌な表情のまま座席に座る。扉は開けられたままだ。正直、待たずにさっさと走り去って欲しい。
仕方なく乗り込むと、扉が閉められた。しぶしぶ対面の座席の端にちぢこまって座る。
ほどなくして、馬車は走り始めた。
叔母はこちらを見ることもなく、ひたすら窓の外を見つめている。……空気が重い。
息苦しいので外に視線をやると、車窓は墓地があった街――ローザローズから離れた場所を映していた。馬車が走りやすいように舗装された地面、並ぶ木々。その下には、赤い花が所どころに咲いている。
野生の花かと思ったが、よくよく見るとチューリップに似ていた。人の手で植えられたのだろうか。
「ウェスティン」
「はいっ!」
慌ててそちらを見ると、濃い緑の瞳がじっとこちらを睨んでいた。
「あなたをこれから、教会に預けます」
「…………はっ?」
あまりにも唐突だったので、素で返してしまった。
教会、預ける? 一体どういうことだ?
「プレナントという町にある『聖クレスタット教会』という所が、身寄りのない子供を引き取ってくれるそうなの。相談の結果、あなたをそこに預けることになったわ」
理解できていないだろうという調子で、叔母はそう言った。
だが残念ながら、俺には加算された経験と知識がある。血縁から見捨てられた事など、口ぶりから察せてしまった。
彼女はそれきり口を閉ざし、視線を外す。本当は送り届ける役を引き受けるのも嫌だったのかもしれない。
「……わかりました。今まで、ほんとうにお世話になりました」
形式上、そんな言葉を口にしてみる。
ちらりと様子を窺うと、叔母は眉間のシワを深くしただけだった。いつもと変わりない反応だ。頭ごなしに罵倒してこない辺り、まだ他の厄介な親族よりはマシと言える。
再び窓の外を見ると、景色はいつの間にか、林道から賑やかな街並みへと変わっていた。
それと被るように、自分の姿も映っている。母ゆずりの艶やかなブロンドの髪に、父と同じエメラルドグリーンの瞳。美人な二人から受け継いだ、平凡な前世とは違う整った顔は、子供らしさの欠片もない冷めた目をしていた。
つい数時間前に見た母の死に顔と、死に目にも会えなかった、父の最後の笑顔が脳裏に過ぎる。
……もしも生まれた子供が、俺じゃなかったなら。
二人はまだ、幸せなままでいられたのだろうか。
「――着いたわ」
ハッと我に返ると、馬車は一軒の建物の前で停まっていた。
赤い屋根の縁に付いている小さな像が持つ金色の剣が、陽によって眩しいほどに輝いている。白い壁は所々剥げて年数を感じさせるが、たたずまいは立派だ。
叔母は立ち尽くす俺の脇を淡々と通り過ぎると、教会の扉を三回ほど叩いた。ほどなくして開き、その隙間から十四・五歳ほどの少女が顔を覗かせる。
おっとりとした緑色の垂れ目に、肩までの栗毛。淡い花柄のワンピース。
細っこい足に履かれたサンダルだけは薄汚れているが、全身を見ても特別孤児といった風には感じられない。床に零れたスープを舐めるような暮らしはしなくて済みそうだ。
「えと、どちら様ですか?」
気弱な声で少女は言った。
怯えているようにも見えるのは、叔母が普段俺に投げてくる視線を彼女にも向けているせいだろう。
「この子を預けに来たのだけど。神父様はいらっしゃるかしら?」
少女の困惑混じりの視線が、叔母の斜め後ろに立つ俺に移る。と、その表情がわずかに柔らかくなった。引き結ばれていた口元に、ほんのりと笑みが浮かぶ。
「ああ、今日来るって言っていた……。神父様は今不在ですが、シスター長がお話をうかがってくれると思います。どうぞ中へ」
「いえ、私はここでけっこう。荷物は後日届けるから、よろしく伝えてちょうだい。それじゃ、失礼」
「えっ? ちょ、ちょっと待っ」
言うが早いか、叔母はきびすを返すと路地に待機していた馬車に乗り込み、来た道を引き返していった。
馬車があった場所に舞う土埃を呆然と見つめていた少女は、小さく呟く。
「……あの人に引き取られなくて良かったね」
「うん」
俺の返事に、彼女はおかしそうに笑った。
境遇に似合わない、とても可憐な笑顔だった。
「私はロナ、ロナ・ローズリア。よろしくね」
手が差し出される。
そっと握ると、父様と母様よりも小さなその手は、優しく握り返してくれた。
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