この花の名前を云えたなら

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この花の名前を云えたなら

バスケを始めたきっかけは、兄の背中に憧れを抱いたからだ。 三人姉弟の一番下。上の二人は、十一歳離れた姉が一人と十歳離れた兄が一人。 生まれた時点で大きく歳が離れていた俺は、両親よりも姉や兄と過ごすことの方がどちらかと云えば多く、特に兄とは部屋が同じだったこともあって『マコ兄、マコ兄』と名前を呼んでは、遊び相手となってもらっていた。 兄は中学へ上がると本格的にバスケを始め、俺は母と姉に連れられて試合を応援しに行くことが増えていった。 背が高く、体も大きな俺の兄。センターとして活躍する姿に目を奪われるのに、そう大して時間はかからなかった。 兄と同じユニフォームに身を包み、兄と同じく背番号を着けてあのコートに俺も立ちたい。 そこから始まったバスケへの情熱は、中学を経て高校へと進み、今も尚消えることなく高ぶり続けている。 「お待たせ、理玖」 北風を避けて渡り廊下の陰で壁にもたれていると、人影と共に背後から声をかけられた。手に持っていたポプリをスポーツバッグへ入れ、地面を蹴ってその声の主へと距離を詰める。 「遅かったじゃん、梓。何話してたの?」 「来週の練習メニューについて。あとはまあ、理玖たち後輩諸君の素行について?」 「何それ」 「副キャプテンには色々考えることがあるんだよ」 はい、これ。待たせたことへの俺からの御礼。 『梓』と呼んだ相手はコートのポケットからスティックタイプの携行食品を取り出すと、ピーナッツ入りのフレーバーを俺に寄越してきて、自分はストロベリー入りの可愛らしいパッケージの封を切った。 大豆で作られていて腹もちの良いそれを、梓は常にポケットに入れて持ち歩いている。練習が終わってから家に帰るまでの間の、ちょっとした小腹対策だと主張している。 いくら男子高校生といえ暴飲暴食は体に悪い、というのが梓なりの考えらしい。 体づくりの基本は食事から。低カロリーで高タンパクな食品を摂ることが体調維持の要になると、まるでどこかの専門家のようにいつも煩い。 「もうすぐ理玖も二年生だな。どうだった? 高校生になった一年間は?」 「別に。中学と大して変わらなかったけど」 「本当に? そんなまさか。だって花の男子高校生だぞ? したいこととか、やりたいこととか、中学の時じゃ叶わなかったことが沢山できるようになっただろう?」 「梓は毎日楽しそうで良いね」 「理玖は楽しくないのか?」 「……、……そういう意味で言ったんじゃないけど」 学校から駅までの帰り道は、だいたいいつも梓と一緒だ。 梓は俺と同じバスケ部の二年生で、三年生が引退した折に副キャプテンとなってチームの相談役のような役割を務めている。 ポジションは、得点力の高い選手が多く配置される傾向のあるシューティングガード。低身長で体が小さい俺とは違い、背が高く手足も長い梓にはまさに適任と云えるものだと思っている。 それに比べて俺はと云うと、まだ一度も試合に出してもらっていない控え選手のままでいる。公式戦が行われる度に選出されるレギュラー枠。そこに名前が入っているのは現時点では全員二年生ばかり。一年生の俺たちには遠い世界であるのだと周りは皆口を揃えるが、本当にそうだろうか。 何もしなければ何も変わらない。本当にレギュラーを獲りたければ、最初から諦めるのでなく下剋上を狙って努力を重ねるべきだ。 二年生とは云え、たかだか一年先に生まれただけじゃないか。 そんな僅かな差くらい、俺は必ず埋めてやる。
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