この花の名前を云えたなら

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「そういえば、理玖」 車が行き交う交差点の隅に立ち、歩行者用の信号が青に変わるのを待っていた。呼びかけられた俺は、食べ終わった携行食品の袋を丸めてポケットへ入れる。北風が肌に当たって冷たかったので、手は突っ込んだまま外へ出さないことにした。 「さっき俺を待っている時、何を見てたんだ?」 「何って?」 「ほら、何か手に持ってただろ。バッグの中へ入れたみたいだけど」 「ああ、あれ? ポプリだよ。先週のバレンタインの時に母さんがくれた」 「ポプリ? って、何だそれ?」 「……」 ポプリとは、花や葉・ハーブや果物の皮などといった様々な香料を混ぜ合わせ、容器に入れて熟成させて作る室内香の一つとして用いられる。 主なものは、それぞれの材料を乾燥させて作る『ドライポプリ』と、生乾きの材料に塩を加え、保存処理を施して作る『モイストポプリ』の二種類がある。 フラワーデザインの講師としての仕事をもっている母は、趣味の一環として家でよくポプリを作ってクローゼットなどに入れている。 天然の芳香剤として使えるそれをチョコレートの代わりとして俺にプレゼントした意味は、身だしなみには気をつけるようにというメッセージの代わりでもあるのだろう。 そしてもう一つ、花には昔から花言葉というものが存在している。 花の知識に長けている母だからこそ、その『花』にまつわる意味を込めたのではないか。使われている花の種類が大きく関係しているのではないかと、花屋の息子だからこその察しがついて密かにネットで調べた。 「理玖の家って、なんかこう、オシャレだよな」 「そうかな?」 「そうだろ。父親はホテルで働いているんだっけ? お姉さんも花屋の店長だし、兄貴にいたっては小説の? えっと、何だっけ……」 「編集者」 「そう! 編集者! なんて云うか、うちとは違うなと思って」 「梓の家だって妹はテニス部じゃん」 「テニス部ってオシャレに関係あるのか?」 「ない?」 「ないだろ、たぶん」 幼い頃に憧れた兄は、今はすっかりバスケからは離れて出版社に勤める編集者として働いている。 バスケから離れてしまった兄だけれど、困った時にはよく相談にも乗ってくれ、練習のアドバイスもメッセージで送ってくれるくらい親身なところは、社会人になってからも何も変わらない。 いつか俺がレギュラーを獲ったら、かつて母や姉と応援に駆けつけていたみたいに、兄にもコートでの俺の活躍をぜひ会場まで観に来て欲しい。 その願望を果たす為にも、何としてもレギュラーを獲ってポジションを確約させなければ。 ここで足踏みしていては、いつまで経っても道を拓くことはできないのだ。
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