花言葉

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花言葉

 朝、登校してきて靴箱を開けるとそこには手紙が入っていた。かわいらしい便箋で、下の方には特徴的な丸字で「Dear→先輩」と書かれている。  自分でも顔が引きつるのがわかった。こういうことをする後輩はひとりしか知らない。  見て見ぬ振りをしたい気持ちでいっぱいだったけれど、そうするわけにもいかず、鞄にしまい込む。授業中も休み時間も落ち着かなかった。平静を装ってはいたけれど、背中には常に嫌な汗が吹き出して体温を奪っていく。  手紙の中には「放課後、体育館の裏で待ってます」とだけ書いてあった。A4サイズの白紙に中央揃えで書かれているので用紙の大部分は白紙で、殺伐とした脅迫文のようだった。実際僕には脅迫めいたものだった。  放課後、手紙の指示に従い体育館裏に行くと、予想通り高野やすりが待っていた。 「あは、先輩」  人懐っこい笑顔に、揺れるポニーテール。 「先輩ならきてくれると思ってました」 薄紅の唇は思わず生唾を飲み込んでしまうほど艶かしい。 「行くか迷ったけど」  えへへ、と僕の言葉を咎めることなく頬を緩ませている。この後なにかがある、と確信した。いつもなら不満のひとつでも漏らすところをスルーする時は大抵なにかを企んでいる時なのだ。そのだいたいが良からぬことだということを僕は知っている。 「先輩にはこれをプレゼントします」  何故か自慢げに渡してきたのは爆弾、ではなく四葉のクローバーだった。茎が長く、その先に三つの葉が並び、その傍に控えめの葉がもう一枚隠れている。 「どうしたのこれ」 「受け取りましたね?」とクローバーを指を刺してくる。 「え? あ、あぁ、受け取ったよ」 「ふふふふ」 「いや、なに、爆弾なの? これ」  受け取っちゃった、みたいなニュアンスだ。 「違います。なに言ってるんですか先輩。それとも嬉しくないんですか?」 「嬉しいけど」 「けど? なんですか?」 「いや嬉しいよ……」 「よかったです」と微笑んでいる。怖い。けれどそんなことも言えず僕は表情は引きつったままだ。 「じゃあ帰りましょうか」 「もういいの?」  この後もっとなにかあると腹を括っていただけに、拍子抜けだ。もしかすると時間差があるタイプのものなのかもしれない。警戒は怠らない。痛い目を見るのは自分だからだ。 「はい、充分です。先輩、その四つ葉のクローバー無くさないでくださいね。定期的に確認しますので」 「え」 「一週間後でも二週間後でも、常に持っていてください。もし失くしたりでもしたら私、どうなるかわかりません」と悲しそうな顔をして言った。どうなるんだろう、とは怖くて聞けなかった。  結局僕は、彼女の唐突にはじまる理不尽な圧力みたいなものにまた振り回されているようだった。  普段は可愛いらしくて、人懐っこくて、無邪気な一面もあればこちらがはっとするような大人っぽい一面もあって、そういうところに惚れたんだけれど、時折彼女が見せる有無を言わさない凄みみたいな一面にはほとほとお手上げだった。「私、どうなるかわかりません」と彼女が言うときは地獄への門が開こうとしている時なのだ。  以前の話だ。 「私、どうなるかわかりません」と言ったとき、軽率だったことは認めるけれど意図せず逆らうことになり、不可抗力だったと弁明したなのにも関わらず、冗談抜きで死にかけた。彼女に殺されかけた、と言ってもいい。「私、どうなるかわかりません」とは「先輩、どうなっても知りませんよ」と脅迫しているようなものなのだ。  なにを考えているかわからない彼女を家まで送り、帰り道に奇襲でも遭うのではないかと肝を冷やしながら帰宅を遂げ、その後すぐに四つ葉のクローバーをラミネートをかけて財布にしまった。  念のため四つ葉のクローバーにまつわる事をインターネットで調べてみるといくつかのことがわかった。  四つ葉のクローバーを見つけたら幸運が訪れるという伝説はあまりにも有名だけれど、その葉一枚一枚にも意味が込められているというのは知らなかったし、見つけられる確率も思っていたよりも低かった。花言葉も念のため見ておくと『幸運』だとか『真実の愛』だとか、いかにも彼女が好みそうな言葉だった。下にスクロールしていくと『私のものになって』というのもあった。  僕は考える。もしかすると彼女はこの花言葉を見て僕に持たせたのかもしれないと。はじめはそんなこと感じなかったけれど付き合いが深くなるにつれて彼女の独占欲が一般的ではないかもしれない、と思うようになっていたのだ。 「私のものになって」という言葉を込めて四つ葉を渡してきたとしたら、愛されているなと思うよりもちょっとした恐怖心が芽を出してきそうだった。  しかしまあ、それでも彼女は綺麗だ。彼女の心は基本的に穏やかだし、プレゼントしたものを失くされたら誰でも怒るだろう。  惰性で検索結果を見続けていると四つ葉のクローバーの花言葉の最後にクローバーを渡した相手に裏切られたり、失恋したりした悲しみが『幸運』や『真実の愛』を黒く塗り替え『復讐』に変わると書いてあった。 「私、どうなるかわかりません」と言った彼女の声が蘇る。  僕は鞄から財布を取り出し、四つ葉のクローバーが中にちゃんとしまってあるか確認する。ラミネート加工を施した四つ葉のクローバーは慎ましくしまわれていた。それをもう一度鞄に戻し「絶対に無くさないでおこう」とそれだけを心に誓った。
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