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最初は人を雇ったりもしたが、うちの看板メニューだったフレンチトーストは母さんと親父の思い出の味だった。
その母さんのレシピは、母さん以外誰も知らない。
どうも何か秘密の隠し味があるらしく、雇った料理人は何とかその味を再現しようとしたけれど、その思い出の味を他の人間が出すことは難しかった。
母さんのフレンチトーストが店に出せないのなら、いっそのこと軽食は止める――そう決めた親父。
そんな親父のことを、俺はちょっと恰好良いと思った。
それから、親父が亡くなるまで、うちの店は珈琲一本でやって来たのだか、軽食を望む客は多く、しかし俺も料理は苦手で。
客からの声も無視できず、親父も亡くなったし、トーストぐらいは店に出そうかと決め、昔おやじが仕入れていたパン屋のおやっさんに頼み込んで、トーストの提供を始めた。
パン自体が旨いからか、シンプルなトースト――ジャムとバターを添えたそれが、珈琲に次ぐ看板メニューになったところだったのに。
―――俺ももう歳だし。最近躰の調子も良くねぇんだわ。だから、そろそろ引退したいと思ってるんだよ。
孫と遊びたいしな――そう言って笑う、パン屋のおやっさんの酷く疲れた顔。
そんな様子に、余り無理して欲しくないと思ってしまえば、パン屋の店じまいは俺にはどうにも出来ない出来事だったのだ。
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いつもの朝のブレンドコーヒーを入れながら、ふとカレンダーをみる。
―――今日は2月14日か。
バレンタインデー。それは女子のイベントで、モテない俺には正直あまり興味が無いイベントだった。
カレンダーを見て、昨日、コーヒー豆の配達先で頂いたチョコレートが冷蔵庫に入っていたのを思い出す。
高校が近くにあるせいか、有難いことに毎年可愛い女子高生からのチョコレートのプレゼントが無いとは言わない。
でも、多感な女子生徒からのチョコレートは貰わないと決めていたが、配達先で頂くチョコレートは、なかなか断りづらい。
まぁ本命チョコではない、お疲れ様チョコだし、有り難く頂いて来るのだけど。
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