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第61話「女神を欺くのデス」
次の日、再び厚木さんの家に集まる。
「いいっすか? いきますよ」
蒼くんの部屋で、彼の所有するノートPCを囲んでいるのは、彼と厚木さんと高酉と俺と志士坂だ。
蒼くんは震えた手でマウスをクリックする。と、画面には昨日投稿した動画のサムネイルが表示された。そして、その下には再生数の数字が見える。
「1万2千……」
震えた声で読み上げるのは高酉だが、緊張し過ぎているのか桁を間違えているぞ。
「おいおい、高酉、12万超えてるだろ」
俺の突っ込みに、高酉と蒼くんが一瞬見つめ合う。と、すぐに彼女の表情が変わり、一気にテンションの上がった高酉が蒼くんの手を取って立ち上がると彼に抱きつくように喜びをあらわす。
「10万超えてるよ。すごいよ、蒼くん」
「そ、そうっすね。初めてっすよ。こんなに再生数を獲れたのは」
「ほんとすごいよ蒼くん」
「い、いや、すごいのはアリ姉の歌声っすよ」
興奮しすぎた高酉を蒼くんが少し冷静に受け止めていた。それでも、彼からも嬉しさ隠せない雰囲気を感じる。
「お祝いしないとな」
俺がわざとらしくないようにそう切り出す。自然な演技というのは難しい。それでも、高酉たちを騙すのは容易いだろう。
「そうだね。まさか、一日でこんなに行くなんて……リオンの予想が大当たりじゃない」
厚木さんも驚きを隠せないではいるが、純粋に自分の弟と親友の偉業を喜んでいる。
でもまあ、10万再生超えは偶然ではない。ラプラスの演算という試行があったからこそ、最適解を得られただけ。良質なコンテンツであれば、宣伝やタイミングしだいで、大きく大衆に受け入れられる。それはマーケティングの基本だろう。
ただ、このタイミングというのはかなりシビアなので、未来予知なしで素人が行うのは難しい。本来なら運次第なのだ。
「お祝いどこでする? あたしの予想が当たったんだから、あたしの行きたいとこでいいんだよね?」
志士坂も自然に話に加わる。こいつはすでに演技のスイッチが入っているので余裕だろう。
「どこに行きたいんだよ?」
「そうね。涼々が将くんに連れてってもらったっていうケーキバイキングはどう?」
行き先もすでに打ち合わせ済み。少し茶番感があるけど、まあ仕方が無い。
俺はさりげなく告げる。
「あそこのケーキバイキングなら割引券持ってるから、打ち上げとしては安く上げられるかな」
「わたしはいいよ!」
「あ、あたしもそこでいいかな」
「土路さんにお任せするっす」
そんなわけで、その日の夕方から『祝、10万再生』の打ち上げが始まった。それぞれ用意があるので、一旦家に戻ってから店の前で待ち合わせである。
「で、なんで来てるの?」
ケーキバイキングの店の前には、黒金と案山が待っていた。
「わたしが呼んだの。こういうお祝いは多い方がいいでしょ」
厚木さんが満面の笑みでそう答える。彼女の心の『盛り上がりメーター』の値しだいで、黒金たちを呼ぶかどうか変わってきそうだな。
「黒金はまあ、わからないでもないが、おまえなんで来てるの?」
俺は案山に向かってそう問いかけた。
「だって、ケーキ食べ放題だからって言われて」
「……」
おまえ、どんだけケーキ好きなんだよ。まだ文芸部の連中に馴染んでないかと思えたが、ケーキに釣られて来てしまうわけか。カースト上位の女王様も落ちぶれたものだな。
「まあ、こないだのストーカー騒ぎの打ち上げも込みってことでいいじゃない」
そう厚木さんに言われて、俺はしぶしぶ納得する。
未来予知では案山は来ないパターンだったので、少し不安である。こういう想定外の未来がたまにあるのが少し怖いところ。
原因としては、厚木さんの心の値や、俺の行動に僅かなズレがあったのかもしれない。事細かくシミュレートしているわけではないので(それだと時間が掛かりすぎて俺の精神が折れる)このようなことは稀にあるのだ。
まあ、適当に誰かに間接的に触れて未来を再確認してみるか。
と思っていたら。
「せーんぱぁい!」
黒金が腕に絡みついていた。まあ、ちょうどいいや。
その瞬間に悪魔が起動。
『順調ね』
「打ち上げに案山が来てるんだけど、前に演算した未来に変化はないよな?」
『ええ、案山結子くらいなら今回の件には何も干渉しないわ』
「それはよかった」
俺は安堵してすぐに悪魔との会話を終了させる。
「今日はせんぱぁいの奢りって聞いてきましたけど」
黒金は冗談まじりにそう告げる。こいつも本気で俺が奢るとは思っていないだろう。まあ、単純にかまってほしいだけか。
「……」
俺が無視すると、黒金は掴んでいる腕を左右に揺らす。
「そこはやさしくツッコんでくださいよ」
「ナニをですか?」
「ナニって……は、せ、せんぱい下品ですよ。中年オヤジですか、セクハラですか? 見損ないましたよ」
こいつは……。俺は、不定称の指示代名詞しか返してないだろうが。そもそも勝手に中年オヤジのような思考で勘違いしたおまえが悪い。
「あらやだ、いつも下ネタ全開で人をからかう黒金さんに言われたくないですぅ」
「先輩、女装姿じゃないんですから、女の子言葉使ってもキモいだけですよ」
「女装姿ならいいのかよ!」
「あ! そういえば、厚木せんぱい! そちらが噂の弟くんですか?」
下ネタの件を誤魔化すように黒金がぱっと離れると、厚木さんの隣の蒼くんをマジマジと見つめる。
「ええ、そうよ。蒼、こちら同じ部活の黒金涼々さん」
「は、はじめまして、マリ姉がいつも世話になってるっす」
「へー、厚木せんぱいに似て、美形ですね。あたしも実物見てみたかったなぁ」
こいつの言う実物とは、女装した蒼くんのことだ。厚木さんのことだ、動画サイトのリンク先も送ったのだろう。
黒金の反応からするに、すでに蒼くんの動画を見ているはずである。その上でのあの発言。
「おまえら、揃いも揃って女装男子好きだなぁ」
俺は黒金と、そして高酉に視線を向ける。
「あ、あたしは別に女装男子が好きってわけじゃなくて」
高酉は必死に言い訳をするが、それが苦しい反応だということに本人も気付いているようだ。
「おまえ、ソシャゲのキャラで男の娘に入れ込んでなかったっけ?」
「咲ぴょんはかわいいからいいのよ。けど、あんたの女装はなんかキモいからイヤよ」
「蒼くんもキモいの?」
「そんなことないわよ。蒼くんはかわいいじゃない」
そう答えた高酉の頬がぽっと赤くなる。よし、計画通り!
「アリス、土路クン。店に入ろうよ、ここで盛り上がってもしょうがないって」
厚木さんに呼ばれたので、とりあえず話は中断して中に入ることにした。
打ち上げパーティーといっても、いつもの文芸部に年下の男子が一名加わっただけだ。ノリとしては普段と変わらない。
ムードメーカーの厚木さんが場を盛り上げて、俺と黒金がそれにのっかって悪ふざけをして、志士坂が皆からのむちゃぶりに演技で応えつつ、案山と高酉がシニカルな台詞でツッコミを入れるという楽しい時間だった。
みんな心からの笑顔で、「こんな日常がずっと続いていけばいいな」と思えるほどの時間。
どこにでもあるようで、どこにもない俺たちだけの宝物。失いたくない日常は、まるでフラグが立ちそうなくらい危うさを醸し出していた。いや、実際に壊れることは確定している。
だって、厚木さん一人が抜けただけで、これは簡単に壊れてしまうのだ。
そして、その期限は刻々と迫っている。
だからこそ、それを阻止するために俺は動くのだ。
「なぁ、蒼くん。これだけ評判良かったんだから、第二弾はやるんだろう?」
「そ、そうっすね。他にもアレンジしてみたい曲もあるっすからね」
その返答になぜか黒金が乗っかってくる。
「はーい! あたし、今度は蒼くんの女装を間近で見てみたいです」
「おまえ、関係ないだろうが!」
「いえ、動画観ましたけど、ちょっと仕草が男の子っぽいとこがあります。蒼くんに
演技指導しなくてはなりません」
黒金は妙な使命感に目覚めていた。まあ、いいか。
かと思うと、その隣では至福の表情の案山がケーキを頬張っている。
「これ、美味しいぃ」
彼女はケーキさえ食えれば幸せのようだ。まあ、いいけどさ。
「そうだ。女装するなら、衣装も動画映えするものを買った方がいいんじゃないか?」
さらに俺の次の一手。蒼くんの行動を誘導するための布石でもある。
「動画映えっすか? けど、オレ、女性の服なんてそんなに詳しくないし、何を買ったらいいかわからないっす」
「高酉、おまえなら蒼クンの女装をどうプロデュースする?」
予定通りの高酉へ話を振る。ここで彼女が食いつかないわけがない。
「そうね。蒼くん、華奢だし、ロリィタファッションが似合うかもね」
彼女の提案に、真面目な顔で蒼くんが反応する。
「ゴスロリってやつっすか?」
「うーん、蒼くんはゴシックより、黒ロリの方が似合うかもね」
高酉のその発言に、厚木さんが首を傾げて問いかける。
「ねえ、アリス、ゴスロリと黒ロリってどう違うの?」
「ゴシックは、闇とか死とか、退廃的なイメージが強いかな。黒ロリは黒を基調としているだけで、基本はかわいらしいフリルとリボンがメインのロリィタファッションよ」
高酉が丁寧に説明をすると、蒼くんも真剣にそれを聞く。この話の延長線上には、二人が揃って買い物に行くという未来が待っていた。
全然関係ない話だが、昔、悪魔と名乗っていた少女の普段着はゴスロリだったな。妹の茜が中二病だと言ってたのは、その姿を目撃したせいだろう。
顔かたちは同じとはいえ、厚木さんはナチュラルなファッションを好むからなぁ。やはり同一人物とは思えない。
そうなると、前に志士坂の言っていた『どっぺるくん』の都市伝説が気になる。
あれがどこまで悪魔と関係しているのか。
普通に考えれば、単なる噂話レベルで論理的にも破綻した内容だろう。でも、なぜか気になってしまう……。
**
打ち上げパーティーは盛況に終わり、社会人でもないので二次会はなく、そのままお開きとなった。
用事があるからと、俺と志士坂は駅で厚木さんたちを見送ってその場に残る。すべてを知る志士坂とは、この後、さらなる打ち合わせがあるのだった。
「これであの二人は、互いに意識するようになるんだよね?」
志士坂がそう聞いてくる。
「ああ」
あの二人というのは高酉と蒼くんのことだ。もともと高酉は女装男子が好きな傾向にあるし、蒼くんは部屋にある漫画や好きなキャラを分析した結果、年上好きというのも判明している。
二人の年の差は4歳。これくらいのカップルなんていくらでもいる。
「あの二人が付き合うようになれば、高酉さんが厚木さんの想いを拒絶したとしても、正統な理由になるんだよね?」
「そうだ。高酉には他に好きな人がいる。だから厚木さんの想いには答えられない。よくある恋バナ。同性だからという理由での失恋ではないからな」
これで厚木さんのショックはだいぶ和らぐだろう。
そもそも高酉は、厚木さんの想いを受け止められず、思わず「キモい」と言ってしまう。それに比べれば「他に好きな人がいるからその想いには応えられない」の方がマシだ。
だからこその今回の作戦。
もちろん、これは作戦の一つであり、これだけでは厚木さんの自殺は完全には止められない。けど、これといくつかの策略を組み合わせることにより、運命の歯車をぶっ壊すことが可能だ。
「ねぇ。いいのかな?」
高酉と蒼くんをくっつけるという、一見、微笑ましい作戦ではある。けど、その本質に志士坂は気付き始めていた。
「なにが」
「本来なら、あの二人が付き合うことになる未来はなかったんでしょ?」
「そうだよ」
俺は自分の感情を乗せないように乾いた返答を行う。
「あたしたちの行動のせいで、あの二人の運命はねじ曲げられてしまう。あの二人が本来会うべきパートナーの運命さえも」
バタフライ効果も考慮すれば、いったい何人の人間の運命をねじ曲げるのか? そんな事すらわからないような危険な作戦。
「本人がねじ曲げられたと気付かなければいい」
そんなのはただの言い訳だ。
もともと『恋愛感情を抱かなかった二人をくっつける』というアクロバティックな方法。それは運命の女神すら欺く行為である。
それでも俺は、厚木さんを救う為に、その女神にすら逆らうのだから。
とはいえ、この作戦は単なる序章だ。
俺の冷徹な策略は、さらに加速する。
それが誰かを傷つけることになろうとも。
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